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42:狐とお祭り!+おまけ

 狭間に来て初めての夏——

 風に吹かれてチリンチリンと鳴る風鈴を眺めながら、私は自室で柊にもらった朝顔柄の浴衣を着付けていた。頭には、浴衣に合わせた色の花簪を挿している。

 柊は、私のことを「お嫁さん」から「薊ちゃん」へと呼び変えるようになった。本物の母親以上に母親らしい柊が、私は好きだ。いつも子供の姿だけれど……

 普通の母親は、こういうものなのだろうかと時々考えてみるが、やっぱりよく分からない。


「ふふふ、やっぱり。薊ちゃんには赤が似合うわぁ」

「ありがとう、ございます」

「いいのよ。あなたは、もっと他人に甘えることを覚えなさい」


 柊にお礼を言った後、赤い浴衣を着た私は、彼女と一緒にそれを菖蒲に見せに行く。


「坊、出来たわよ! 浴衣の薊ちゃん、色っぽいわよぉ!」


 縁側を通って菖蒲の部屋へと出向くと、待ち構えていたのか、同じく浴衣姿の菖蒲が嬉しそうに私の両手を取った。


「本当だ。とても似合っているよ、薊」


 菖蒲の言葉に、私はお礼と笑顔を返す。菖蒲の後ろでは、薄がケーキを食べていた。彼は、大の甘党なのだ。


「それじゃあ、送ってやるか」


 ケーキを食べ終えた薄が立ち上がり、何もない空間に手を翳すと、人一人が通れるくらいの穴が開いた。別の世界同士を繋ぐ穴だ。

 以前、新婚旅行に行った際も、この境界の穴を通って狭間と人間の世界を行き来した。私と菖蒲は、迷いなく空間の繋ぎ目を通り抜ける。


 今日は、人間の世界で大規模な花火大会があり、今から菖蒲と一緒に、それを見に行くのだ。

 近頃の私達は、狭間以外にも外出するようになっていた。とは言っても、毎回三日以内に狭間へ戻って来なければならないが。

 人間の世界、狸の世界、春が終わってからは鴉の世界にも出向いた。

 けれど、躑躅に会うことはない——


 菜々子の話は、薄から直接聞いた。ニュースで妹の失踪を知った私が狼狽しないようにと、彼が予め真相を教えてくれたのだ。

 話を聞いた当初は驚いたが、菜々子がそれを選ぶのならば、私に止める理由はない。


 妹の話の他に、椎の話も聞いた。

 テレビやネットで自分の犯した罪が全国に公開された椎は、家族ごと余所へと引っ越したそうだ。彼の祖母のいる田舎へと移ったらしい。

 しかし、イケメンである椎の顔は目立ち、私のときよりも有名になってしまっていた。自分の素性がバレるのを恐れた彼は、それ以来、服装が地味に変わり、伸びた前髪で顔を隠すようになったという。


 顔と言えば……

 私は、巾着の中に入れた手鏡を取り出して、自分の顔を見る。

 うん、やっぱり別人のようだ——

 近頃の私は、自分の顔はこんな風だったかと不思議に思うことがある。確かに、今までの自分の顔に通じるものはあるけれど、どこかが違って見えるのだ。

 なんと言うか、どんどん菖蒲に影響されていっているような——


 妙な色気と妖しさを併せ持った金色の瞳(今は、人間の世界に合わせて黒くしているけれど)、以前よりも状態の良くなった色白の肌、紅を塗らなくても紅い唇。

 以前はコンプレックスだった顔が、どういう訳か平均よりも整って見える。

 まるで、人の姿をした天狐みたいな顔だ。


「どうしたの? 薊」

「いえ、なんだか……私の顔が変化しているように見えて」

「……化粧の所為じゃないかな」


 菖蒲が、長い睫毛を震わせながら、私の顔を覗き込む。

 艶っぽくて怪しい——天狐独特の表情だ。


「そうなのかな。菖蒲が言うのなら、きっとそうですよね?」

「薊は、通常の人間よりも、天狐の力の影響を受けやすい体質なのかもしれない」

「え?」


 天狐の影響って?

 疑問符を浮かべながら菖蒲を見上げると、彼は目を逸らして不意打ちで私の頬に口づけた。驚いた私は、質問どころではなくなってしまう。


「何でもない。向こうに屋台が出ているよ、薊は何か欲しいもの、ある?」

「ええと、あ、金魚すくいがしたいです……小さい時に一度だけしたことがあって」


 大好きな菖蒲に手を引かれて、私は下駄を履いた足でゆっくりと人ごみの中を歩く。誰も、私を気に留めない。

 この一年で、私の髪は伸びたし、柊の影響で少しはあか抜けたと思う。

 あのニュースに出ていた写真と同一人物だなんて、今となってはきっと誰も分からないだろう。


 金魚すくいで二匹の紅い金魚を手に入れた私は、片手に金魚の入った袋を持ち、もう片方の手を菖蒲と繋いで人の少ない場所へと移動する。途中で、薄荷パイプと水笛、りんご飴も買ってしまった。肉好きの菖蒲は、やはり牛串を買っていた。


 花火が上がる川縁から少し離れた場所にある、小高い丘に登る。こちらは穴場らしく、人もまばらだ。

 ここに来るまでの間に、菖蒲は屋台で様々ものを買い込んでいた……初めての屋台にかなり舞い上がっている菖蒲。嬉しくなりすぎて尻尾が出て来ないか、ちょっと心配だ。

 しばらくすると、大きな音を立てて花火が夜空に咲いた。周囲の人間が、一斉に空を見上げる。


「私……こうして、誰かと一緒に花火を見るのは初めてです」


 そう言った私の言葉に、菖蒲は、はにかんだように微笑みながら答えた。


「それは、私も一緒だよ。千年も生きているのに初めてだ——また、二人で出かけようか?」

「はい。菖蒲と一緒に出かけるのは、楽しいです。二人で、たくさん「初めて」を経験出来ると良いですね」


 丘の上に座りながら、私達はそっと手を繋ぐ。皆が花火に夢中で、地上に目を向ける者は一人もいない。

 並んで夜空で花開く明るい光に照らされながら、私達は来年もここに来ることを約束した。



※おまけ※


 夜の寝室で、ふさふさの黒い尻尾が誘うように私に触れる。

 私は花火大会から戻り、風呂に入り、今から眠るところだ。障子越しに、薄ぼんやりとした月明かりが、部屋に差し込んでいる。


「菖蒲?」


 二つ並べた花柄の布団。いつも、私が赤色で、菖蒲が紺色の柄の布団を使う。

 けれど、いつもより菖蒲との距離が近いように感じた。気の所為ではない。

 だって——彼が、ほぼ私の布団に侵入している形なんだもの……!


「薊……」


 艶やかな笑みで流し目を送りながら、菖蒲が私の髪を撫でる。


「……あ、あの?」


 何をしているのか質問する前に、視界がぐるりと回転し——

 気付いた時には、私は布団の中で菖蒲の下敷きになっていた。

 

「菖蒲、重いです。退いてください」

「薊は良い匂いだね」


 首元に顔を近づけて、私の匂いを嗅ぐ菖蒲……とてもくすぐったいけれど、下敷きの状態ゆえに逃げ出すことは不可能だ。

 しばらくして顔を上げた彼の目は、妖しく光っていた。

 狐は、夜目が利く。狐と同じく金色の目になった私も、それは同じだ。闇の中でも菖蒲の顔がよく見える。


「ねえ、まだ怖い?」


 伺うような表情の菖蒲は、そっと私に尋ねた。何のことかは、分かっている。きっと、新婚旅行の時と同じだ。

 あれから、色々なことがあった。

 例の事件は進展し、鴉は消えて、家族とは本当の意味で決別し……

 あの後、行方不明になった妹は、現在狭間のどこかにいるらしいけれど……わざわざ探す気はない。彼女のことだから、どこへ行ってもそれなりに上手くやっていくだろうと思う。


 私自身の変化も含め、多くのことが変わった。狭間で過ごすうちに、苦くて辛い記憶も徐々に薄れ始めている。

 ここには、私を傷つける者はいない。いても、菖蒲が必ず守ってくれる。


 もう、過去の出来事が簡単にフラッシュバックすることはないだろう……

 だから、私は菖蒲に向かって微笑んだ。


「怖くありません。私は、菖蒲を信用しているから」


 真摯な気持ちでそう伝えると、菖蒲は少し困ったような顔で笑う。


「そんな風に言われると、手を出しづらいね」

「菖蒲……?」


 優しく、唇が重ね合わされる。怖がらせないようにと、菖蒲は私の体をそっと撫で続けていた。

 こんな時まで、菖蒲は私の気持ちを優先してくれるようだ。


 夜は、まだ長い。

 私は決心を固め——瞳を閉じて、そのまま大好きな菖蒲に身を委ねたのだった。



 あれから五年——


 私は、すっかり狭間の住人となった。


 最近のブームは、菖蒲と一緒に様々な場所へ遊びに出かけることだ。猫の世界や狢の世界、兎の世界や熊の世界にも出かけてみた。

 余所の世界は、狐の世界よりも菖蒲に対して柔軟だ。


「菖蒲、今度は、いたちの世界へ行くんですね。牡丹(ぼたん)がいるから、あんまり動き回ることは出来ませんが……」

「平気だよ、狐の子は人間よりも強い。もう一人で歩けるし、食事も問題なく出来るでしょう? 天狐でない普通の狐なら、既に巣立っているくらいだよ?」


 私の膝には、生後一年の小さな子狐が乗っている。牡丹と言う名前の赤狐は、私達の子供だ。

 赤い毛皮に一本の尻尾を持つ雄の子狐は、すやすやと安心しきった顔で眠っていた。


「この子——牡丹は、こんな姿だけれど普通の狐じゃないのですよね? だったら……」


 私は、天狐の子育てというものがよく分かっていない。ついつい、人間の赤ん坊のつもりで牡丹に接してしまう所為か、周囲に過保護すぎると言われているのだ。


「今の牡丹は、人間の子供よりも狐の子供に近いよ。尻尾が増えるのは、少なくとも百歳を過ぎてからだね。話せるようになるのは、たぶん二年後。人型に化けられるようになるのは、私の場合は五年掛かった」

「じゃあ、あと四年はこの子は狐姿なんですね」


 私は、膝の上で丸くなっている子狐を優しく撫でる。

 大きさは、ただの子狐と変わらない……半分は人間なのに、狐姿だなんて不思議だ。

 牡丹が菖蒲のような立派な天狐になるのには、まだまだ時間がかかりそうである。


「薊……牡丹にばかりではなく、私にも構って欲しいな」


 艶やかな顔で、そんなことを言いながら凭れ掛かってくる菖蒲。

 けれども——彼が、子供の毛色が黒ではなかったことに、とても安堵していたのは記憶に新しい。菖蒲が生きている間は、次の黒狐は現れないのに……


 牡丹と同じように菖蒲を撫でてみると、彼の目がとろんと蕩けそうになった。

 そんな彼を見るだけで、胸がきゅんとしてしまう。重症だ……


 私が狭間に来て、牡丹が生まれて、益々菖蒲の周囲は賑やかになった。菖蒲が嬉しそうにしていると、私も嬉しい。


 こんな幸せな日々がずっと続けば良いなと思いながら——私は大好きな菖蒲と、彼との間に生まれた子狐を、ぎゅっと両手で抱き締めた。

これにて、鴉編も完結しました♪

最後まで読んでくださった方、ありがとうございました<(_ _)>

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