Ⅲ-ⅳ 芽生える友情
ガランガラン――。校舎の上に設置された鐘が、全ての呪文を飲み込むかのように鳴り響く。カイは浮かせていた二つのコップを、静かに下ろした。
「――誰がやめてよいと言った?」
「あ、すみません。」
言われて、「ベカウ!」と慌てて唱える。……浮かぶには浮かんだが、慌ててやったせいで先ほどまでやっていた左右異なるリズムの上下運動にはならない。目の前の教諭は、他の生徒に終わらせるよう指示し、カイにだけ「できないようなので次の鐘までやるように。」と告げ、生徒の一人に指導してやるよう指示して教室を出て行く。
「――なあんだ。大魔法使い様のたった一人の弟子も、大したことないんだなあ?」
指導するよう指示されたはずの生徒――プロテスと呼ばれていた――がにやつきながら言うと、くすくす笑いが他の生徒から漏れる。「――ケゴウニゴウコ――」静かに呪文を唱え直し、冷静にイメージを練る。……すぐに先ほどと同じ動きになった。今日一日の成果だった。
「はん、大魔法使いの弟子ってんなら、これくらいやってみろよ。」
パチン、と指が鳴ると同時に、パンッ、とコップが弾ける。……咄嗟に身構えたが、コップの破片はカイに届く寸前空中で止まって、華を咲かすように床に散っていた。
「危ないですよー?怪我したら痛いんですから。」
吞気な声の主が人差し指を立ててくるん、と手を回すと、コップは元通り……ではなく、何やらガラス細工のおまけまでついて再び形成された。「ちっ」――興醒めしたような舌打ちと共に、プロテスと複数の生徒が外へ出て行った。
「ありがとうございます。……これ、このまま戻したら怒られますかね?」
「んー、多分ね。元のコップってどんなのだった?」
ベルベロが笑顔で聞くも、残念ながらカイの使っていたコップはそれ二つきりだった。……明確なイメージがなければ元には戻せない。
「……あの、よろしければ戻しましょうか?」
申し出たのは、教室にまだ残っていた生徒の一人だった。「ありがとう。助かるなあ。」ベルベロが言うと、早速薄緑の絹のローブから杖を取り出し、呪文を唱える。
「燃え上がれ、蘇れ、二つのグラスよ――!」
一瞬、炎に包まれたかと思ったら、次の瞬間には元通り、微妙なカーブのある単純なフォルムのコップが二つ、割れる前と同じ姿で蘇った。
「おお、高度だねえ。」
ベルベロが感心するも、テンポがゆっくりすぎて今一感心してるように聞こえない。少女は笑い、はい、とカイに手渡した。
「ありがとうございます。えっと……。」
「クローゼア、普段はロージーって呼ばれてます。何でも呼び安いのでどうぞ。」
微笑みと共に手が差し出される。カイも微笑んでその手を握り返した。
「じゃあクローゼアさん、ありがとうございました。炎はどうして出したんですか?」
「昔から炎を見てるのが大好きで、一番最初にできた魔法が水に浮かぶ木の葉を炎上させる魔法でした。だから燃やさないで物を操るのが苦手で……。」
先ほどの教諭に指導してもらってるのだと、説明した。逆にどういう魔法が得意なのかと聞かれたので、カイは苦笑しながら答える。
「いや、一応飛ぶ魔法なんすけど……さっきの通りです。」
クローゼアのように、炎から全く別のイメージに到達するほどには発展していない。自分が飛んで移動すること、簡単に物を飛ばすこと、それくらいしかできないのだと恥ずかしそうに言った。
「でも魔法の修行始めてまだ一年経ってないんでしょう?それじゃあ無理もありませんよ。私も修行始めた最初の一年は、ひたすら物燃やすしかできませんでしたし。」
「んー、僕もそんな感じかなあ?」
「そういえばベルベロさんって、どういう魔法が得意なんすか?」
しかしベルベロは「んー、内緒。」と言って教えてくれなかった。クローゼアはくすくす笑う。
「そういう質問は魔導師にするべきじゃないの。弱点さらすことになるから。」
「あ、そっか。確かに得意魔法わかったら、苦手魔法もわかりますもんね。」
……アズリルみたいな例外なく得意、という大魔導師は別として。あのレベルまで到達したら、苦手な魔法なんて存在しないだろう。
「でも私知ってますけどね、旅好き魔導師のベルベロさん。」
その言葉で、「んー」とベルベロが頭をひねり、そして思い出したように少女を見た。
「もしかして、噂の魔導軍司令官秘蔵っ子の炎の少女?」
魔導軍……確か元魔帥の組織だったのが、魔帥が解体された現行新体制で軍帥下に配置換えとなった組織だった。昔レントが軍と犬猿の仲だと言っていたのを思い出す。
「正解です。昔から父がよく、しょっちゅう旅行行ってるせいで召集に応じた試しがないって、ぼやいてましたよ。」
「あはは、召集される気がしたら旅に出ることにしてんだ。」
……どこまで本気かわからない。魔法使いの中には、先見の得意な者もいないわけではないが、先ほどの魔法を見る限りベルベロは違うだろう。むしろレントの方がそういう魔法は得意そうだ。
「それにしても噂だなんて魔導師の間でどんな噂流れてるんです?」
「んー……今はあんまり聞かないからなあ。」
「嘘でしょう?父が魔導軍司令官になったの新体制からですよ。旧体制は魔帥で働いてたんですから。」
……ということは、レント父ガルガレントの腹心の部下だったということだ。
現行体制に移る際、レントの父はサーヘルの起こしたシーナ暗殺事件の責を問われ隠居、他の魔帥直下魔導師団の人間も殆どが罷免されたと思っていたのだが、クローゼアの父のように、相当な地位を与えられて残っている人間もいたらしい。……未だにカイは政治に疎かった。
「本当だよー。昔流れていた単なる噂、魔帥第二位のダードリ様には、とっても優秀な炎の魔法使いが生まれたんだってよく言われてたんだー。」
そう言ってにっこり笑う。……クローゼアは疑わしそうにベルベロを見つめていたが、「ま、昔の噂ですよね。」と言って追及を諦めた。
「噂って言えば……風を操る魔法具持ってるって、本当?」
カイを向いて尋ねる。襲撃事件のアズリルの魔法が噂に流れているのだろう。カイは苦笑して、ローブの裏側を広げて見せた。
「この通り、何にも持ってないっすよ。」
「ほんとだ。……杖と薬草と短剣と……これは?」
ローブの裏のポケットを円形に膨らましている物を指差す。カイが取り出すと底の浅い円形の缶で、蓋を開けるとつんとした匂いと共に、白いクリーム状の軟膏が出てきた。
「傷薬、こっちの薬草は千切って水に混ぜるといい眠気覚ましになるんだ。」
「そう言えば薬草煎じるのが得意って聞いたけど、それ、カイが自分でやったの?」
ブレッドから聞いたのか、ベルベロが尋ねると、カイは頷いた。
「山で暮らしてた頃に師匠と色々試して……。売ってるのみたいに染みないし効きますよ。」
「へぇ……さすが大魔導師の弟子ですね。魔法使い目指す人間って、大概他はてんでダメなんですよ。」
「そうそう、まーそれもこれから変わってくと思うけどね。」
ベルベロが何やら確信めいて言う。……カイは気になったが、クローゼアはそれよりもカイの胸に下がった、大きな緑色の石を指差した。
「これって……翡翠ですよね?」
「あー……うん、そ。預かり物で……。」
無駄に狙われる要素は増やしたくないのだが、アズリルに持たされた。なるべく人に見せないようにしたいが、あまり見えない位置ではいざという時効力を発揮しないらしい。だからせめて翡翠であることを隠しておきたかったが、クローゼアはいいとこの育ちだから嘘を吐いてもわかるだろう。
「ふうん。……プロテスとかには見つからないように注意した方がいいですよ。いい宝石は魔法使いにとって色々利用の道ありますから。」
「ああ、幻術系の魔法に使うらしいっすね。……プロテスも使えるんだ。」
……彼は見たところ爆発とかが得意なように思えたのだが。クローゼアは「うーん」と首を捻った。
「あの人性格あんなんだけど、もうすぐ修行始めて十年目で、魔導師認定も出るんじゃないかって言われてる人だから……。それに呪文も杖もいらないレベルだったら、幻術系の魔法は楽勝ですよ。」
そう言ってクローゼアは「炎の地獄――」とつぶやき、手を振った。……途端、教室は消え、熱い炎に囲まれる。ベルベロが「熱ぢー」と言って人差し指を振ると、炎は揺らめき、元通りの教室がそこにあった。
「ダードリの娘だったら、君ももうすぐ十年でしょう?」
「一応十年目ですけど、炎なしだと物体操作の魔法がなかなか……。呪文もないとやりづらいので、魔導師認定されないまま追い出されそうです。」
軽く肩を竦めてみせる。魔術学校にいられるのは、初期修行を始めてから十年が限度だった。
「そういえば、」と思い出したように、くるりとカイを向く。
「逆さ式呪文なんですね。レント様もそうなんですか?」
「え?あ、はい。師匠魔法あんま見せてくれることないんすけど、逆さ式使ってるみたいなんで……。」
本来、イメージに沿う言葉をそのまま呪文とした方が、周囲の人間にもイメージさせることができ効率的だとされたが、ごくごく一部の魔法使いたちは逆さ式と言い、わざわざイメージに沿う言葉を逆さにした言葉を呪文にする。普通の呪文に比べて魔法の発現が難しくなるとされているが、逆さにする分イメージを練る時間ができ、より質の高い魔法になるのではとする学説もあった。――カイの場合、単純にせっかく弟子だからと、レントの真似をしているだけなのだが。
「ガルガレント様の家系って、代々逆さ式だと父が言ってました。レント様はあまりガルガレント様と仲がよくないと聞いていたので、逆さ式使ってるのは意外です。十年前の出奔も、ガルガレント様と喧嘩してのことだと聞きますし。」
「へぇ……。」
実際、レントは父である元魔帥ガルガレントの話を全くしない。話題に出てくると決まって嫌そうな顔をする。――以上からカイも、父と仲違いしているものだとばかり思っていたのだが、単純にそうとばかりも言いきれないのかもしれない。カイは師の家庭事情なぞ、全く知らなかった。……あまり踏み込むべきでもないだろう。
ガランガラン――。鐘の音が鳴り響く。はっと、クローゼアは外を見やった。
「いけない――!父に早く帰るよう言われてるんです。長々すみません、失礼しますっ!」
そう言うと、手早く杖を懐にしまい、慌ただしく教室を出て行く。
「僕たちも帰ろうかー。リーンとムセカさんが外で待ちわびてるよー。ブレッドも多分暇持て余してるだろうし。」
「そうっすね。」
今日の修行に使っていたコップを手に持ち、ベルベロと並んで教室を出る。窓の外は既に薄暮に包まれつつあった。




