31:狐と写真撮影
優しく明るい朝の日差しに照らされた私は、ゆっくりと目を開く。
いつもとは違う白い天井、床に敷く布団とは異なるベッド……
ああ、そうだ。私は旅行に来ていたのだった。
徐々に頭が状況を認識する。
いつものように、すぐに起き上がろうとした体は……しかし、すぐには動かなかった。
「ん……?」
意識は冴え渡っているのに。まるで、金縛りに遭ったように、体が持ち上がらない。
問題なく動く首だけを巡らせると、隣に整った顔があった。
「菖、蒲?」
黒い髪が、さらさらと彼の頬に掛かり、長い睫毛が金色の瞳を隠している。
菖蒲は、熟睡しているようだった。
彼の寝顔は、いつもよりも幼く感じられる。とても、千歳を超えている風には見えない。
菖蒲はとても長生きをしている筈なのに、世を達観している訳でもなく、年寄り特有の狡猾さもない。
斜に構えているところもなくて、私の知っている同年代の人間達よりも、余程まっすぐだ。
私は、彼のそんな素直なところが好きなのだ。
彼と言うフィルターを通すことにより、世界は私の知る何倍も綺麗に見える。
眠っている菖蒲をずっと観察していると、彼の腕が自分に巻き付いていることに気が付いた。
どうやら、動けない原因は菖蒲だったらしい。
まだ朝食まで時間もあるし、気持ちよく眠っている彼を起こしたくなくて、私はそのままの姿勢でじっとしていた。
「ふふ……薊。いつまでそうしているの?」
しばらくして、笑いを含んだ菖蒲の声がした。
私を抱えた腕が、小刻みに震えている。
「えっ!? 菖蒲、起きていたのですか?」
「……途中からね。薊が、あまりにもじっと私のことを見つめているものだから。なかなか起きづらくて」
「ごめんなさい……」
「謝らなくてもいいよ。おかげで、ずっと薊を抱き締めていられた」
菖蒲の言葉に、私の顔は朝からボッと赤く染まった。
そんな私の顔を見た菖蒲が、「可愛い」を連発する。更に、顔が真っ赤になった。
菖蒲は、昨日の話題には触れない。
そんな彼の態度にも、私はいくらか安心を覚えた。
朝食は、部屋で食べた。備え付けの大きなテーブルに、豪華な料理が並ぶ。
人間の世界にいるというのに、朝からとても穏やかな気分だった。
朝食を食べ終えたら宿を出て、周辺を回り、「狭間」へ帰る予定だ。
菖蒲は、あまり長く「境界」を離れられない。
「ありがとう、薊。君のおかげで、私はとても楽しい時間を過ごせたよ」
「私も、楽しかった。ありがとうございます、菖蒲」
「薊がリスクを負って、この世界を旅行先に選んでいたこと、私はちゃんと分かっているよ。それ程、心配を掛けてしまったんだね……これからは、しっかりしないと」
「リスクなんて、大げさな。菖蒲が気負うことなんて、ないですよ? 菖蒲が楽しければ、私は嬉しい……それだけです」
「本当にありがとう。薊がお嫁さんになってくれて、私はとても幸せだ」
小さなグラスに入れられた、甘いデザートを食べ終わった私と菖蒲は、ほんのりと頬を染めて微笑み合ったのだった。
優しい菖蒲が、私の「リスク」について気が付いていたのは、意外でも何でもない。
きっと、ずっと心配してくれていたのだろう。
もしかすると、私の気付かないうちに、さり気なく庇ってくれていたこともあったのかもしれない。
過ぎ去った事件とはいえ、私は、全国規模で顔の知られている人間なのだ。
悪意に満ちた報道番組や、ワイドショーで、何度も私の高校入学時の写真が使われていた。
細くて目つきの悪い眼差しの、前髪の長い制服姿の少女の写真。
前髪を切り、髪を結い、瞳の色や服装が変わっても、根本的な「私の顔」というものは変わっていないと思う。
私のことをよく知る人間ならば、今の姿を見ても、きっと私に気が付く筈だ。
朝食を終えて部屋を片付けた私達は、少ない荷物を持って旅館を後にする。
菖蒲は、人間の世界では洋服を着ている。グレーのパンツに白いシャツという、シンプルな服装だ。
対する私は、紺色のワンピースを着ている。みゃん・みゃん四月号を見た菖蒲が、「コレを着て」と言って譲らなかった服装だった。
「ああ。着物もいいけれど、やっぱり薊はそういう服装も似合うねえ」
菖蒲が嬉しそうだ。よかった、苦手なスカートものに挑戦してみて。
着ている物を褒められた私は、嬉しくなって、菖蒲と繋いでいる手に力を込めた。
「菖蒲、楽しかったですね」
「そうだね……どうしたの、薊。何か言いたげな顔をしているよ?」
「……えっと」
私は、慌てて菖蒲から目を逸らせた。
理由は、お願いする内容がちょっと恥ずかしいからと、断られたらどうしようという不安があったからだ。
「言ってご覧?」
「あの……写真、撮りたいです。菖蒲と一緒に」
写真を残す、イコール恥を残すことだと、菖蒲に出会うまでの私なら思っていただろう。
樹海に向かう際に、小、中学校の卒業アルバムは全てゴミに出したし、母が保管している家族写真の中の私の顔は、嫌々感丸出しで、いつも仏頂面だった。隣で笑っている妹の菜々子との対比が、滑稽なほど際立っていた。
ニュースで出ていた写真だって、酷い物だ。いつ撮られた写真なのか、記憶にないが。
「写真? それだけ? いいよ。あまり撮影した経験はないのだけれど、薊と一緒に写真に写るのは嬉しい」
私はポケットから、今まで出番のなかったスマホを取り出す。
薄が電池式の充電器を持たせてくれたので、今もスマホは正常に動いていた。
温泉地の看板の見える位置で、二人で並んでスマホを翳す。
ちょっと斜めになって不格好だけれど、綺麗な一枚が撮れた。
「私も欲しいな……」
菖蒲がチラリと私を見て言った。
「でも、菖蒲はスマホを持っていないでしょう?」
「……」
私の言葉に、彼は悲しそうに目を伏せる。
「薊のようにスマホを持っていないと、それは貰えないの?」
「いや、印刷して写真にすることもできますけど……」
「欲しいな……」
「……か、帰ったら、印刷しましょう! 薄にお願いすれば、たぶん大丈夫」
自分で写真を持つのはいいけれど、相手に自分の写真をもたれるのは恥ずかしい……
これも、菖蒲に会って初めて気が付いたことだった。
今回の旅行は、新しい発見がいっぱいで……私は、とても満ち足りた、幸せな気持ちになった。




