MR-058「夕闇のざわめき・後」
先手必勝、俺は一気に天使人と呼べそうな相手へと肉薄する。残った爺の顔が驚きに染まるのがわかる。俺にとっては当たり前……他の人間には瞬きの間に移動したように感じる特殊な祈祷術を併用した移動方法だ。今のエルナなら見ることは出来るかもしれないな。
「おらっ!」
驚くということは、コイツは天使そのものではない……そう確信した。俺の知っている天使はどこまで行っても傲慢な顔をし、人間や魔獣が自分たちの下にいるものだと信じてやまない、そんな奴らだ。自分が後れを取った、そんなことを認めるという感情すらないのだ。
見上げるほどの魔獣でさえ一刀両断する一撃が天使人に襲い掛かりその肩口から一気に……予想以上の手ごたえの無さに驚く間に刃は地面まで突き抜けた。ぬるりとした、海産物を斬っているかのような手ごたえを残して。
「こいつ……!」
「おじ様! 下がって!」
月明かりとたき火が照らす中、それ以外の灯りが後ろで生じるのを感じ、声に合わせて飛ぶと無数の火球が天使人へと襲い掛かった。祈祷術は神への祈りと、術者の確かな想像力が物を言う。だからこそ山育ちのエルナは木々が邪魔になるといったことは想像しやすく、術としても強い。そして俺がようやく教えた攻撃用の祈祷術は……炎。ある意味一番身近で、一番制御しやすそうな力。
『アアアアア!!』
「効いてるが少し足りねえ! だがよくやった!」
純粋な天使ではなさそうだとは言っても、感じる力は天使のそれとほぼ同じ。そんな相手に決定打になりそうな攻撃を放てるのだ。既にエルナは前線に近い場所でも十分にやっていける力があるという証明でもある。
そこにエルナだけを置いて行くつもりは全くないが、何もできないのと、しないのとでは大きく違う。いざという時に抗える力があるのならばそれに越したことはない。
「どこまで耐えられるかな!」
俺にとっては数歩、相手にとっては一瞬で詰められた間合い。視界に入ったのは火傷を負ったように溶けている天使人の体。それだけでもう異形の証明と言えるような状態だった。服のように見える場所さえもどろどろとした肉塊としてさらけ出されているのだ。
隕鉄剣にもし意識があるのなら、こんな気持ち悪い物を斬らせるな、と怒り出しそうなほどの相手に向け、俺は力を刻む。1回、2回、3回。本当であればもっと早く、エルナも視認できないほどに速く振るうことは出来る。けれどもこの相手には多少乱暴に切り刻まないといけない、そんな予感があった。
『コレ……イジョウハッ!』
全身に感じる殺気に少し下がれば、先ほどまでいた場所を全て貫くような無数のトゲ。天使人が自らの体を変化させて繰り出した一撃だ。その動き、その考え。全てが天使のソレではなく、天使の力を手にした人間の物だった。
「お前の敗因は、天使そのものにならなかったことだ。そいつの力はな……人の考えで使ったって大して強くないんだよ」
『ウボオオオオ!』
もっとも、天使そのものになったところで俺は切り裂くだけ。それは言葉にしなくても相手に伝わったことだろう。人間臭い怒りに満ちた殺気が俺を包み、伸びる腕、爪、それらをはじいていく。そうしているうちに、ようやく見破ることが出来た。
こいつは、1人じゃなく集合体だと。斬られれば死ぬ。こいつを構成している何かが1匹、な。無数の人間だった物、あるいはそのほかの諸々が寄り集まって天使の姿を模しているのだ。
離れた場所から続くエルナの援護、伸びる枝や石杭が相手の体を削り、うごめく肉塊が増えることからもそれは感じられた。
「さすがに全部切るのは骨だな……エルナ! 名前を借りて見ろ!」
「わかったわ!」
気が付けば戦いの場は少しずつたき火から離れていた。そうなると互いを照らすのは月明かりのみ。今日は……半月だ。まあまあの明るさだ。これならば、あの女神から力を借りることが可能だろうと思う。
「さあて、終わるまで付き合ってもらおうか。面倒だがな……」
『ホロビヨ……ホロビヨ』
既に人間だった部分は怒りにか狂ったような表情をしている爺の顔のみ。それ以外は膨れ上がった茹で豚のような姿であちこちから肉で出来た蛇のようなものが抜け出しているありさまだ。人の身に、天使を降ろそうというのは土台無理な話なのだ。人という器が耐えきれるはずもない。
口にするのは天使がこちらを異教徒として攻め込んでくる際に唱える常とう句だ。足元には、奴から崩れた肉塊がスライムのようにうごめいている。逃がさないよう、細かく切り付け、風の力を借りて集めつつ……その時を待った。
「夜の保護者……銀光の祝福をこの手に……重なる名を連なりとして、浄化の光を!」
正直、エルナに祈祷術を教え始めた時……この術を最初に教えるかどうかでかなり悩んだ。恐らくは簡単に使え、その力を発揮するであろう術だったからだ。簡単すぎる力が正しく扱えるを心配したのだ。その力は月の女神、ルナルネーヴェの力を借りた浄化の光。俺たちにとっては浄化の、ある意味癒しに近い光だがあいつらにとっては身も魂も焼く切り札となる。
偶然か、運命か。ドルイドの力を持った彼女の名は、女神の名前と一部被っている。偶然にも似たその組み合わせがこの力を他のドルイドより容易に彼女の手の中に出現させる。両手を天に伸ばし突き出した先で、銀色の光としか言えない物が集まってくる。小樽ほどになったそれは……ついに振り下ろされた。
『ア……ギャアアアアア!!』
「おじ様!」
「ばっちりだ!」
夏に溶ける氷のように、どんどんと天使人は溶けていく。地面にうごめいていた肉塊も何もなかったように溶け、染みだけがその跡を残した。段々と小さく、細くなっていく天使人。ついには細身の、痩せこけた爺の姿となったところで、俺は隕鉄剣をためらわずに振り抜いた。
枯れ枝を断ち切るような手ごたえを残し、そのまま折り重なるように崩れ……光に溶けた。
「終わったの?」
「ああ。よくやったぞ。これで……伏せろ!」
振り返った俺は、それに気が付いた。旅人や商人が消えたのは祈祷術であろう物によって作られた偽の道に迷い込んだから。それを行ったのはあの爺だと、そう思っていた。だというのに……まだ周囲はその術が解けていない!
森の中から迫る何かを切り払う。それは明らかな刃物。ちらりと見えた刃はぬらりと嫌な光を放っている。ちょっとした傷も負いたくない、そう感じさせるものだ。相手は無言で次々と俺……いや、エルナを狙ってはなってくる。どこから見てたかはわからないが、エルナが俺の力の肝だと見て取っているのだ。
そしてこの気配は……人間。人間が俺と、仲間を襲う……そのことにかつての怒りが膨れ上がるのを感じた。それはいつかその力が自分たちの国に向けられるのではないかと夢想した奴らの仕業だった。
「誰だか知らないが、俺たちを狙って生きて帰れると思うなよ! 俺は英雄と呼ばれた男……月下の剣鬼、アンゼルムだ!」
まるで天使を殺す時のような遠慮なしの力を隕鉄剣に注ぎ込み、剣を振り抜くと同時に祈祷術を発動した。風の神と、森の神に祈った嵐を再現するかのような暴風だ。森の木々を切り刻むように風が吹き荒れ……俺たちを襲っていた気配は消えていた。倒したのか、逃げたのか……この状況で追いかけるには万一エルナを守り切れないかったらどうするという状況が……怖かった。
「帰るぞ」
「うん。おじ様……私、大丈夫よ? どこだって、ついて行くから」
妙な決意を秘めた瞳に苦笑を浮かべ、乱暴に頭を撫でる。気が付けば周囲を包んでいた術は消えていた。森は、本来の姿を取り戻したのだ。
念のための警戒は行いながらも……王都へと帰還した。
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