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MR-053「変わらない月夜」


 神様はどこにでもいて、けれども姿を見せることが無い。そのことを実感したのはもう30年近く前のことだ。俺が、祈祷術に目覚めた夜。その時俺は外で満月を見上げていた。今まで見たことの無いような大きな月だった。


 季節外れの風邪を引いた孤児院の仲間のために、月の光を浴びて咲くという花を採取しに抜け出したのだ。今思えば、命にかかわるような風邪でもなかっただろうし、その花の話も半ば伝説に過ぎないような物だった。だというのに当時の俺はここで俺が花を手に入れなければそいつが死んでしまう!そう思ったんだろう。


「あった……これだ!」


 確か、実際にそれらしいものを見つけたのだ。元々は白い花だったのだろうが、月明かりを浴びて白にも黄色にも、銀色にも感じられる一輪の花。よく見ると周囲に同じような花が咲いていた記憶がある。恐らくは月の灯りを浴びてというよりはこの時期に咲くという意味合いだと思うが俺にとってはどっちでもよかった。実際に、何とかなりそうなものが目の前にあったのだ。


 喜び勇んで採取した俺に、恐怖が忍び寄っていた。それは、魔獣。野犬が魔獣と化した、戦える者にとっては大した相手ではない雑魚中の雑魚。けれども子供の俺にとってはまさに恐怖そのものだった。1匹しか見えないが、他にもいるんじゃないか?といった考えが足をすくませていた。


 飛びかかって来た魔獣を前に半狂乱になりながら拳を振るい……体から湧き上がる力を放っていた。月明かりがあるとはいえ、夜でよかったと今ならば思う。昼間だったら、吹き飛ばされた魔獣の死体は不気味さを通り越して吐くレベルだっただろうからだ。


 しりもちをついたまま呆然とする俺に、その光は降りて来た。太陽のそれとは違う優しい光。雲の切れ目から注ぐ日差しのように、月光のカーテンが俺を包んでいたのだ。怖さは感じなかった。早く花を届けなければという想いと、目の前の現実とがせめぎ合い俺から思考を奪っていたように思う。


『……なさい』


「え? 何か……」


 この時のことはよく覚えている。月光のカーテンから何かが降りて来たのを感じていた。天使のような羽根は無く、三日月を乗り物にするように降りて来た美女。顔もわからないが美女ということだけは俺の魂が感じたんだと思う。あるいは直接見てしまうと大変なことになるとわかっていたからかもしれない。


 月の女神、ルナルネーヴェは伝承でも姿が一致しない。太ももまで届く長い髪の老女という奴もいれば、まるで少女のようにあどけない姿だったという奴もいる。恐らくは月という姿を変える存在の神様だからだろう。

 今、俺はそんな女神に話しかけられている。そう直感していた。


『思うままに、守りなさい』


「守る……」


 つぶやいた途端、女神の気配は消えていた。後に残るのは優しい月明りと、自覚の出来た祈祷術のための霊力の発現、それだけだった。しばらく呆然としていた俺は鼻に届く香りに気が付き、慌てて孤児院に戻ったのだ。


 そうして、俺は英雄への1歩を踏み出した。



「今だ道半ば。あの日、俺は逃げてしまった。守ることは出来る、けれど思う形とは違う……そう思ってしまったから。けれどもそれでよかったと……今ここにいられるのなら……俺は」


 人生に正解ともしもはない。そうわかってはいても人は悩む。カインド司祭から何度も聞いた話だ。だから何をしても大体人はあっちのほうがよかったかなと悩むもの。気にすべきではない、とまあ……人を導くという点ではどうかと思う話だったな。


 俺は人生の折り返しはとっくに過ぎたと思う。後20年も生きたら大往生だ。果たしてそれまでに何年現役で戦えるのか? 既に筋力は以前より落ちている。欠かさぬ鍛錬により緩やかではあるが無理は効かないだろう。それでも最後まで……あがいて1人でも守るのが今の俺の進む道なのだろうか?


 祈りを捧げる姿勢のまま、隕鉄剣を抜き放ち窓からの月光にさらす。後何体、この隕鉄剣で天使を切り捨てることになるだろうか? 10ということはないだろう。では100か? 200か? いや、俺だけですべてをどうにかすることは出来るわけがない。俺に出来るのは未来を遺すこと、か。


「ちっ」


 練り上げた霊力、そして考えた祈祷術の攻撃性に反応して右腕の呪いがざわめく。もう少しすると激しい頭痛が襲い掛かってくることだろう。仕方なく隕鉄剣を背負いなおし……ふと人の気配を感じた。他でもない、カインド司祭だった。


「それがいなくなった理由ですか」


「そう言えば、伝えていませんでしたかね。先生には」


 椅子に座り、向かい合う。こうして月光に照らされていても、互いの過ごした年月を感じる。黙って出て行ってしまったことで、いらぬ苦労をさせてしまっただろうか? 意味がないとわかっていても、もしも、が浮かんでしまうのはなんだか情けないなと感じる。


「何か理由があって英雄という立場が辛くなったのだろうなとは思っていましたよ。アンゼルム、遺跡を巡ってみてはいかがですか?」


「遺跡を? いや、しかし……」


 今もなお、各地で英雄と呼べる力量の戦士たちが戦っていることだろう。大規模な遺跡は俺の現役時代にほとんど潰したと言っても、まだ油断はできない。かつては勢いのまま、好き勝手に潰していたが今はそういうことが出来ない時代ではないだろうか?


「最近このあたりにも天使の話が届いています。倒したはず、壊したはずの遺跡がいつの間にか治っている物がある、とね」


「まさか……」


 幸いにも、これまでの活動が甘かったとかそういう話ではないらしい。全滅させることはできないのではないか、自衛の力は常備しておくべきではないのか、そういった話になっているそうだ。

 始まりとして、王都内に住む一般人も霊力の試験を経て、必要ならばドルイドの訓練を薦めているのだとか。しかしそれでは……。


「ええ、もちろん。あくまでいざという時の自衛を薦めるということのようですよ。中には戦える者として世に出る人もいるようですが……」


 どうやら王都を中心に、冒険者という物の形が少しずつ変わりそうになっているのかもしれない。そうなると王都に献上させた武具たちも話が変わってくるのかもしれないな。天使の相手だけでなく、魔獣の相手もすることになるだろうから普通の武具も需要も高まってくる。


「あの子のつけている守護の指輪、力を感じます。同じような物が見つかるかもしれませんし、見つからなくても目的は1つ果たせます。貴方にとって損はないはないです。出来れば危険な目には合って欲しくないという私の気持ちは除いてね」


「先生、ありがとうございます。色々と覚悟が決まりましたよ」


 本当に、カインド司祭には何度頭を下げても下げ足りない。ともすれば自分勝手になりそうだった俺を幾度も叱り、導き、ぎりぎりまで俺を英雄でいさせてくれた。司祭の教えが無かったら、もっと早く皆を巻き込みひどいことになっていただろう。


「王には伝えておきましょう。月下の守り手は守り手のままだったと。ただ、唯一の英雄という肩書は不要、とね」


 逃げだした過去。そこにあったのは暗く、冷たいものだけではなかったのだと司祭の笑顔が俺に教えてくれた。


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