1 悪魔と騎士
蠢く闇は深く、治安の悪そうなボロボロの建物たちがひしめき合っている。
そんな場所に、一際目をひく建物がある。
『イドラのサーカス』
すべてが叶うと言われる裏社会のドリームステージ。
———ギャンブル、売買、情報。
———富、名声、権力。
すべてが狙える夢のような場所。
そこへ集まるのに、善悪など関係ない。
どんなモノにも『イドラのサーカス』の扉は開かれている。
今宵は、どんな夢が叶うのだろうか。
「なーんてね」
地下で行われているオークションをマジックミラー越しに眺め、独りごちる。
VIPすらも使用できないこの部屋は、私専用のものだ。
さて、そんなミステリアスで超スーパーそうな私が気になって仕方ないことだろう。
え?そんなことない?
…………今日は照れ屋な人が多いようだ!
そう、私こそがこの『イドラのサーカス』の———!
「タブラ様、お時間になりました」
『ああ』
音もなく部屋に入って来た黒子に、平静を装って返事をする。
毎度のことながら、彼らの呼び出し方は心臓に悪い。
慌てて声色の調整を行い、変成器を使ったような低い声を出した。
そして、諸々の動揺などおくびにも出さず、私は目的地に向かう。
ふと横を見ると、窓ガラスに自分の姿が映っていた。
黒い外套に身を包みフードをかぶっている怪しい人物。
フードの奥には、不気味なピエロのお面が浮かんでいる。
(これが今の私かー)
我ながら怖い見た目をしてると思う。
けど、どうしようもない。
なんせ、この外套もお面も外せないのだから。
ワアアァァァ—————
窓ガラス越しでも伝わってくるほど、オークションが熱狂している。
そんな熱い場所では、良からぬことを企む者も出てくるものだ。
その良からぬ者たちを裁くのが———私の、「タブラ」の役目だ。
ガチャンッ
南京錠が何重にもかけられた鉄のドアが開かれる。
「タブラ様、お気をつけてください。今回の者は———」
『構わない』
「…………差し出がましいことをいたしました」
(ごめんよー!キャラ的に『ありがとう』とか言えないんだよー!)
深々と頭を下げる黒子に見送られながら、私は鉄と血の臭いがする部屋へ入った。
この世界には表と裏がある。
元の世界で、私は表の社会しか経験したことがなかった。
けれどこの世界に落ちた時、立っていた場所がこの『イドラのサーカス』と呼ばれる裏の社会だった。
一人寂しくハロウィンを過ごすのも微妙だと思った私は、何を血迷ったのかネットで黒い外套とピエロのお面を買った。それらで一人ハロウィンを自宅で開催している最中に、この不慮の召喚が起こった。
突然、鉄と血の臭いがする部屋に一人で立っていた。
周囲に人もおらず、その場でボーっとしていた。
そしたら、なんやかんやで『イドラのサーカス』の関係者たちに発見されて、なんやかんやで『悪魔』?みたいな存在にされて、崇拝されることになった。
そんな崇拝される悪魔な私の唯一の仕事が、この「裁き」だった。
『コレか』
「…………」
黒一色の不気味な奴が目の前にいるにもかかわらず、目の前の椅子に縛られた青年は無表情のままだった。こちらを見ているはずなのに、見ていない。強いて言えば、虚空を見ているみたいだ。
『罪状を述べよ』
「…………」
定型文を言うと、案の定返答はなかった。
まあ、これはいつものことである。
罪を述べろと言われて、述べる奴がいるかってんだ。
でも、仕方ないじゃん!
形式美ってのがあるじゃん!
『いいだろう』
不遜に頷き、私は青年の頭に手をかざした。
すると、彼の頭の上に文字が現れる。
『ふむ、脱走か』
どうやら彼は、脱走した“商品”らしい。
…………しかし、人身売買はやめなと言っておいたはずなんだけど。
(大方、新しく入った奴がやらかしたんだろうな。……あるいは、古株がたるんだか)
いずれにしても、彼は解放されるべきだ。
今回は「消失」しなくて済み、ほっと胸をなでおろす。
(たとえ罰だとしても、何かが壊れていく様は見たくない……)
今まで消してきたモノたちがフラッシュバックする。
それを振り払うように首をふり、目の前の青年を見た。
「…………」
相変わらず、虚空を見つめている。
何かがおかしいと感じ、彼の体を調べる。
すると、右の太腿に何か堅い物があった。
(ごめんなさいごめんなさいごめんなさい)
全力の謝罪をしながら、ズボンを下げる。
目的の位置まで下げると、そこには四角い装置があった。
(これは……!)
装置の中には緑色の液体が入っており、それが彼の体に注入されているようだ。
そして、この緑の液体を、私は知っていた。
(第一級麻薬……「メルト」)
表社会で検挙され、裏社会でも取り締まられたはずの麻薬。
それが、なぜ『イドラのサーカス』に…………。
(これからはクリーンな活動をするって言ってたじゃん……)
『イドラのサーカス』の上層部にガッカリしながら、その悪しき装置に手をかざす。
稼働していた装置は停止し、だんだん透明になる。
そして最後には、粒子となって消え去った。
ものを消す感覚に、思わず自分の手を握りしめる。
こうしていないと、自分が何かを失いそうな感覚に陥る。
「…………うッ」
(!!)
『目が覚めたか』
驚いたことを隠し、横柄な態度で目覚めたばかりの青年に声をかける。
そして、重大なことに気づく。
(あっヤベ、ズボン下ろしたままだった)
マズい。
これでは黒くて危なそうな奴じゃなくて黒くて痴漢をしようとしたヤバい奴っていう認識になってしまう。ただでさえ、ここにいると人間の尊厳が危うくなるのに、それに追い打ちをかけるのはマズ過ぎる。
「!?」
自分の今の姿に驚く青年。
無理もない。
私だって目覚めたら椅子に縛られた上、ズボンを脱がされてる状態に驚く。
あと、目の前の人物を犯人として疑ってしまうのも、当然だろう。
(脱がしたのは事実だけど、人命救助のためだから!)
そんな言い訳をするわけにもいかず。
もはや堂々とした態度でいるしかない。
彼から向けられる猜疑の目が痛い。
いそいそと彼のズボンを上げ、元の位置に戻る。
そして、厳粛な空気を醸し出して言い放った。
『「メルト」』
「!」
彼の猜疑の色が、驚きに変わる。
『お前を侵していた麻薬の名だ』
「…………それは我々アイシュベルグ騎士団が押収したはずだ」
(アイシュベルグ騎士団!)
アイシュベルグ騎士団は、表社会のヒーロー的存在だ。
彼らにとって『イドラのサーカス』は相容れない存在なはずだが、どういう経緯で彼はここに来てしまったのだろうか。
潜入捜査で失敗した、とか?
『ミイラ取りがミイラになったようだな』
「…………」
僅かだったが、顔が歪んだ。
どうやら予想が当たったらしい。
まあ、彼がミイラだろうが騎士だろうがどうでもいい。
とにかく、表の存在は表に帰ってもらおう。
『お前にもう用はない。好きな場所へ行くがいい』
カッコよく指を鳴らし、青年を縛っていた縄を消そうとして———
カスっ
指がパッチンしなかった。
『…………』
「…………」
視線が痛い。
静かに粒子になっていく縄が、さらにシュールさを増している。
『さっさと行け』
声に動揺を含ませないよう、強い口調で誤魔化す。
しかし、青年は一向に立ち上がらない。
…………もしかして、麻薬の後遺症が?
心配になり、俯く青年に近づこうとすると———。
「…………ない」
『なんて?』
何かを言っているが、声が小さすぎる。
すると、青年がバッとこちらを向いた。
その勢いにビクッと体を揺らす。
…………オーバーサイズの外套を着ていてよかった。
体が揺れたのを誤魔化せる。
「俺はもう帰れない」
『はあ?』
訳の分からんことを言うな。
さっさと帰れ。
『なんだ、麻薬の後遺症があるのか』
治療薬をもらいに行こうとドアへ向かおうと青年に背を向ける。
敵に背後を見せたのがダメだったのだろう。
『グエッ!』
「待ってくれ」
(こいつ………!外套を引っ張りやがった!)
しかも首が締まる位置。
殺す気?殺す気なんですか?
悪魔として崇拝される存在が出してはいけない声を出してしまった気がする。
なんてことをしてくれてんじゃい!
「頼む、アンタの下僕にしてくれ」
『え、怖い。なにこの子』
曲がりなりにも騎士が言っていい言葉じゃない。
とち狂ってしまった青年と揉めに揉めた末、彼の面倒を私がみることになった。