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MR-017「取り戻すモノ」



「ふぅ……ふんっ!」


 まだ動く人の少ない早朝。昔の癖を引きずったまま、俺は一人宿の裏手にある井戸の前で日課をこなしていた。刃の付いていない、ただの棒を握り振るっている。一見木の棒に見えるが、その中には昔知り合った亜人、ドワーフといったか。地下王国を作り、金属の扱いに優れた彼らによってつくられた特別な鉄が入っている。


「くっ……」


 振り抜いたまま、鉄棒を落とさないように維持してゆっくりと戻す。よく鍛錬として何度も振り回し、回数と時間だけを気にするやつがいるがそれは意味が無いとは言わないがもったいない。大事なのはこうして戻す時に如何に負荷をかけられるかだ。そうすれば短時間でもその効力は……まあ、俺の経験上の話だがな。


「なんとか7割ってところか……やはり実戦が足りんな」


 何かというと、俺自身の全盛期と比べた肉体的な強度の事だ。英雄であることに絶望し、田舎に引っ込んだ俺ではあるが別に世捨て人、もう人間のことは知らないというような考えではなかった。だからこそ、毎日の鍛錬は欠かさずにこなしていたが……やはり実戦で命の危機を感じていた時と比べるとなまっている自覚がある。


「かといって祈祷術のカンを取り戻すためにエルナを連れ出すのはな……」


 どちらかというと問題は祈祷術による対天使戦だった。エルナの力により俺の右腕の呪いが一時的にでも解除されればあいつらを滅ぼすだけの祈祷術が使える。が、そんな制限の無かったころと比べれば間違いなく、使い方やそのタイミング、微妙なところでズレが出るはずだった。


(こればっかりはなんとか他でカバーするしかないな……)


 この前のような例外を除けば、もうこの大陸の内地では天使は普通に過ごしていれば見かけない……はずだ。あるとしたら、教信者共が自分たちをいけにえに呼び出すだとかそんなろくでもない時だ。そんなことが何度もあっていいはずもない。


「あの像はわざとか? いや……さすがにな」


 街の有力者の結婚式で起きたとんでもない事件の原因は人の手による、傷ついた天使像だった。今ならば天使は人間の敵ではないと宣言するつもりだったとしても趣味が悪いと言わざるを得ない。なにせ、天使はあくまで追いやられただけで絶滅したわけではないのだから。


「……まずは今日を生きるか」


 一人だとあまりいい考えに向いているとは言い難い自覚がある。それが例え、エルナというきっかけを得て再び世間に躍り出てきたとしてもだ。これまで、俺は逃げてきたのだ。今さらどんな顔で英雄に戻れようか? 英雄という象徴は今も死んだとは聞かない他の連中に任せておけばいいのだ。


 構えなおし、思い浮かべるのはこれまでに一番苦労した相手。かつて南の地で出会い、多くの知り合いの犠牲と献身の果てにたどり着いた先でこの世界からは追い出すことに成功した天使共の頭、羽根が何枚もある熾天使とでもいうべき相手。


(はっ、相変わらず無表情な面だぜ。俺の記憶だから変わりようがないけどよ)


 合図の無い戦いが始まる。巨木すら打ち砕くような相手の力場を剣ではじき、あるいは身をひねり回避し、お返しとばかりに祈祷術を撃ちだす真似をし、相手の視界が封じられたところで飛び込み剣戟。ここで下手に隕鉄剣を使うと本当に本能的に祈祷術を使ってしまうのでこの鉄棒が一番だ。


「もっとだ、もっと早く!」


 所詮は俺の想像上の幻影。俺より強くなるはずもなく……勝てて当然なのだ。だから如何にそれに確実に勝ち、次につなげるかを目指す必要がある。長いような短いような時間の果て、俺の幻影である天使を腰ほどで両断し……動きを止める。


「はぁはぁ……ちっ、まだまだだな」


 俺自身はこの結果に納得してるとは言い難かった。やはり、記憶は薄れる物で前は感じていた相手の脅威も弱くなっているような気がした。一度自分を磨き直すべきか……だがどうするか。ちょうどいい相手は……ふむ。


「メリッサ……」


「それ、おじ様の良い人?」


 唐突な声に、慌てて振り向くと寝間着のままの格好のエルナが顔をのぞかせていた。あくびをして手を顔に当てているあたり、本当に起きてすぐのようだった。俺は無言で鉄棒や体を水桶に浸していた布で拭き、今日の鍛錬の場を貸してくれたことへとその場所そのものに一礼する。俺を含め、ほとんどの人間が信じているのはあらゆるものに神が宿り、そこに信仰があるという物だ。火、風、森、土、水、全てにだ。


「次に会う予定の相手の名前だ。マジクル最強の一角と呼ばれた女さ」


「マジクルで……女の人。それにメリッサ? え、まさか……聖域のメリッサ!?」


(そういえばそんな風に呼ばれていたか……? 本人はどこでも安眠できるための障壁を開発するんだ!っていう程度だったんだがな)


 敢えて否定も肯定もせず、会って確かめてみろとだけ言い、俺は部屋に戻ることにした。後ろを寝間着を揺らしながらエルナが付いてくる。俺がこういう時、問い詰めても答えないのは短い付き合いだが身に染みているようだった。


「もう何日かはここで稼ぐ。そうしたら南の……国境沿いまで行く」


「わかったわ。アルも稼げるようにしないとね」


 頷き、今日も糧のために生きられることを神に感謝するべく頭を下げた。俺だけでなく、エルナや他の皆も思い出したようにする神様への共通の祈りの姿勢だ。神様の存在を疑う奴はまずいない。いるとしたらそれらを軽んじ、目の前の快楽や金目の物だけを信じるような奴らだけだ。


 人の命を奪うような盗賊や、男を貶めることしか考えないような娼婦、非道の名をほしいままにするような豪商とて信じているのがこの世界の神々だ。その中でも唯一の例外が天使信仰であり、その狂信者たちだが……出会わないに越したことはないな。


 気まぐれで始めたアルの特訓も順調に進み、そろそろギルドから新人教育の依頼がねじ込まれそうだなという気配を察して俺達は街を出ることにした。適当に馬を二頭買い、場合によっては乗りつぶすつもりでエルナに乗馬を教えながらの旅路となった。




「もう少しいてもよかったんじゃない?」


「どうかな。厄介な依頼が舞い込んでくる気がした……ただのカンだがな。なんだ、弟が出来たみたいで寂しいのか?」


 からかうように言ってやると、慣れない馬上だというのにむすっとした顔で横を向いた。まだ慣れていないのにそんな風にそっぽを向くと……ああ、やはり。馬が自分を気に入らなかったんだと勘違いしたのか、少し嘶いたかと思うと歩く速度を上げ始めた。


「わわっ、おじ様!?」


「落ち着いて手綱を操作しろ。一気に引っ張るなよ。ゆっくりとだ」


 出来るだけ大人しそうなやつを選んだ買った甲斐があったのか、エルナ側の馬の速度が目に見えて遅くなり俺の隣にやってくる。かなり緊張しているようだった。まあ、農村では乗馬なんてことはなく、畑に労働力として使うぐらいだろうからな……。


「馬ってすごいのね」


「まあな。ずっと走らせるとすぐ駄目になるが、しっかり面倒を見れば長く付き合える。俺たちがそうなるかはまだわからんが」


 答えながら、馬車のまばらな街道の先を見る。さびれたという訳ではないが、そう賑わうというものでもないようだ。敢えて主要ではない街道から迂回するように向かっているから当然だが……なぜ主要な街道を通らないかと言えば、どこで知り合いに会うかわからないからだった。かつての俺は文字通り、若かった。色々と無理も無茶も押し通したという自覚はあるのだ。


(とはいえ、今の俺を見てわかるような奴もそうそういないか……)


 既に中年の俺を見て、若い時の姿をすぐに思い浮かべる奴がいるとも思えなかった。今から主要な街道に戻るのも時間の無駄なので、そのまま進むことにする。そうしてたどり着いたある街の一角で……俺はなじみの顔を見つける。


「あら、随分くたびれたのね、アンゼルム」


 あの頃と変わらない高い声が、俺を迎えるのだった。

 



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