MR-028「不穏の山肌」
「エルナ! 下がれ!」
「うんっ!」
叫びに彼女が大きく下がってくるのと、山肌を何物かが飛び降りてきたのはほぼ同時だった。直前まで気配を感じさせなかった相手……カエル……か。もちろん、こんな場所に出てくる敵となれば指先ほどの、なんて普通の奴じゃない。
「そんな、ゲリーフロッグがこんな場所に」
「現実を見つめるのが学者の仕事だろう! 少し下がれ!」
気持ちはわかるが、同じ場所に立ち止まられてはこちらが守り切れない。長い舌で一突きでもされたら俺達はともかく、依頼人であるカミルはひとたまりもないはずだ。しかもこの土地にいる魔獣となれば、毒の1つや2つ持っていてもおかしくない。
「いいか、粘液も浴びるなよ」
「わかってるっ」
見た目からして女性の嫌悪感を誘うには十分なゲリーフロッグ。その大きな瞳がぎょろりと動き、当座の危険な相手と判断したのか俺を向く。ちょうどいい、気を引く手間が省けたってもんだ。死角から襲い掛かり、獲物を貫くその舌が伸びて迫り……俺の鉄剣により切り裂かれる。が、刃は嫌な色の粘液がまとわりつくことになり、微妙な音を立てている。
(くそっ、1本駄目になったな)
悲鳴を上げてのたうつゲリーフロッグにトドメとして祈祷術による霊力の矢を撃ち込み命を刈り取る。最初の襲撃の段階で仕留めてはエルナのためにならないと思ったためだが、余計な出費になってしまった。経験を積ませるのも善し悪しだな。
歩きながら、もう斬れなくなった鉄剣を道の脇に突き刺しておく。持って帰って再利用するのは金と時間の無駄と言えるだけの具合になってしまっていたのだ。何本も予備に買い込んである鉄剣を取り出して手に構えなおした。
「大丈夫かね? 武器が……おお、影袋が使えるのか。私も使えれば研究が楽なのだがね……無い物ねだりをしても仕方ないな」
「カミルさんはどうやって依頼金を作ったんですか? えっと、あまり余裕はなさそうですけど」
大きなリュックを背負い、息が上がりながらもしっかりと着いてきている学者のカミル。確かに、その服装は地味であるし、見るからに安物だ。ただ、俺はリュックなど道具類が質の良い物だということを見抜いていた。つまりは……金の使い方を知っているということだと思っている。
「得意なのは鉱物の成分分析でね。例えばそう、金が含まれていそうか、それとも別の何かが、といったことをサンプルから探るのさ。それをもとに掘る場所を決めていくようだから金払いはいいわけだ」
「そいつはいい……学者の先生よぉ。最近、このあたりの依頼や採掘具合があからさますぎないか?」
警戒しつつも、歩みは止めない。目的地まではまだそこそこかかるらしいのだから。それでも以前は採掘される場所だったのか、地面はしっかりと慣らされており、山肌に開いた採掘の穴もその入り口を雑草たちが覆っている。虚ろな髑髏の目のような穴が暗闇をたたえ、揺れる草にエルナが時折体を震わせている。
「あからさま……か。やはり外の人間ほどそれを感じるかね」
「ああ。いくら儲かるからって、あれだけ鉱山関連の話しかないのは疑問が残る。俺の記憶が確かなら、このあたりは他の産物も有名だったはずだ」
難しい話をしだすと、大体エルナは黙って周囲の警戒を勝手に始めるんだよな。本当はちゃんと覚えていってほしいのだが、無理に聞かせても覚えにくいだろうから必要な分だけは覚えてもらえばいいか。俺は座学には向いていない……と思う。ともあれ、そんな俺でもわかることがある。それは、この街が武具の生産に使う鉱石類の採掘に注力しすぎではないかという状況だ。
「耳が痛い話だね。ないわけじゃないんだよ。ただ、実入りはどちらがいいかは明白だし、土地の貴族からも推奨されてるとなれば採掘量を増やさざるを得ないだろうね。依頼を受ける人間の何割かは出稼ぎにきた連中だよ」
「貴族が? このあたりだと……サウザリアの直轄とはいかないだろうから、別の家か。名前は忘れたが、商売がうまかったような気がするぞ」
名前が思い出せないとなると、当時はそこまで大きくなかったか目立たない相手だったと思う。俺も隕鉄剣の仕上がりばかり気にして誰の土地なんて気にしていなかったからな。商売がうまいと言えば、マスクルは元気だろうか? 彼の治める土地は通ることなく来てしまったが……。
「っと、考える暇もないか」
「おじ様、ここなら行けそう」
手ごたえを感じているエルナに頷いて任せることにし、数歩下がる。慌てるカミルを手で制してエルナの霊力が練りあがるのを見守った。周囲には採掘の際に不要として積まれたであろう岩たちが転がっている。そのわきから出てきたのは、小さな人影……ゴブリンだ。土地柄か、茶色い肌をしている。やつらもまるで羽根付共のように、いつのまにかその土地にいていつの間にか繁殖している。かつては王を抱き、人間と、そして羽根付共と争っていたゴブリンも王が滅ぼされてからは地方の厄介者でしかないのが現実だった。
「貫けっ!」
力ある言葉の後の叫び。それは祈祷術にさらなる力を与え、エルナの思い通りに周囲のゴブリンへと襲い掛かる。何人もの大人が投げつけるかのように、岩や石がつぶてとなって襲い掛かったのだ。時間にして瞬き数回。それでも全身を打たれたゴブリンはそのすべてが絶命していた。素材になるような物は何もないが、大した儲けにはならないからこれでも構わない。問題は別にある。
「行けるか?」
「頑張るわ」
近づき、握った手は汗でべっとりとしており、小刻みに震えている。まだ、命を自分の手で奪うことに気になる部分があるようだった。殺すことはなかったのではないか? 追い返すことは出来なかったのか? そもそも自分たちがここに来なかったら敵対しなかったのではないか? そんなところだ。
それらはすべて正しく、間違っていない。だからこそ、慣れずに、割り切っていく必要がある。人と魔獣は共存できない生き物なのだから。
「お嬢さん。私のためにありがとう」
「依頼……ですから」
幾分か明るさを取り戻したエルナを見て、俺はカミルの評価を上方修正していた。そういった気の使い方が出来る学者がそう多くないというのもある。報酬は何かあればすぐに足が出る物ではあるが、これは思ったよりいい経験になるかもしれない、そんな予感があった。
2度の休息を挟み、目的地であろう巨岩が見えて来た。下手に掘ると崩れてきそうで、このあたりが採掘現場だった時にも手を出さずにむしろ転がってこないように補強を施した場所らしい。なるほど、大人の3倍ほどはある巨岩だ。これが転がってきたらとんでもないことになるな。
「それで、遺跡らしい場所はここから遠いのか?」
「ここまで来たらすぐさ。ただ、夜は避けたほうが良いんだろう?」
俺は頷き、エルナにも目配せして野営の準備をさせる。俺一人ならむしろ夜はどんとこいであるが、相手が最悪の場合として羽根付がいるというのなら見通しが良い昼間の方がいい。エルナがいないとどうにもならないからというのがある。まあ、天使1匹程度で済むなら1人でもぎりぎり何とかなるとは思うが……。
「ほう、これは美味い。ただのスープだと思ったのに」
「えへへ。お気に入りなんですよ」
別れの手土産にとマスクルに渡されていた美味いスープの素、恐らく干物をどうにかして調合した物だと思うが……を使って食事に彩を添えるエルナ。こういった部分は女らしいなと感じる俺がいた。こんなことを言うと、かつての仲間にいた料理下手に殴られるかもしれんな。
「明日は夜明けあたりに調査に向かおう。何事もなければ良し、もし何かあれば……判断は任せるよ」
「なんだ、逃げ延びて研究をまとめるとは言わないのか?」
事前に聞いてはいたが、現場に来ると考えが変わるというのは誰しもあるものだ。だからこそ、再度の確認というのは重要になる。これを怠っていざトラブルという時に困ってもな。
「もしも、天使が出て来るなら放っておくのは人間にとって利益は産まない……そう思ってるからでは駄目かな?」
「そんなことはない。了解した……全力を尽くそう」
そうして、エルナの覚えた障壁と俺が使える警戒の祈祷術を合わせて使い、俺たちは夜を過ごした。
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