MR-076「落とし物」
「オオ、同胞ヨ。その手をハナシ考えをアラタメルノダ」
隣で同じ天使のクロが人間のように嘆く声を聴きながら、歯が砕けそうになるほどに顔をしかめ……エルナを捕えている天使を睨みつけていた。彼女の頭と、首元に寄せられた手。下手に動けばその細い首が血に染まるだろうことは明白だ。
「くっ」
そばにいたクロス婆さんも、天使がちらりとそちらを見るなり繰り出した不可視の衝撃波により飛ばされることになった。咄嗟の防御が間に合い、大怪我ということはなさそうだ。問題は、全く状況が良くなっていないということか。
「お、おじ様……ごめんなさい」
「お前が謝ることは無い。心をしっかり持ってろ。でなければ付け込まれる」
体を震わし、青白い顔をしたエルナの涙ぐんだ表情に、俺の心の何かが燃えていく。まだだ、まだ手は出せない。今はまだ、直接危害を加えられる可能性の方が高い。だから、耐えてくれエルナ。
状況は……正直、良くない。直接天使に殺されるか、エルナという人間が事実上死ぬか、どちらかを選ばされかねない状況だった。天使は、そこにいるだけで俺たちに良くない影響を与える。ましてや、あれだけ直接つかまれた状態では……エルナでなければもうかなり侵食されているだろう。
「神は一柱ダ」
「現実をミナイ布教などアツレキを産むだけだとナゼワカランノダ!」
ようやく喋ったかと思うと、クロに向かっての言葉であった。対するクロの言葉はおおよそ、天使という物からはある意味かけ離れた内容だった。最初からクロのいうような来訪者としての立ち位置であれば歴史も……いや、今はそれは横に置いておこう。
「アン坊……」
「わかってる」
エルナが天使に捕まっているというのは、単純に命の危険というだけではない問題をはらむ。それは、使徒への変化。俺たちの使う祈祷術のように、天使もまた不思議な術を使う。その1つが、洗脳めいた物だ。祈祷術が使えない一般人はそれになかなか抵抗できない。だが、俺たちのような術士であれば話は別だ。
だが今下手に動けば、それよりも先に天使はエルナを傷つけ……俺たちの動揺の隙に逃げ出すだろう。
「駄目、入ってこないで! 私は……私よ!」
「そうだ。お前は……大事な俺の相棒だよ、エルナ」
何度も戦いを生き残ってきた天使であればあるいは、その行動が隙を作ると学んでいたかもしれない。けれども目の前のコイツは……降りて来たばかりだった。だから、人間にも色々いることを知らない。
恐らくはエルナを掴んだまま洗脳でもしようとしたのだろう。注意がそちらに向かい、そしてあっさりと抵抗されたことに拘束が目に見えて緩んだ。
「ニンゲンの娘よ。我にイノレ! ただ1つの神をイノルのではなく、ホカの神と我らのカミに違いがナイと祈りでコテイセヨ!」
「お願い、神さまたち!」
「オオ!」
それはエルナならではの……多くの神々から一通りの加護を授かったからこそできた原始的な祈祷術。彼女の全身から虹色の光があふれ、それは周囲のあれこれと、そしてクロともつながった。
叫ぶクロから伸びる光が向かう先はエルナを拘束していた天使。ただの光に見えたそれは勢いよく天使をはじいた。俺はその隙を見逃さず、時折しているような高速移動を行い、瞬きの間にエルナとの距離をほぼゼロにする。左手で彼女を抱き寄せつつ、まだ突然の光に姿勢を崩したままの天使へと……隕鉄剣を突き出した。
「あっちに帰る暇も与えねえ!」
突き刺さったままの隕鉄剣を媒介に、天使の体内で俺の霊力が暴れるのがわかる。いつもならば決してやらない、術未満の霊力の放出。疲労のわりに威力が安定せず、下手をすると余力を全部放出してしまう手段だ。だというのに、この時の俺はその問題点を考えもせずに、とにかく目の前の天使を滅ぼしたかったのだ。
「おじ様、痛いわ」
「何!? 怪我か、どこをだ!」
腕の中で、苦しそうに声を上げるエルナ。慌ててそちらを見るが、見える範囲では怪我は……無いな。そんな状況で、俺を見上げるようにエルナが見て来た。やはり、怪我は無いように見える。
「ぎゅっとしすぎ。ちょっと離してほしいかも」
「あ、ああ……そうか」
気が付かないうちに、俺はエルナを強く抱き寄せすぎていたらしい。離してやるとほっと一息という様子で自分の足で立ち、身の回りの確認をし始める。こちらに歩いてくる婆さんにも頷き返し、少し離れた場所で立ったままのクロへと向き直った。
「コイツが話にあったクロって天使かい? 確かに見た目も違うようだねえ」
「ワタシは単独でのフキョウを神より承った。自分でハンダンし、ジブンで動ける」
「ってことはさっきの奴らはお前とは逆に、自分達じゃ決められたことしかできないってことか」
さすがに信用しきるというのは無理なので、離れた状態での会話という……まあ、ちょっと見た目はおかしい光景が出来上がる。婆さんも興味津々といった様子だ。だが婆さん的には天使の弱点が見つかると後の戦いが楽だなあ等と思ってるだろうなと思う。
改めてクロを正面から見ると、以前より肉付きが良くなり戦士としての力は向上しているように感じる。それは言い換えれば、クロと戦う時には苦労するだろうということだ。自然と、隕鉄剣から手を放すつもりがない自分がいた。
「これからどうするの? その……正直、この世界で天使は嫌われ者よ」
「リカイシテイル。だが、同胞をホウッテオクこともできナイ」
前に聞いた話も合わせると、クロは天使としては同じ神を信仰しているらしいことがわかる。そのうえで、神自身は他の神々を否定していないらしいことも。だが、信者となる天使は……多くが他の神を認めない思考だということだ。
クロはそれらと違い、共存の道を探る心構えのつもりのようだが……無謀という他ない。家の隣に、魔獣を従えた奴が引っ越してくるような物だ。調教済みだし、襲うことも無いよなどと言われても、それが出来る相手というのはいるだけで心が疲弊していくのだ。
「アン坊や。コイツは放っておくしかないんじゃないかい?」
「俺もそう思っているが……ああ、ちくしょう。好きにしろよ。だが、この国で動いてると誰に切られても文句は言えないぞ?」
「そうよね……きっとみんな、嫌ってしまうわ」
三者三葉の否定のこもった言葉が衝撃だったのか、心なしかクロが寂しそうな顔をした気がした。表情などわからない姿をしているというのにな。しばらくそうしていると、クロはエルナを、正確にはエルナの右手を見ると自分自身の腕から手甲のようなものを取り外した。その下に見えたのは彫像のような生身とは思えない姿。軽く放り投げたように見えて、その手甲はエルナの前にそのまま落ちる。
「ソノ指輪はかつての同胞がチジョウに残したモノ。これもマタ、人間でもツカエルだろう」
「触ったら洗脳されたりしない? 大丈夫?」
「少し待ってろ……なるほどな、たまの発掘品は天使の落とし物だったわけか」
知りたくはなかった気がしないでもない。手甲から感じる力は、エルナの守護の指輪同様の気配で、これまでに各地で見つかった物品のうちいくつかは天使の使っていた物なのだと知ってしまったわけだ。
「そこの天使。しばらくは山の中にでも籠ってな。でないと騒ぎに巻き込まれるよ」
「了解シタ。では、サラバダ」
俺たちが警戒を続ける中、クロは無防備に背中を俺たちに見せたまま……去っていった。その背中に撃とうと思えば術を撃ち込めたはずだが、何故だかそうすることは出来なかった。そんなつもりにならなかったと言い換えていい。
「不思議なこともあるもんだねえ。長生きするもんだ」
「婆さんが言うと説得力ありすぎだぜ」
「うう、疲れた……私、帰るぅ……」
思わず笑いながら、ふらつくエルナの背中を叩く。多くは語らない……天使相手に生き残った、それで十分だと思ったからだ。そうして人里に戻るべく馬を縛っていた場所まで向かうのだった。
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