Operation#3:コード・ヴェルメリア(8)
日の落ちた山道を、一陣の風が通り抜ける。いや、風ではない。人影である。
ただしそれは、人と言うにはあまりにも巨大な影であった。
『カズヒト、そろそろ敵戦人機との会敵ポイントに入るから、紅金の制御系を自動追走モードから脳波制御モードに切り替えて』
一機は純白、もう一機は白地に深紅のアクセントが目を引く。
人型戦闘機甲、一般には戦人機と呼ばれる兵器である。それは第二次世界大戦以降『陸の王者』の座に君臨し続けていた戦車をその座から引きずり下ろした、現在最強の陸戦兵器だ。
「了解。自動追走モード、オフ……っととっ!?」
後方の一機が、突然バランスを崩した。が、すぐに持ち直す。
全ては、搭乗者たるランナーが未熟だからに過ぎない。
『大丈夫?』
「な、なんとか。サンキュー、フェリル。ここまで誘導してくれて」
超静穏モーターによって脚部に装着された車輪――無限走駆輪――を駆動させる両機の音は、時速二〇〇キロにも達する速度で爆走しているにもかかわらず恐ろしいほどに小さい。
またその全高も、これまでに開発されたどの戦人機よりも小さかった。
『そんな事はどうでもいいから。それで、各センサーに反応はある?』
それもそのはず。この二機は対人型戦闘機甲戦闘を念頭に置かれて開発された、まだ世界にたった二機しか存在しない第三世代型の機体なのだから。
「さっぱり。どの数値にも変化はな……いや、たった今動体センサーに反応があった! そっちにもデータを送る!」
『紅金のデータを元に、索敵範囲を限定、各センサーの閾値を更新………………動体センサー及び、音響センサーに感有り。やっぱり、センサー系は三笠陣営のほうが優秀みたいね。残念』
後方の戦人機からのデータリンクを得て、前方の戦人機は捜索範囲を限定して拾い上げるセンサーの値を変更する。そこからさらにノイズの補正を行うと…………見つけた。
動体センサーと音響センサーに、わずかながら反応がある。
「そういうのは開発者に言ってくれ」
前方の戦人機は、前回の戦闘で入手した暴竜の音紋と、現在自機の拾い上げている音紋とを照合。一致率68.4%。これはもしかして、暴竜とは違う機体かもしれない。
『全部で三機、かぁ。音紋が完全一致しなかったのは気になるけど、いくわよ、カズヒト。準備はいい?』
「できてなくたって行くくせに……」
前方の戦人機ランナーも、手動制御モードから脳波制御モードに操縦方式を切り替える。ただし、こちらの機体は一切ぐらつく素振りを見せなかった。
両機は、それぞれの対戦人機用の大型銃へと手を伸ばす。脳波制御によって伝わる大銃の生々しい感触に、後方戦人機のランナーは思わず息を飲んだ。
『もちろん、そうに決まってるでしょ。ワタシは二機の方をやるから、カズヒトは一機になった方をお願い。初手は、打ち合わせの通りに』
「あぁ、こうなったらやってやるよ! ちくしょう!」
そして二機の戦人機、白銀と紅金は、音もなく戦場へと舞い降りた。
その瞬間は、何の前触れもなくやって来た。
海岸線を目指して山林を横切っていた暴竜達。その最後尾の機体の動体センサーが突如として駆動する構造物を検出したのである。熱センサーにも音響センサーにも反応はない、異様な結果だ。
普段ならば、センサーのノイズと判断していただろう。しかし、今回は違う。
撃破された陸連の機体より送られた、先の戦闘で得られた新型機との戦闘データがある。小型にして高出力、これまでとは別次元の静穏性と断熱性を備えたそれは、暴竜のセンサーを容易に欺くだけのポテンシャルを秘めていた。
応戦体勢へと移行しようとしたその矢先、大口径の弾丸が機体をかすめる。15.2mm弾が、ショルダーアーマーを容易く食い破った。
そして、まるで闇夜を切り裂くように、一機の戦人機が現れる。白銀の名を冠された純白の機体は、再び殺戮を振りまくべく彼らの前に現れた。
『ちっ、外した!』
通信機越しに、殺気立ったフェリルが吼えた。まるで人格が入れ替わったかのよう。凄まじい変貌ぶりである。
そして次の瞬間には、大出力モーターのパワーと軽量なボディを生かして、白銀は大きく跳躍した。
『こんのぉおおおッ!!』
白銀の跳躍と同時に、和仁の視界が一気に開ける。暗視機能による補正のお陰で、敵機の姿をはっきりと認識できた。
そのど真ん中に向かって、和仁は大銃のトリガーを引いた。だが郁奈の言っていたように、以前より反動が強い。フェリルに聞いたところだと、弾の大きさが一回りほど大きいらしい。
不安定な射線は敵戦人機を捉える事なく、付近に着弾した弾丸は木々を粉砕した。
しかし、これも計算の内。フェリルは最初から、和仁が銃撃を当てられるとは思っていない。
『はぁあああああッ!!』
咆哮を上げながら、フェリルは両手に持った噴粒刀──カザハナ──を大上段から地面に叩きつけた。左右へと別れるようにして、三機の暴竜はそれを回避する。前に襲撃してきた連中と比べて格段に動きがいい。まるで別の機体のように動作にもキレがあった。
相手を失ったカザハナは、高速回転する粒子の刃を深々と地面に突き立てた。紅金の物と形は違うが、噴粒刀には違いない。刃との接触した地面は瞬時に融解し、灼熱色に燃え上がった。
『カズヒト!』
「わかってる!」
フェリルは敵機の分断に成功した。ここからさらに両者を引き離し、各個撃破に持ち込む。和仁は一機の方に銃口を向け、紅金を加速させた。
自分にもやれるはずだ。前に戦った時は、ろくな装備もない状態でこの何倍もの敵と戦ったのだから。
「当ったれぇえええッ!」
和仁もまた吼えながら、思い切り大銃のトリガーを引いた。この二日間の間に行ったシミュレーターで、フェリルに教わったことを思い出す。今度はしっかりとグリップを保持し、暴れる大銃を機械の膂力で押さえつけた。
暴竜は距離を取って回避するものの、僚機とは完全に分断されてしまった。
──よし、このまま一気に引き離す!
和仁は離れてゆく暴竜を追って、前進しながらさらに射撃を続けた。残り二機の暴竜は合流に向かおうとするも、その進路上に銃弾をばらまかれる。
『行かせるわけないでしょ』
和仁が両手でなんとか押さえつけている大銃をフェリルは片手で、しかもフルオートで撃ちまくる。二機の暴竜は、もう一機とは反対方向に逃げざるを得ない。
フェリルはすかさず、二機の画像情報を精査する。一機の持っている物は、米製と露製を足して二で割ったような対戦人機用自動大銃。そしてもう一機が持っているのは、
『粒子貯蔵タンクを確認。和仁、そっちは?』
「俺のぶっ壊したビームの銃持ってる」
『無理して奪還とかしなくていいから、試作粒子大銃の破壊を最優先に。破壊さえしちゃえば、あとは逃げる』
「あぁ。俺だって、慣れない戦闘はゴメンだしな」
『じゃあ、そっちは任せたわよ』
闘争心に火が点いたフェリルは、更に感情を爆発させた。それに呼応して、白銀は山林の中とは思えない速度で走り出す。
「一機しかいないんだから、大丈夫」
恐れおののく自らの体に喝を入れ、和仁も敵機と相対する。郁奈からは、海岸線に近付けないように戦えと言われている。
和仁は常に背後が海になるように、暴竜の進路上へと紅金を滑り込ませた。そして大銃を暴竜に向けて、一心不乱にトリガーを引く。
ブロォォオオオオッ……! と、重たい音がコックピットの中まで伝わってきた。
しかし、敵は巧みな機体操縦技術でそれを回避する。必死で追いかけるのだが、自分の意思が相手の動きについていかない。
「くそっ、なんで当たんねぇんだよ」
全ての弾丸を吐き出した弾倉が、大銃から自動で脱落する。和仁は腰に手を伸ばし、三つ目の弾倉を装填した。
残りの弾倉はいくつだ。左手を腰に這わせて、その感触に唖然となった。
残り三つ、もう半分近くの弾丸を使おうとしているのか。先ほどまでとは別の種類の焦りが、和仁の心臓を鷲掴んだ。
このままでは、敵を撃破する前に弾が尽きてしまうかもしれない。もっと狙いを集中させろ。向こうは壊れてしまった試作兵器を持っているせいで、ろくに撃ってこれないんだから。
傾斜や起伏の激しい地面の上を全力で走りながら、和仁は上半身を安定させようと懸命に機体を操る。
もしこれが生身だったらと思うと、苦笑が浮かんだ。機械の肉体は、生身の体以上に和仁の意志を強く反映してくれる。そして両機は、ついに起伏の緩やかな場所に出た。姿勢が一気に安定し、射線が敵機を捉える。
「いっけぇぇええええッ!!」
粒子大銃へと狙いを定め、和仁はすかさずトリガーを引く。
しかし、大銃はうんともすんとも言わない。発砲音の代わりにブザー音が鳴り、視界の右下には『銃身冷却中』と赤字のエラーメッセージが表示されていた。
「冷却中って、おい!?」
『カズヒト、もしかしてずっとフルオートで撃ってたの?』
ブザー音の中に突然、フェリルの声が割り込んで来る。
そういえば、通信機は繋ぎっぱなしにしていたっけ。
「よくわかんねぇけど、たぶん」
『あんまり銃身熱くなりすぎると変形するんだから、適度に冷まさないとダメじゃない』
「なら最初に言ってくれよ!」
『射撃モードを三点バーストに切り替えて。弾の消費も抑えられるから。それと、銃身の温度もモニターされてるから、ちゃんと見るこっ……ザザザザァ』
「フェリルッ!!」
ついさっきまでノイズすらなかった白銀との通信が、いきなり切断された。
もしかして、被弾でもしたのだろうか。複合センサーの感度を最大にしても、引っかかる気配がない。
フェリルの腕前ならば、撃破されたという事はないであろうが。
だが、和仁もフェリルの心配ばかりしていられない。紅金が射撃のできない事に気付いた暴竜は一気に反転し、攻勢をかけてきたのである。
大荷物を脇に片手で保持したアサルトライフルが、ピタリと紅金に向けられた。それと同時に、ロックオンを知らせる警告アラームが頭の中でがなり立てる。
「このっ!!」
暴竜のアサルトライフルが、ここぞとばかりに火を噴いた。フルオート射撃によって、弾倉の中の弾丸を一息に吐き出す。
しかし、紅金の動き敵機の予想を大きく上回っていた。脚部に装着されたタイヤが強力なモーターの力により、一瞬にして最高速を叩き出したのである。
敵機からは、まるで紅金が消えたように見えたであろう。もっとも、ランナーである和仁もたまったものではないが。
「……うぇぇ」
回避はしたものの、バランスを崩した紅金は山の傾斜に合わせて斜面をずるずると滑り落ちていた。急激な加速と減速に、頭が揺さぶられて気持ちが悪い。しかも首を強く打ったらしく、アークスの接続口辺りにぐさっという鋭い痛みが走った。
一旦、意識をコックピットの内側に戻して、和仁は各計器を確認する。幸いにも、センサー類に異常は見られない。その複合センサーが、斜面を降りてくる一機の暴竜の反応を捉えた。
恐らく、紅金の事を警戒しているのだろう。足取りは、かなりゆったりとしている。
「待てよ。って事は、こっちを見失ってるのか」
センサー上の暴竜の動きを見て、和仁の予想は確信に変わった。
周辺を警戒しているであろう暴竜の反応は、少しずつ紅金に近付いてきているのだ。こちらの位置が分かっているならば、近付く前に撃ってくるはずである。
対人型戦闘機甲戦を想定して開発された紅金は、第二世代機以前のセンサーに引っかかりにくいようにできている。いわゆる、ステルスというやつだ。
しかも起伏の激しい山間部で木々があちらこちらに生えている環境は、センサーにとって最悪の環境でもある。それでも紅金が暴竜の反応を捉えられているのは、さすがは次世代機といったところか。
唯一の心配は、動く物体を感知する動体センサーであるが、それもこちらが動かない限りは探知される心配はない。敵がこちらを補足できていない今こそ、絶好のチャンスである。
意識をコックピットに戻した和仁は、スティックを操作して目──ツインカメラ──だけを動かす。赤子のように足元のおぼつかない暴竜の姿が、暗視機能を介して鮮明に見てとれた。
それと同時に、銃身の状態もチェックする。射撃可能状態まで、三〇秒少々。
それまで、どうか気付かないでくれ。突然降って湧いてきたチャンスに、緊張は最高潮へと達する。激しい動悸に胸が痛み、口の中がからからに乾く。
まだか、まだなのか。だんだんと近付いてくる敵機の存在に、引き金を引きたい衝動に駆られる。しかし、大銃のセーフティーが働いている以上、それはできない。やったとしても、敵の動体センサーに探知されて撃たれるだけだ。
彼我の距離は既に五〇メートルを切っており、いつ探知されてもおかしくはない。和仁の乗っている機体が紅金でなければ、既に見つかっていたであろう。
手の甲で額を拭うと、自分が想像していた以上にびっしりと汗をかいていた。拭えなかった汗が、じゅわっと目にしみる。機械の体は汗かかないから気付かなかったなと、危機的な状況にも関わらず思わず笑みが浮かぶ。
相対距離が、ついに三〇メートルを切った。和仁はもう一度額の汗を拭うと、意識を紅金の操縦に戻す。
ついさっきまでモニター越しに見ていた映像が、何万倍も鮮明になって映し出された。
いつでも手元の大銃を撃てるように、和仁は狙いを絞る。狙うのは敵本体ではなく、手に持った粒子大銃。
それを撃ち抜くには、どの方向にどれだけ大銃を動かせばいいのか。各種センサーが拾い上げる数値を演算し、搭載されるコンピュータが瞬時に答えを弾き出した。
「はやく……」
銃身の温度が安全域に下がるまで、あとわずか。既に秒読み段階に入っている。
しかし、それは相手が紅金を発見するまでのタイムリミットでもある。間延びしてゆく時間感覚に、焦りばかりが募ってゆく。
「はやくしろよ……」
永遠にも感じられた十数秒。だが、それは唐突に終わりを告げた。
「くそッ!!」
目が合った。直感的に、和仁はそう感じた。
相手はさぞ驚いた事だろう。センサーには全く反応がないのに、目の前に紅金がいたのだから。その動揺は、戦人機の動きにも如実に現れていた。和仁は即座に紅金を立ち上がらせるが、目の前の暴竜はそれに付いてこれていない。
そしてついに、銃身の温度が安全域まで低下した。
和仁は事前に予測していた座標へと、大銃を動かし、
「当ったれぇええええええええッ!!」
渾身の力でトリガーを引いた。フェリルに言われていた三点バーストの存在などすっかり忘れて、破壊の暴力が無慈悲にも暴竜へと襲いかかる。
二〇メートル以内という超至近距離だ。フルオートで撃ち出された弾丸を回避するのは、例え白銀であっても不可能だろう。
直径15.2ミリの弾丸は敵機の脇腹を穿ち、肩を穿ち、肘を穿ち、そしてついに、奪取された粒子大銃を捉えた。装甲などまるでない粒子大銃はまるで材料にでも逆戻りするかのように、粉微塵となって消し飛んだ。
「………………やった……!」
和仁の中で小さな、でも確かな喜びが広がった。
これで第一目標はクリアされた。弾丸もまだ残りがある。
敵機は左肩が根元から食い破られており、内部機関が剥き出しになっていた。破断面の一部からは、やや粘度のある液体がどろどろと噴きだしている。
「これなら、やれる」
和仁は敵機の乱れ撃つ弾丸を後退して回避しながら、狙いを定めた。
戦人機は人型であるがゆえに、重量のバランスには敏感だ。例え腕一本分の重量であろうと、それは致命傷となる。作業用の人機ではあるが、和仁はそのバランスの重要性を今年に入って嫌と言うほど経験してきた。
今頃は機体の重心変化に対応できず、コンピュータがエラーを吐きまくっている事だろう。その証拠に、片腕を失った暴竜の動きは劇的に鈍くなっていた。
損傷に弱い兵器だなんて、郁菜が聞いたら腹を抱えて笑うだろう。弾丸は数発しか残っていないが、弾倉を変えるまでもない。
――街を無茶苦茶にしたお返しだ。
くすぶっていた怒りの炎が、一気に燃え盛る。脳裏には焼き付いた景色が、破壊の限りを尽くされた街の姿が反芻された。
この一発は、色々な人の思いが込められている。破壊された街の人達の、あの戦いで犠牲になった人達の、そして避難所での暮らしを余儀なくされた人達の。
敵の戦人機を一機撃破したところで、それがチャラになるとは思っていない。所詮は自己満足でしかない事も、重々承知している。
だが、そう思っていけないわけでもない。それを心の支えとして戦う事に、なんら問題は存在しない。思いの丈の全てを乗せて、和仁は人差し指に力を込めた。
しかし、
『ピー! ピー! ピー! ピー! ピー! ピー! ピー! ピー!』
突然の警告アラームが、頭の中でわめき散らした。
反応先の記されたマーカーを、反射的に追いかける。動体センサーに反応あり。方向は、
「真上!?」
その瞬間、紅金の直上から一機の戦人機が降ってきた。




