33:境界
「なんだ、お前は」
「薊の夫だよ……」
菖蒲は、私の両親をキツく睨み据える。
「薄の話では、反省している様子だということになっていたけれど……当てにならないものだね。勝手なことばかり言って、自分の意見を薊に押し付けて。薊が何の為に失踪したのかも知らないくせに」
いつも穏やかな菖蒲からは想像のつかないほど、辛辣な言葉が並ぶ。
「な、何を言っているんだ? 夫? 薊はまだ高校生だぞ! お前が娘に余計なことを吹き込んだのか! この誘拐犯!」
何かを激しく勘違いしている父の言葉に、私はぎょっとした。
「違うの! 菖蒲は、私の命の恩人で……」
「お前は黙っていろ!」
「お姉ちゃんは騙されているんだよ。こんなイケメンが夫? お姉ちゃんみたいなのが、本気で相手にされる訳ないじゃん。結婚詐欺じゃないの? そんなに雰囲気を変えて色気付いちゃってさ。詐欺に遭っているとは知らずに、可哀想……」
元家族が、口々に菖蒲を非難する。
けれど、このままではいけない。菖蒲を侮辱されて、黙ってなんていられない。
「菖蒲は、結婚詐欺師なんかじゃない! 勝手に決めつけないで! 私のことなんて何も分からないくせに、知ったような口を聞くな!」
思いがけない私の強い口調に、家族は一瞬驚いて押し黙った。
私は、今までこのように家族に意見をぶつけて反抗したことなどなかったのだ。
「高校生になるまで育ててくれてありがとう……でも、もう私はあなた達の元へは帰らない。家を出たあの日、私は死ぬつもりだったの。それを止めてくれたのが菖蒲。彼は、私に金や物を要求したりなんてしない。傍にいてくれるだけでいいって言ってくれる」
菖蒲の方を振り返ると、心配そうな顔でこちらを見ていた。
「大丈夫ですよ、菖蒲。帰りましょう」
「薊……」
「ここで帰ることにします。変なところで現実主義者だから、きっと私がここから消えても夢だと納得するでしょう」
「そうだね。薊がそう言ったからというよりも、私はこれ以上薊に傷ついて欲しくない」
どうしようもなく甘い言葉で、菖蒲は私に逃げ道を用意してくれる。帰る場所を与えてくれる。
何も持たない私は、いつだって菖蒲に与えられる心地良い環境に縋ってしまうのだ。
「菖蒲、ありがとう」
私は一歩前に踏み出すと、大好きな菖蒲の手を取った。
その様子に、いち早く異変を感じ取ったのは妹だ。
「お姉ちゃん!?」
何もない空間から、狭間との境目が開く。
「もう会うこともないね。バイバイ、菜々子」
妹を見る私の目には、多分何の感情もこもっていないだろう。
だって、もう私には菖蒲がいる。元家族なんて必要ないでしょう?
向こうだって、私みたいな出来の悪い娘は不要な筈だ。いてもいなくても同じ、それが私。
「お姉ちゃん! そっちへ行っちゃ駄目!」
珍しく、妹が焦ったような大きな声で私を引き止める。
昔から少し勘の強い子だったから……何となく、私が人の世界ではない別の場所へ行くのが分かるのかもしれない。
「待って!」
菜々子の声を振り切って、私は足を進める。
きっと、私のことが気になっているのは今だけ。すぐに忘れる。
寧ろ、忘れて欲しい。
私も、辛い思い出は全て忘れるから。
「さよなら」
最後に声を発した直後……
私達はあちら側へ渡り、世界を繋ぐ境目は消失した。




