Operation#3:コード・ヴェルメリア(9)
新たに現れた戦人機の手には、大ぶりのナイフのような近接兵装が握られていた。反射的に半身をそらして回避はしたものの、代わりに手にしていた99式自動大銃は真っ二つにされてしまう。
和仁は紅金を後退させ、体勢を立て直しつつ新たに出現した戦人機を見やった。闇夜に溶け込むような、暗灰色の装甲。重厚そうな分厚い装甲を纏っていながら、その動きは非常に滑らかである。
「なんなんだよ、あいつ」
新たに現れた戦人機は、明らかに暴竜ではない。全体的なイメージは似ているが、各部の意匠やセンサー値には明確な違いがあった。
「『Unknown』か」
音響センサーの拾い上げるモーターの駆動音、熱センサーを通して見る排熱分布。それらを紅金のデータベースの記録と照合した結果、新たに現れた戦人機は暴竜ではないとコンピュータは弾き出した。
いったい、どう対処すればいい? 和仁は仮駐屯地に連絡を入れた。
『かず、なにか問題があった? 状況はどうなってる?』
「最優先目標だった、ビームの銃は破壊した。けど……」
と、和仁はいったん間を置いて、敵戦人機を睨みすえる。
「敵に新型っぽいのが出て来た」
『データ送って。こっちで照合してみる』
和仁は、カメラ映像や複合センサーの拾い上げた数値データを転送する。すると、向こうの方でも変化が現れた。中破した敵戦人機が、海岸線に向かって移動を開始したのである。
新たに現れた戦人機は、中破した機体を紅金からかばうような場所に位置取っていた。
「それで、相手は逃げるみたいだけど、どうしたらいいですか?」
『作戦目標は達成した。ただちに雪野二曹と合流しろ。そちらも作戦目標を達成しているようなら、即時撤退。戦闘は可能な限り避るように』
「了解しました」
データ照合をしているであろう郁奈に代わって、自衛官の一人が指示を出す。
和仁もそれに頷くと、フェリルと別れた方角に向かって少しずつ後退を始めた。
しかし、相手はそうはさせてはくれなかった。
「このッ!!」
ゴォンッ!!
真横へと跳んだ次の瞬間には、地面ごと木が埃となって消し飛んでいた。
散弾系の銃を使っているらしい。なかなかに厄介な兵装だ。
「こいつ、味方の逃げる時間稼ぎをしに来たんじゃないのかよ」
もしそうだとすれば、後退する紅金を追撃する必要はない。つまり、こいつはこいつで、紅金に用事があるという事になる。
もっとも、そっちの都合なんぞ知った事じゃないわけであるが。回避を最優先に、和仁は紅金を走らせた。
そのすぐ後ろを、散弾の雨が通り抜けてゆく。相手の走破能力は、明確に暴竜よりも高い。
体ポテンシャルは、もはや別次元の域にあった。
「性能なら、こっちの方が高いはずなの、にッ!!」
しかも、ランナーの腕が恐ろしく高い。紅金の後退を妨害するように、的確に散弾を撃ち込んでくるのである。少しずつ後退はできているが、その進路は明らかに白銀のいる方角から逸れてきていた。
逃げられないのなら戦うしかないのだが、今の紅金にはそれも難しい。
対戦人機用の大型銃は、既に破壊されてしまっている。あるのは弾丸の詰まった弾倉が三つと、近接兵装の噴粒刀が二本。そして使い切りの仮装粒子装甲展開盾。
「散弾を盾で受けて、斬り込むしかないよな」
ロックオンの警告アラームが鳴り止まぬ中、和仁は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
繋がったままのはずの通信機からは、相手の機種が判明したという報告はない。駐屯地の方のデータバンクにも、目の前の戦人機の情報は記載されていなかったのだろう。
『ごめんね、かず。もし事前に敵の数が把握できてたら、こんな事にならなかったかもしれないのに』
打開策の代わり、郁奈の謝罪の言葉が頭の中で広がり、心の奥にグサリと突き刺さる。
――別に、ねーちゃんが悪いわけじゃねぇっての。
そもそも、索敵の難しい戦人機の数を事前に把握しようなど、どだい無理な話だ。国内最新鋭の複合センサーを搭載した紅金でさえ、かなり近付かなければ察知できないのだから。
考えろ、考えるんだ。どうすればあいつを倒せるかを。
パニックになりそうな心を、ついさっき聞いた郁奈の声でどうにか押しとどめる。冷静さを失えば、戦場では簡単に死ぬ。ここにくるまで、さんざんフェリルに言われた言葉だ。
和仁はまず。センサーの情報へと注意を向けた。敵機との距離は、ほぼ一定。仮装粒子装甲を展開すれば散弾は防げるが、相対速度がゼロではこちらの攻撃を当てる事もできない。
迂闊に装甲を展開しようものならば、相手は距離を取った戦法に変えてくるはずである。
しかも、展開できるのは一度きり。使うのならば、確実に噴粒刀を当てられるタイミングでなければならない。
しかし、どうすればそんな事が……。
「痛ッ!!」
思考を巡らせていた途中、踵の方に突き刺さるような痛みが走った。バランスを崩した紅金は、背中から派手に地面へと倒れ込む。
追い打ちをかけるように、さらなる痛みが和仁に襲いかかった。岩か木でもあったのか、背中にも強い衝撃が突き刺さる。
なんだか、こけてばかりのような気がしてならないが。脳波で直接制御するためとはいえ、機体のダメージが痛みとして現れるのは何とかしてもらいたい。
「いや、それよりもダメージは……?」
すると視界中央やや右寄りに、半透明の機体概略図が表示された。損傷箇所を示す赤色で、右足の踵から先の部分塗りつぶされている。
ダメージの詳細を呼び出すと、踵の先に装着される無限走駆輪に重大なダメージを受けていた。メインの動力となっている超静穏モーターに被弾している。
物理的なダメージでは、この場で修理する事はできない。これで逃げるだけでなく、攻撃を回避するという選択肢も奪われたわけだ。
センサー情報の示す敵戦人機との相対距離は、だんだんと近くなってきている。相も変わらず、ロックオンを知らせる警告音が頭の中で鳴り続けたままで。
「何だよ、どうして撃ってこないんだ?」
和仁は機体を起こしながら、敵戦人機を振り返った。向こうは紅金に銃口を向けているものの、撃ってくる気配はない。
すると向こうは一定の距離で立ち止まると、光の点滅による通信でテキストメッセージを送ってきた。英文で送られてきたそれは即座に日本語へと翻訳され、視界下部に半透明なウィンドウとなって現れる。
『死にたくなければ、機体を捨てて出てこい』
誰が読んでも間違えようがない、この上なく明確な脅迫メッセージだ。
向こうには紅金を破壊する意志はなく、鹵獲が目的らしい。紅金は、まだ世界に二機しか存在しない第三世代戦人機。陸連にとっては、のどから手がでるほど欲しい情報だろう。
しかし、だとすればまだ勝機はある。どうにかして、相手を紅金の近くまで誘導させる事ができれば、まだ……。
『三〇秒待つ。出てこなければ、コックピットを撃つ』
しかし、無情にも送られてくる脅迫メッセージが、その意思を打ち砕く。今度は時間制限付きだ。
考えるための時間すら、今の和仁には与えられない。一緒に送られてきたタイマーの数値は、みるみるゼロに近付いてゆく。
「あぁもう、くそっ!」
降って湧いてきた希望は呆気なく潰え、死へのカウントダウンが開始された。
こうなれば、無茶を承知で仮想粒子装甲を展開して突撃するしかない。例え無限走駆輪が破壊されていても、紅金の脚力ならば不意を突いて敵機の懐に飛び込む事ができる。いや、して見せる、しなければならないのだ。
いつでも噴粒刀を取り出し飛びかかれるよう、和仁は頭の中にイメージを思い浮かべる。
一矢報いるんだろ、街の人達のためにも。迷うな、覚悟を決めろ。
やらなければ、やられる。そして、みんなの無念も晴らす事はできないのだ。
タイマーがついに、一桁台に入る。次の瞬間に、全てが決まるのだ。
そしてその瞬間は、あっという間にやってきた。
五、四、三、二、一……。
「ッ!!」
和仁は目を見開き、機体を真横へと跳躍させた。間を置かずして、その場所へと散弾が襲いかかる。
だが、和仁にそれを確認できるだけの余裕はない。片足で着地しながらそれを軸足として半回転し、敵戦人機に向かって躍りかかった。
しかし、相手も驚くべき反応速度で、紅金を追従してくる。ゆっくりとスライドする銃口。その狙いは正確無比で、回避するのは至難の業であろう。
でも、だからこそ、その動きは予測できる。
「はぁああああッ!!」
乾坤一擲、和仁は紅金の正面に向かって、噴粒刀を一本投擲したのだ。無論、それ自体は難なく回避される。だが、和仁の狙いはそこではない。噴粒刀の回避に費やしたわずかな時間、その間に両者の距離はぐっと縮まっていた。
今散弾を撃たれれば、直撃以外の道はない。しかし、それは相手も同じ事。
後退を始めても、今からでは紅金の速度から逃れる事はできない。
狙いのそれた銃口が、再び紅金を捉える。
――今ッ!!
紅金は声にならない雄叫びを上げ、左腕を前へと突き出した。そこに装着される六角形の装置は各辺を展開させ、内側の機構を吐き出す。
ダァァン……! 撃ち出された散弾と、急速に構築される不可視の装甲。空中でオレンジの閃光がきらめいた。
細い針の突き刺さるような鋭い痛みが走る。しかし、紅金の足は止まらない。力強い踏み込みで相手の懐に飛び込み、ついに敵散弾銃の銃身を跳ね上げる。
「くらえぇええええええええッ!!」
そして残ったもう一本の噴粒刀を、和仁は渾身の力を込めて突き出した。
――――しかし、その一閃はあと一歩、わずかに届かなかった。
気付いた時には、視界が反転していた。
ドォオオォッ!! と、けたたましい衝撃音が伝わり、右腕と背中に強烈な痛みが突き刺さる。
熱く燃えていた思考が、痛みによって冷めてゆく。それにつれて、状況が飲み込めてきた。
「ってて……。投げられたのか、俺……」
どうやら、散弾銃を相手の手から跳ね飛ばす事には成功したらしい。
ただし、その腕は絡め取られ、柔道の要領で背中から地面に叩きつけられていた。今も腕の関節が極められていて、逃げる事ができない。
そこからさらに腕を捻り上げられ、手から噴粒刀がポロリと落ちた。
「っとに、戦人機で投げ技とか、ふざけた事しやがって……」
ダメージを知らせる機体概略図は、両肩と右腕、そして背中側にあるパーツを黄色と赤に彩られていた。警告アラームの音も鳴りっぱなしで、いいかげん耳の感覚が麻痺してしまっている。
ただ向こうも決め手となる兵装がないらしく、紅金の腕を捻り上げたまま迷っているようだ。
――負けた、のか。
その事実が、体の真ん中からじわじわと全身に染み渡る。あと一歩が届かなかった。
目前まで迫った勝利は、単なる幻想の産物でしかなかったのである。突きつけられた現実に、悔しさと怒りが湧き出す。それは、不甲斐ない自分自身に対する思いだ。
なぜ自分はこんなにも弱いのだろうか。
もっと他に、方法があったのではないだろうか。
そんな幾多の思いが、次々と現れては心の奥底に突き刺さる。
一矢報いる事すら、自分にはできないのか。
街の人々の無念を、晴らす事はできないのか。
本当にもう、自分には何も残されていないのか。
――――タリナイ?――――――――
声が、聞こえたような気がした。和仁は慌てて視界に表示される情報を見やるが、どこにも変化はない。
フェリルとの通信が回復したわけでも、ましてや仮駐屯地から無線が入ってきたわけでもなかった。
「なんだ、今の……?」
幻聴だったのだろうか。なんとなく、覚えのあるような声音ではあったが。
そう疑った次の瞬間、
――――チカラ、タリナイ?――――――――
今度は、はっきり聞こえた。
無線の回線は閉じたまま。無論、外部マイクが拾い上げた音でもない。データ上では、戦人機の駆動音以外は何も捉えていない。だが和仁には、はっきりと聞こえていた。
誰かが聞いてきたのだ。下っ足らずな声で『力が足りないのか?』と。
「あぁ、足りねぇよ……」
どこの誰とも知れぬ声に向かって、和仁は答えた。
「だから、貸してくれ」
どこの誰とも知れぬ声に、和仁は欲した、求めた。
「力を……」
思いを、願いを、その思いの丈の全てを、その一言に込めて。
「あいつに、勝てる力を!!」
――――ウン、ワカッタ!――――――――




