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MR-023「一人と二人」


 何事もなく、夜となった。まだ目が覚めないメリッサの世話を少女たちとエルナに任せ、俺は念のために建物の周囲を警戒し……そのまま就寝時間となった。ぽつぽつとついていた部屋の灯りもいつしか廊下を照らす物だけがわずかに残り、屋敷が静寂に包まれる。


 何か考え込んでいる様子のエルナも、湯あみを終えてすぐに自分の部屋に引っ込んだ。その様子に声をかけようとして、なぜかそれを躊躇した俺は寝付けず、屋上へと出ていた。


「満月か……そうか、もうこんな時期か」


 いつまでも周囲が闇に包まれないことにようやく気が付いた俺。顔を上げれば空には大きな月が静かに地上を照らしている。優しくも冷たい銀月の光。自然と、俺は膝をついて祈りを捧げていた。自身の力の源、月の女神ルナルネーヴェへの感謝と、懺悔の祈りだった。


(……俺はまだ、貴女の祝福の元、戦えるでしょうか?)


 もしも、エルナやメリッサ、あるいは俺の過去を知る人間がこの祈りを聞けば驚くことだろう。いつだって折れず、全てを切り捨てる、そうやって生きて来た。エルナに対しては、そのあこがれが崩れないようにと元英雄(・・・)という皮をしっかりと被ってきたつもりだ。


 だが……俺は実際には折れ、逃げている。エルナを鍛えるため、自分の過去を取り戻すためと言いながらも、心のどこかでまだ俺は怯えていた。15年、短くない時間を腐る直前で過ごし……救えたはずの命を救わずに生きてきたのだ。


「雑念に捕らわれ、英雄であることから逃げた俺にどうして祝福を与え続けていただけるのでしょうか?

 全ての羽根付を追い返すまででしょうか? それとも英雄のまま死ねということでしょうか?」


 いつしか、気が付かないままに俺の祈りは声に出ていた。だが月は明確には応えてくれない。ただ優しく、時に厳しく、俺を照らす。気が付けば耳鳴りがするかのように音が響いていた。音の主は……背負ったままの隕鉄剣。肌身離さずとはいかないが、今は鎧も着ていないのにこれだけは背負っていた。


 わずかな音を立て、隕鉄剣を鞘から抜き放つ。幾度も無く危機を救い、何匹もの魔獣を屠り、何体もの羽根付を滅ぼした隕鉄剣。これの原料となる隕石を見つけたのも、こんな月夜だった。言うなればこの剣自体も女神からの贈り物と言えるだろう。


 そんな隕鉄剣は、泣いていた。不甲斐ない俺にだろうか。それとも満足に敵を滅ぼせないことにだろうか。いや……これは……。


「まだ気にしてるの?」


「メリッサ……大丈夫なのか?」


 屋上に出る扉にもたれかかるようにして、少女が佇んでいた。まだ調子が戻っていないのか、顔は青白い。ただ、この月明かりの元だ……実際にどうかはわからないな。足取りはしっかりしているのか、俺の元へと歩みより、隕鉄剣を持つ手にそっと自分の手を合わせて来た。


「貴方は老けて、私は若返って……でもこれは同じね。ただひたすらに駆け抜けていたあの頃と同じ。ねえ、どうして戻ってきたのかしら? 別にいじわるを言う訳じゃないのよ。貴方には英雄を辞めるだけの理由があった。私やみんなはそう思ってる。だけど……」


「大したことじゃない。嫌になったのさ、そんな自分が……あいつ、エルナを見て……救えるはずの手を取らない生き方をどうして容認できるのか、と」


 それがわかるのに15年もかかってしまった、そうつぶやいた俺は悲しい顔をしていたのか、それとも皮肉めいた笑みを浮かべていたのか……。そんな俺をメリッサはじっと見つめていた。俺は麻痺したようにその顔から目が離せなかった。


 責めるような、いつくしむような、瞬間瞬間に込められた想いの込められた複雑な瞳だった。じりじりと、その力に俺の心に何かが刺さるような気がした。彼女には俺を責める理由がある。ある……はずだ。


「貴方が私を振ったことを気にしてると思うんだったら、半分は間違いよ。そりゃあ、貴方への怒りもあるけど……それよりも大きいのは、そんな貴方を守り切れなかった自分への怒りだもの」


「……悪い」


 こういう時、このセリフが良くないというのは知っていてもそれしか口からは出てこなかった。若さに任せて、高ぶった気持ちを当時の俺達は互いで解消していた。つまりはまあ、男女の仲的な意味でだ。だというのに、俺は後身を育てたいという意見を正面から受け止めず、俺から離れたいのだと勘違いをしてあっさりと彼女と別れ、単身戦いの道に入ってしまった。


「貴方は好きにやれたかもしれないけれど、残されたこっちは色々と大変だったのよ? やれ捨てられただの、やれ子供が出来たのだろうとか。それでばたばたしてるところにこの呪いだもの。世の中は山あり谷ありとは言うけれど、谷ばっかりだわね」


 どう答えたものかと、思わず伸ばした手を逆に掴まれ、引き寄せられた。体格差から、俺が見下ろしてメリッサが見上げる形。顔と顔が拳1つ分ぐらいの距離に近づき、彼女の瞳に俺が写るのがわかる。出会った時よりもさらに若い少女の顔には、意志が満ちていた。


「やるんだったら、しっかりと立ちなさい。貴方のためにと、命を賭けた英雄未満の戦士たちのためにも。そうでしょう、アンゼルム。貴方は月の祝福を受けた……死と再生の月夜の力を。志半ばで力尽きた戦士たちの無念すら刃にして、闇夜はどちらの物かを示すべく敵を討ち滅ぼす。私の前にいる男は、そんな英雄のはずよ」


「今からでも……いいのかな」


 俺の口から漏れたのは、若造のような言葉。いや、俺の時間は英雄を辞めた時に一度止まったのかもしれない。だが、口にしてふっと……胸のつかえがとれたような気がした。守れたはずの命、救えたはずの笑顔。これからの分は……守れるのだろうか?


「いいに決まってるじゃない。太陽の英雄、ソラルだって貴方がいない分は僕が守るんだってずっと北で戦ってるのよ。元気な様子を伝えてあげたって罰は当たらないわよ」


「そうか……あいつ、無事か……。ははっ、そうだな。あのガキも今じゃ立派な青年で英雄か……師匠のような俺がくすぶってたらいけないよな」


 すっと……俺の中から何かが抜けていくのを感じた。それは過去の亡霊。国やしがらみのために動いていた頃に形作られた都合のいい英雄だった俺の苦しみ。英雄らしく、それは俺にとって苦痛だった。英雄になりたくて戦っていたんじゃない、戦っていたら英雄と呼ばれたのだから。


「……大丈夫そうね。そんなんだからあの子も相談できずに抱え込むのよ」


「あの子?……エルナか。なあ、メリッサ。悪いがエルナを」


 そこまで言いかけて、閉まっていた屋上に来るための扉が弾かれて大きな音を立てた。メリッサの張っている障壁が無ければ、近所にも丸聞こえだったであろうその音は、一人の少女の手による物だった。


「エルナ、どうした」


「おじ様。私は嫌よ」


 カツカツと音を立てるようにして、怒ってますという顔でエルナは俺の元まで歩いてくる。横に見えるメリッサはなぜか楽しそうな顔だ。戸惑いのまま、俺はエルナの接近を許し……なぜか張り手をされた。


「何をする」


「何をじゃないわ! おじ様、私を置いてくつもりだったでしょう! メリッサ様に預けて!」


 思わず目を見開き、メリッサとエルナを交互に見てしまう。思いついたばかりの話を、何故エルナが言い当てるのか。混乱した思考を止めたのは、エルナの涙だった。なぜか俺の胸元に倒れ込むようにして抱き付くと、そのまま泣き出したのだ。


「あーあ、乙女を泣かしたわね」


「た、助けてくれ」


 こうなることがわかっていたであろうからかうようなメリッサに助けを求めるも、ニヤニヤとしたまま何もしようとしないメリッサ。俺は途方に暮れて……腕の中のエルナを軽く抱き寄せるぐらいしかできないのであった。

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