最後に残る光の記録 (トリニティ・カセット)
白瀬湊との接触を終えた謎の青年は、周囲を赤黒い霧に覆われた『中間領域』を歩いていた。
その手には、先ほど回収した『銃火器の能力』が記録されたエボリューションディスクが握られている。
青年は、数メートル先すら見通せない濃密な赤黒い霧の中を、迷う様子もなく一定の速度で進み続けている。
やがて――。
青年の目の前から、唐突に霧が消えた。
青年が一歩踏み出すと、そこには赤黒い空の下に広がる街並みがあった。
建物も道路も一見すれば人間の暮らしていた街と大きく変わらないが、空を覆う不気味な色と、街の外側を取り囲むように広がる赤黒い霧が、この場所が現実世界とは異なる場所であることを示している。
そして街の中心には、この一帯のどこからでも見渡せるほど巨大な時計塔がそびえ立っていた。
周囲の建物が霞んで見えるほどの高さを持つその塔だけが、まるでこの街の中心であることを主張するかのように、赤黒い空へと伸びている。
青年は手元のディスクへ視線を落とした。そこには、銃火器を思わせる複雑な紋様が刻まれている。
「……これは使えそうだな。」
青年はそれだけ呟くと、ディスクを再び懐へしまい、時計塔へ向かって歩き始めた。
やがて青年が時計塔の足元へ辿り着くと、そのまま内部へ入り、エレベーターに乗る。
エレベーターが目的の階層に着くと、重厚な扉がゆっくりと左右へ開いていく。
「――戻ったか。」
その先から、低い声が響いた。
青年は特に驚く様子もなく、エレベーターを降りてその先へ足を踏み入れる。
部屋の中央には数人の構成員が集まっており、その奥には一人のローブを着た男が椅子に腰掛けていた。
「今度こそ、回収に成功してきただろうな?」
「少し手間取りましたが……回収に成功しました。」
青年はそう答えると、懐から一枚のエボリューションディスクを取り出した。
「銃火器の能力が記録されたディスクです。」
「見せてみろ。」
青年がディスクを差し出すと、ローブの男はそれを受け取ってしばらく眺める。
「……なるほど。実にシンプルで、使い道はありそうだな。」
ローブの男は、渡されたディスクをポケットにしまった。
「それと、もう一つ報告があります。クロニクルカセットを使用する、例の少年と接触しました。
名前は白瀬湊。植物を操る力を使い、今回の怪物を撃破しています。」
「……クロニクルカセットを使う、か……。」
男が僅かに目を細める。
「はい。こちらの存在にはまだ気付いていないようですが、あの少年は今後、我々の計画に関わってくる可能性があります。今の内に消しておきましょうか?」
「いや、取り敢えずは様子見をしよう。」
ローブの男はそれだけ告げると、手元のディスクへ視線を落とした。
「今は、このディスクの方が重要だ。」
「了解しました。」
青年は短く頭を下げると、部屋の奥にある階段へと向かって歩きだした。
◇
一方、その頃――。
水録学園という広大な敷地の一角にある学園長室では、天瀬颯と蓮城陽菜が、神代学園長と向かい合っていた。
普段ならば穏やかな空気が流れているはずの室内には、どこか緊張した雰囲気が漂っている。
学園長の机に置かれた端末には、水録市の地図と、その一部を赤く染める警戒区域が表示されていた。
「今回、君たち二人を呼んだのは他でもない。」
神代学園長は端末を操作しながら、二人へ視線を向ける。
「先ほど、水録市内で超常現象の発生が確認された。」
「どのような超常現象ですか?」
陽菜が尋ねると、学園長は頷いた。
「場所は市街地にある商業施設の周辺だ。現在、現場では大規模な火災が発生しているが、消防からの報告によれば、通常の火災とは明らかに異なる特徴が確認されている。」
ホログラムスクリーンに現場の映像が映し出される。
そこには、建物の周囲を赤々とした炎が覆い尽くしている光景が映っていた。
しかし、炎は建物を燃やしているだけでは無かった。
それらは、まるで生き物のように蠢きながら道路へと広がり、周囲の車両や街路樹へ次々と襲いかかっている。
「現在、対策課も現場へ向かっているが、市街地で発生している以上、被害が拡大する前に原因を排除する必要がある。」
そして、学園長は二人を真っ直ぐに見据えた。
「天瀬颯、蓮城陽菜。君たちに現場へ向かってもらいたい。」
「分かりました。」
颯が即座に答える。
陽菜も頷きながら答えた。
「私たちで止めます。」
「頼んだよ。」
二人は学園長室を後にすると、そのまま現場へ向かうために校舎を出た。
まだ昼間だというのに、遠くの空には黒い煙が立ち上っている。
陽菜はその方向を見つめながら、小さく息を吐いた。
「……かなり大きな火事みたいですね。」
「ああ。でも、普通の火事じゃないね。あれは明確な敵意を向けてくるタイプの超常現象だ。」
二人は顔を見合わせると、足早に現場へ向かっていった。
――二人が水録学園を出てしばらくすると、街の様子は次第に変わっていった。
普段ならば休日を楽しむ人々で賑わっているはずの大通りには、避難する市民の姿が増え、道路の先には赤々と燃え上がる炎と黒煙が立ち上っている。
「……思ったより酷いね。」
陽菜が足を止めることなく、遠くの煙を見つめる。
「うん。しかも、あの煙……風に流されてない。」
颯がそう言った直後、上空へ立ち上っていた黒煙が不自然に横へ流れた。
風向きとは明らかに異なる方向へ煙が動き、その先から巨大な炎が建物の壁を這うようにして広がっていく。
「やっぱり普通の火災じゃないね。これは面倒そうだよ。」
二人はさらに速度を上げた。
やがて、陽菜たちが現場へ近づくにつれて周囲の気温が一気に上昇していく。
道路の向こう側では消防隊員たちが消火活動を続けていたが、放水された大量の水は炎へ届く前に蒸発してしまい、火勢を抑えることすらできていない。
また、対策課の隊員が氷の能力を使用して炎を食い止めようとしているが、凍らせた所に向かって炎が集まるせいで決定的なダメージを与えることはできていないようだった。
二人は、現場で警備をしている対策課の隊員に声をかける。
「私たちは、対策課の依頼で水録学園から来た生徒です。」
陽菜が学生証を見せると、隊員は一瞬だけ驚いた表情を浮かべた。
「水録学園の生徒……天瀬颯さんと蓮城陽菜さんですね?
今回の依頼を受けていただき、ありがとうございます。
今回発生した超常現象は、これまでの無差別的なものとは違い、こちらの存在を認識して攻撃を仕掛けてくる前例のない現象です。
どうか、十分に気をつけてください。」
「攻撃を仕掛けてくるって……あの炎がですか?」
陽菜が前方へ視線を向けると、対策課の隊員は険しい表情で頷いた。
「はい。先ほども消火活動を行っていた隊員が狙われています。
炎が突然こちらへ向かってきたかと思えば、逃げた隊員を追うように進路を変えることもありました。
今のところ、こちらの攻撃に反応しているようですが、詳しいことは分かっていません。」
「なるほど……。」
颯は炎の向こう側を見つめる。
建物を覆っている炎は絶え間なく揺らめき、その奥からは何か巨大なものが動くような音が響いていた。
「それで、あの中にいるのが本体なんですか?」
「おそらくは。炎の中心で、先ほどから何かが蠢いています。私たちは、それがこの超常現象の心臓であり、脳だと考えています。」
隊員が指差した先で、巨大な火柱が大きく膨れ上がり、戦闘中の隊員に向かって攻撃を仕掛けている。
「……あれが今回の超常現象ね。中々にやりごたえのありそうなクエストじゃん。」
颯が拳を握る。
「これ以上被害が出ないように、ここで倒しましょう!」
陽菜も一歩前へ出ると、両手を構えた。
「はい。お願いします!」
隊員が後方へ下がると同時に、怪物の身体から大量の炎が噴き出した。
「攻撃が来ます!」
陽菜が叫び、颯と共にその場から飛び退く。
直後、二人が立っていた場所を炎が薙ぎ払い、道路の一部が赤熱し、融解していく。
「先輩、行きましょう!」
陽菜はすぐさま炎を生み出し、同時に颯も風を巻き起こす。
二つの力が重なり、巨大な炎の竜巻となって怪物の巨体へと激突した。
炎の竜巻が怪物の全身を包み込み、その身体を構成していた炎が激しく吹き散らされていく。
「……効いてる?」
陽菜が目を凝らして確認する。
しかし、次の瞬間には散らされた炎が再び集まり始め、崩れかけていた怪物の輪郭が瞬く間に元へ戻っていく。
「むしろ、強くなってる……?」
怪物は二人の攻撃を利用することで、自身の炎の量を増やしていただけではなかった。取り込んだ炎の力によって、その攻撃までもがさらに強力なものへと増幅されている。
その時、颯が燃え盛る炎の中に、青白く光るものを見つけた。
「なんだろう……あの光。陽菜! あの光、見える?」
陽菜が目を凝らすと、燃え盛る炎の中心に、小さな青白い光が浮かんでいるのを確認した。
「見えました! きっと、あれが隊員さんの言っていた超常現象の核なんだと思います。」
「僕もそう思う。あれが核だとしたら、破壊出来ればクエストクリアってところかな。」
「でも、私の攻撃はあの怪物には効かないみたいです。先輩はどうですか?」
「確かに……。僕の能力だけなら、核に纏わりついている炎を吹き飛ばせるかもしれない。」
颯はそう言うと、怪物の中心に浮かぶ青白い光へと視線を集中させた。
「だったら、取り敢えずやってみるか!」
颯は叫びながら、右手を空へ向かって突き出す。
途端に、周囲を吹き抜けていた風が一瞬だけ止まった。
静寂が訪れたのも束の間、次の瞬間には颯を中心として空気が激しく渦を巻き始める。
巻き上げられた風は徐々に勢いを増し、やがて颯の身体を取り囲むような暴風へと変わっていった。
それはまるで、颯を中心に巨大な台風が発生したかと見間違えるほどの暴風。
「――吹き飛べ!」
その言葉と共に、颯を取り巻いていた暴風が一気に解き放たれる。
凄まじい風圧を伴った暴風が地面を抉りながら一直線に突き進み、核に纏わりつく豪火へと真正面から叩きつけられた。
そして、怪物を覆っていた炎がすべて吹き飛び、その中心に浮かんでいた青白い光の正体が、ついにその姿を露わにする。
颯と陽菜は、思わず息を呑んだ。
「……あれが、核?」
そこに浮かんでいたのは、二人が予想していたような球体でも結晶でもなかった。
それは――1枚のカセットだった。
怪物を構成していた炎の中心に存在し、その力を生み出していた青白い光の正体。
それこそが、この超常現象の『核』だった。
(――あれって、湊くんが持っていたカセットに似てる……。)
水録学園で発生した超常現象を抑制し、怪物を撃破するために湊が使用していたカセットとよく似たものが、今回の超常現象の核となっていたことに、颯と陽菜は驚きを隠せなかった。
二人が呆然とカセットを見つめている間にも、無力化されたはずのカセットへ周囲の炎が再び集まり始める。
「――っ!」
颯が異変に気づいた瞬間、カセットを中心に炎が一気に膨れ上がった。
「危ない!」
陽菜が咄嗟に両手を突き出す。
迫り来る火柱の軌道が僅かに逸れ、二人の正面から外れていく――が、咄嗟の対応だったこともあり、陽菜の能力制御が僅かに乱れる。
陽菜は完全に軌道を逸らし切ることはできず、凄まじい熱風と共に炎の一部が二人を直撃した。
「熱っ……!」
強烈な熱気に晒され、二人は思わずその場でよろめいた。
「先輩、大丈夫ですか!?」
「大丈夫……これくらいなら、まだまだやれる。」
颯は息を整えながら立ち上がり、再び怪物へと視線を向ける。
しかし、怪物の炎は先ほどよりも勢いを増していた。
中心に浮かぶカセットを守るように炎が渦を巻き、その周囲には先ほど吹き飛ばしたはずの炎までもが再び集まり始めている。
「……核を壊さない限り、倒せないボスってことか。まぁ、簡単に倒せるボスなんてつまらないからね……!」
颯が拳を握り締めた、その時だった。
炎と黒煙が立ち込める戦場に、突然、聞き覚えのある機械的な音声が響き渡る。
【 Cassette Lock! ――RECORD No.2『 AQUA : river 』Play Start. ――】
「……この音は。」
陽菜と颯が同時に振り返る。
二人が見つめる先、炎と黒煙の向こうから、一人の少年がこちらへ向かって走ってくる。
その右腕には、クロニクルガントレットが装着されていた。
「湊くん……なんでこんなところにいるの?」
湊は二人の姿を確認すると、そのまま速度を落とすことなく二人の横を駆け抜けていく。
「話は後です! あんな怪物、放っておいたら絶対マズいですって!」
湊は右腕を構え、燃え盛る怪物へと向かっていく。
その視線は、炎の中心に浮かぶ青白いカセットへと向けられていた――。




