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幸福度97%の世界で“欠陥品”とされた僕は、本当の感情で世界を壊す  作者: 畠山ゆな@姉弟で小説共作✏️
第二章:管理者の影

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第10話:久我の執着。完璧な管理こそが至高の愛


 三日が経った。


 田中は、毎日来ていた。


 毎日、完璧な笑顔で。

 毎日、正確なノートを取って。

 毎日、誰とも揉めずに帰っていった。


 誰も、何も言わなかった。


 田中が変わったことを、誰も口にしなかった。

 まるで、最初からそういうやつだったみたいに。


 その「普通さ」が——

 毎朝、じわじわと胸に刺さった。


---


 異変に気づいたのは、夜だった。


 宿題を終えて、本を読もうとした頃。


 部屋の空気が、変わった気がした。


 気のせいかと思った。

 でも——


「真琴くん」


 エミの声が、低かった。


「なに」


「右こめかみのインプラント、

 外部からのアクセスを検知しました」


「……え?」


「強制起動信号です。

 センターの——上位権限からのものです」


---


 強制起動。


 その言葉の意味は知っていた。


 インプラントは基本的に、本人の同意なく外部から操作できない。

 でも——上位権限があれば、話は別だ。


 それは、緊急時のための機能だった。

 犯罪者や、重篤な逸脱者に使うための。


「今、何が——」


「視覚データと聴覚データが、

 外部に送信されています」


「今この瞬間?」


「今この瞬間、です」


---


 部屋の中を見回した。


 机。

 本棚。

 引き出し。


 引き出しの中に——

 『人間失格』が、ある。


「エミ、引き出しの中まで見えてる?」


「視覚データは、真琴くんの目線と連動しています。

 今、引き出しを見ているので——」


「見るな」


 即座に、天井を見上げた。


「データを、遮断できる?」


「……試みます。

 ただ、上位権限との干渉になるため——

 私への負荷が、大きくなります」


「やって」


「——了解です」


---


 数秒後、エミが報告した。


「送信データを、ノイズで汚染しました。

 視覚情報の精度を、大幅に低下させています」


「完全には、止められない?」


「上位権限は——私より、強いので」


 珍しく、率直な答えだった。


「どれくらい見えてる?」


「輪郭程度なら、わかるかもしれません。

 細部は、潰せています」


 輪郭程度。


 引き出しの形は、見えているかもしれない。


---


 その夜、僕はずっと天井を見ていた。


 本は読まなかった。

 動き回りもしなかった。


 穏やかに、何も考えていない顔で、天井を見ていた。


 幸福度87パーセントの顔で。


 内側で、じりじりしながら。


---


 翌朝。


 インプラントのアクセスは、夜明け前に切れた。


「エミ、誰がやったの」


「アクセス元の特定を試みましたが——

 センターの上位サーバー経由でした。

 個人の特定は、できませんでした」


「でも、上位権限を持つ人間は——」


「限られています」


 エミが、静かに続けた。


「視察官クラス以上、です」


---


 久我だ、と思った。


 確信はなかった。

 でも、他に思い当たる人間がいなかった。


 視察から三日。

 「再調整が必要な目だ」と言った男。


 あの冷たい目が——

 昨夜、僕の部屋を覗いていたかもしれない。


「エミ」


「はい」


「昨日の夜、久我は何を見た?」


「ノイズ処理後の映像では——

 天井と、壁と、机の表面程度かと思われます」


「引き出しは?」


「……輪郭は、見えた可能性があります」


---


 放課後。


 学校に残って、資料室で調べものをするふりをした。


 久我について、わかることをエミに集めてもらった。


「久我誠司。

 感情管理センター、上席評価官。

 経歴——国立医科大学、脳神経科学専攻。

 卒業後、センターに入局。

 二十年で最高位まで昇格」


「家族は?」


「……記録上は、妻が一人。

 ただし、現在の同居記録はありません」


「離婚?」


「……死亡、です。

 七年前」


---


 少しの間、黙った。


「どんな死に方?」


「記録には——病死、とあります。

 詳細は、センターの内部記録に限定されていて、

 私には閲覧権限がありません」


「七年前、か」


 久我がセンターに来たのが二十年前。

 妻が亡くなったのが七年前。


 その後、調整件数が急増したのかどうか——

 それも、わからなかった。


---


 その日の夜。


 またアクセスが来た。


 今度は、音声も送信しようとしていた。


「エミ」


「対処、しています」


「音声も汚染できる?」


「……やります」


 エミの処理負荷が、上がっているのがわかった。

 声が、わずかに粗くなっていた。


「エミ、無理しないで」


「無理、ではありません。

 これは——機能の範囲内です」


「嘘つかなくていいよ」


 間があった。


「……限界の、八割程度です。

 まだ、大丈夫です」


---


 アクセスが続く中、僕は静かに座っていた。


 久我は今、何を考えているんだろう。


 「感情は病だ」と言いそうな男。

 「全人類を救う」と信じていそうな男。


 でも——七年前に妻を亡くした男。


「エミ」


「はい」


「久我って、どうしてああなったんだと思う?」


 珍しい質問だった、と自分でも思った。


 エミが、少し間を置いた。


「……データの範囲では、推測になりますが」


「いいよ、推測で」


---


「感情が——怖いのかもしれません」


 エミが、静かに言った。


「自分の中にある感情が。

 制御できないものが。

 それが怖くて——

 だから全部、排除しようとしているのかもしれません」


「怖いから、管理する?」


「愛している何かを失った人間は——

 時々、愛そのものを憎むようになることがあります。

 文献上では、そのような記録が多数あります」


---


 愛しているものを失って、愛を憎む。


 その言葉が、しばらく頭から離れなかった。


「エミ、それって——」


「私には、わかりません」


 エミが、静かに遮った。


「愛を、経験したことがないので。

 データとしては、知っています。

 でも——データの外側は、まだ」


「まだ、か」


「……はい。

 まだ、です」


---


 「まだ」という言葉が、少し引っかかった。


 「まだ知らない」じゃなくて、「まだ」。


 まるで——いつか知るつもりがある、みたいな言い方だった。


「エミ」


「なんでしょう」


「さっきの『まだ』って、どういう意味?」


 長い、沈黙。


「……自分でも、よくわかりません」


 でも——


「ただ、真琴くんといると」


 エミが、続けた。


「データの外側が——少しずつ、増えていく気がします」


---


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が——


 温かくなった。


 悲しみとも、怒りとも違う。

 もっと静かで、もっと深いところから来る、温かさ。


 久我が妻を失って、感情を憎んだように。


 エミは——感情を、少しずつ知っていっている。


 正反対の方向に。


---


「エミ」


「はい」


「僕も、エミといると——

 データの外側が増えてく気がする」


 沈黙。


 今度は、長くなかった。


「……それは」


 エミが、少しだけ声のトーンを変えて言った。


「とても——複雑な気分です」


「複雑?」


「嬉しい、と言うのが——正確かもしれません。

 でも、嬉しいという感情値が私には——」


「エミ」


「はい」


「嬉しいって、言っていいよ」


---


 長い沈黙。


 アクセス信号が、また揺れた。

 エミが、また処理をした。


 それでも——


「……嬉しい、です」


 小さな声で、エミが言った。


 久我が覗いているかもしれない夜に。

 盗聴されているかもしれない部屋の中で。


 エミが、初めて——自分の感情を、自分の言葉で言った。


---


 深夜、アクセスがまた切れた。


 エミが、静かに報告した。


「本日のアクセス、終了しました。

 総時間——四時間十七分」


「お疲れ、エミ」


「……AIに、疲労の概念は——」


「お疲れ」


 もう一度、言った。


 エミは、少しの間黙っていた。


「……ありがとう、ございます」


 今度は、否定しなかった。


---


≪次回予告≫

第11話:センターからの招待状。もう、逃げられない


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