19 炎の一族
業火が肌を撫でる。
あと数ミリで、私の肌はドロドロに溶けていただろう。
「あらあら、虐めているみたいで気が進まないわ」
(うそつけ、嬉々としてやってるじゃん……)
この本性がバレてしまえばいいのに、残念ながら遠くにいる観客にこちらの声は聞こえない。つまり、何を言っても大丈夫な状態というわけだ。
「ほらほら、逃げてるだけでは勝てないわよ」
『うわっ』
炎が右手を掠める。
赤くなった右手を左手で庇い、業火を見据える。
(なんだろう。さっき炎が手を掠めた何か変な感じがしたような……)
「鼠の真似事が得意なのね」
少し苛立った彼女が、数十個はある火の玉をつくり上げた。
遠くで観客たちが息を呑んでいる様子を見て取れた。
この数は———逃げられない。
「さようなら」
“決闘”での生死は、罪に問われない。
だからこそ、彼女は本気で私を焼き殺そうとしている。
ゴオオォォーーーッ
迫る炎に真正面から向き合う。
そして、右手をかざした。
「レテ!」
遠くで誰かに呼ばれる。
この声はきっとアッシュだろう。
騎士はこの状況を心配してないだろうし。
私はそのまま、業火に体が包まれた。
「…………は?」
炎が突然、何かに吸い込まれるように消える。
そして、焼かれたはずの人間がその場に無傷で立っていた。
あり得ない光景に、誰もが目を見開いた。
ただ、騎士だけは平然としていた。
私は手のひらに残るものを確認し、目を輝かせた。
そして、立ち尽くしている姫様に馬鹿にしたような笑顔を向けた。
『あれ?ラヴァ一族の炎って意外と熱くないんですね?』
「!!」
怒りで顔を真っ赤にした彼女は、次々と炎の玉を放った。
そのすべてを手中におさめ、握り潰した。
業火の猛攻をすべて受け止め、消し去った。
「あ、あなた……!その顔は!」
『え?』
姫様が不気味なものを見るような目を向けてきた。
顔に触れてみると、身に覚えのある固い感触がする。
どうやら、力を使ったせいでピエロのお面が出てしまったらしい。
体を見下ろすと、黒い外套を羽織っていた。
『あー、バレた……』
この恰好で悪魔だと思われることはないが、不審者だと思われることは間違いない。
『でも、この勝負。私の勝ちでいいですよね』
「近寄らないで!」
全力の拒絶に若干心が傷つく。
しかし、勝敗をあやふやにされてしまっては困る。
『勝ったのは?』
尻もちをついた姫様にグイッと顔を近づける。
彼女は恐怖を顔に浮かべ、震える口を開いた。
「いいわ!貴女の勝ちよ!」
『———だそうですよー!』
少し離れた所にいる審判に視線を向けると、ビクッと怯えられた。
……この恰好はそんなに怖いだろうか。
「しょ、勝者!レ、レテ殿!」
その宣言に、場がざわめきだした。
彼らは怯えているのだ。
この“決闘”で勝利した方は、負けた方のハーレムから人を奪えるから。
一体誰がこのピエロ野郎に連れ去られるのかと戦々恐々としているのだろう。
なんて失敬な!チャーミングなピエロのお面なのに!
大勢に見られながら、私はある人の前に立った。
その人は、呆然とした様子で立ち尽くしていた。
可哀想に、私のこの姿に怯えているのだろう。
『この人もらっていきますね』
アッシュは何も言うことなく、大人しく私に連れ去られた。
『誘拐とかじゃないから許してください!』
あの場で転移スクロールを使い、一瞬で宿に帰ってきた私は部屋で全力の謝罪をしていた。ちなみに顔と体は、人間の姿に変えている。あのピエロのお面状態では怯えさせてしまうだろうから。
「い、いや、これは一体……?」
混乱しているアッシュは、目を白黒させている。
その後ろでは、腕を組んだ騎士が壁に凭れていた。
両者の様子は、まるで対極だ。
取り敢えず、彼にはこの“決闘”の目的を伝えることにした。
『ほら、姫様の傍にいるのが苦しいって言ってましたよね』
「あ、ああ」
あの時の市場探検を思い出していると、じっと騎士がこちらを見ていた。
その咎めるような視線から、すっと目を逸らす。
そして、視線をアッシュに向けた。
『それでハーレムから抜け出せたら、いいスタートをきれるかなって』
失恋のことは騎士がいる手前、誤魔化して伝える。
他人に失恋したことを知られるのは嫌だろう。
『それに私が牢屋に入れられたのも、ハーレムが問題だったし……』
ボソッと呟いた言葉が聞こえてしまったのか、アッシュが申し訳なさそうな顔をした。
『いやでも、友の新たな門出を祝いたい気持ちが9割だから!』
「残りの一割は私のせいで……」
『あ、違う違う』
弁明に失敗して焦りまくっていると、俯いているアッシュの肩が震えていた。
…………いや、まさかね。
「く、くくっ」
『いや、やっぱ笑ってんな』
こっちは必死に弁明したのに、それを笑うなんて……。
なんて無礼なんだ!
「す、すまない。……本当にありがとう」
愛しの姫様から引き離されたというのに、彼は本当に嬉しそうに笑っている。
どうやら、失恋の傷は時間と物理的距離が解決してくれるようだ。
うんうんと頷いていると、至近距離に彼が立っていた。
チュっ
驚きの声をあげる前に、私の額にリップ音が鳴った。
そしてすぐに、彼の首に剣が突き立てられた。
「彼女は誰の物でもないだろう」
「黙れ、切る」
二人の男が言い争っている中、レテは衝撃の事実に気づいてしまった。
心臓が鳴りやまない。
この鼓動が、喜びなのか不安なのかすらわからない。
まさか、まさか————。
「ちょっ、騎士騎士!———ってなにやってんの!」
室内で剣とナイフの鍔迫り合いをしていた彼らの間に入る。
武器を下ろした彼らの顔は、とても不満そうだ。
「なんでそんな顔してるんですか……。じゃなくて!騎士、ちょっとこっちに……!」
騎士を壁際に追い詰め、両手壁ドンで腕の中に閉じ込める。
背が高いから、下手したら首がつりそう。
でも、そんなこと気にしてる場合じゃない。
「ちょっと顔触ってもらえますか!?」
「………………」
固まっている騎士が一向に触ってこないため、彼の手を無理やり顔にもっていく。
手を掴んだ時に騎士の体がビクッと震えていたが、構ってなどいられない。
ピタッと頬に触れられた手は、少し温かい。
「感触は!?」
「…………柔らかい」
「い……い…………イヤッフゥウウーーー!!」
嬉しさのあまり、喜びで舞ってしまう。
とうとう…………とうとう私はやったのだ!
耳につけていた変身用の魔道具を外す。
ブワッと体を包む黒い外套は、相変わらず暑苦しい。
でもきっと、顔は違う。
「騎士、私の顔はどうなってる?」
「…………っ!」
驚きで目を見開いている騎士。
そんな騎士の姿は珍しいが、どうやら私の予想は当たっていたようだ。
ガバッと騎士の両手が私の顔を包み込む。
……微妙に顔を上にあげられてるから、ほんとに首つりそう。
「…………アンタは、こんな顔をしてたんだな」
「!」
崩れるような笑みだった。
意図せず零れた騎士の笑顔は、とても嬉しそうだった。
その笑顔に見惚れていると、グイッと腰を抱かれた。
「え?」
「帰ろう」
さっきまでの笑顔が嘘のように、いつも通りのポーカーフェイスに戻った。
加えて、なぜか後ろをすごい目で睨んでいる。
殺意マシマシの目というのだろうか、視線で人を殺せそう……。
ふと騎士の手を見ると、そこには転移スクロールが。
「待て待て!アッシュさんは!?」
「さあ、帰ろう」
「話聞いてる!?」
権力者のハーレムから離脱(私が強制的にやったんだけど)した人なんだぞ。
アフターケアは絶対でしょ!
権力者って厄介な部分があるんだから念を押さないと!
腰に回っている腕をなんとか緩めさせ、体の向きを変える。
そして、こちらに手を伸ばしている彼にさっき外した変身用の魔道具を投げた。
「これでしばらく凌いでください!近々必ずアフターケアに行くので!」
あの魔道具は確か、オクトから渡された物だった気がする。
後で返せ的なことを言われたような気もするが、私は知らないぞ。
私にお金を渡さなかった奴が悪いのだ!(完璧な責任転嫁)
薄れていくアッシュの顔は、ひどく切なそうだった。
(きっとまだ姫様のことを吹っ切れてないんだな……)
今度会いに行くときは、失恋に効くグッズを持っていこうと決心した。