26:狐と新婚旅行!
菖蒲が酔っぱらった次の日、私は家を訪れた薄にある相談を持ちかけていた。
例の桜の木の下で、薄は腕組みをしながら顔を曇らせる。
「難しいだろうな」
「……そうですか。そんな気もしていました」
「ああ。確かに、菖蒲も数日間ならこの場所を離れても大丈夫だ。けれど、狭間に住む多くの天狐達は、黒狐を歓迎しないだろう。菖蒲も、それを分かっているから外に出ない」
鴉の一件で落ち込んでいる菖蒲の気分転換も兼ねて、数日間外出するのはどうだろうと薄に尋ねてみたのだが、現実はそんなに甘くはないようだ。
確かに、長の家でのあの状況を考えると、天狐全体がそのような価値観に捕われてしまっていてもおかしくはない。
「じゃあ、狭間以外の場所ならどうですか?」
「人間の世界ということか? それも難しいな。以前、菖蒲が人間の世界にお前を迎えに行ったときの惨状を思えば……」
「どういう、ことですか?」
首を傾げた私に、薄は説明をしてくれる。
「菖蒲は、強い結界を張ったり維持するのは得意だが、結界をくぐり抜けるのが苦手なんだ。なまじ天狐としての力が強いだけに、奴が結界を通り抜けようとすると大きな被害が出る。前のときは、自分の張った結界と狭間の一部破壊して、空間をねじ曲げて人の世界へ出ていた」
「……人の世界へ行くのも、難しそうですね」
私は、がっくりと肩を落とした。菖蒲に、そんな重大な被害を出させる訳にはいかない。
しかも、自分が人間の世界へ飛ばされた所為で出た被害を知り、申し訳ない気持ちになった。
「薊……菖蒲のことで悩んでくれて、ありがとうな。あいつの親代わりとしては、そうやって菖蒲のことを気に掛けてくれるのは嬉しい」
「薄……」
けれど、結局私は菖蒲の力になれていない。彼の役に立ちたいのに。
「それでだな。良ければ、今回は俺が力を貸そうと思う」
「……力?」
「俺は白狐だろう? 白狐は、異なる世界間を行き来する能力に長けているんだ。つまり、俺が力を貸せば、結界や狭間の一部を崩壊させずに菖蒲を人間の世界へ送り込むことができる」
「本当ですか!?」
「ああ、それが白狐の仕事だからな。今までは、菖蒲は進んで狭間以外の世界へ行こうとはしなかったが……薊が誘えば付いて行くかもしれない。俺も、世間知らずのあいつには、出来る範囲で広い世界を見て欲しいと思っていたんだ」
子供姿の薄は、嬉しそうに白い歯を見せた。
「人間の世界で流行っている、新婚旅行ってやつだな!」
※
「おかえり、薊」
薄と話し終えて家に戻ると、廊下で菖蒲が出迎えてくれた。今日の彼は、草色の落ち着いた着物を身に纏っている。
「菖蒲、ただいま」
「薄が来ていたの?」
「そうですよ。一緒に桜を見ていました」
番人である菖蒲は、結界の付近に誰がいるのかが分かるそうなのだ。
害のあるものが来た場合は、それを排除するのも彼の仕事のうちらしい。
「一人だと害鳥が出ないか心配だからね。薄が一緒で良かった」
害鳥とは、十中八九躑躅のことだろう……
「あの、菖蒲」
「どうしたの?」
「実は、今後のことで……私から一つ提案があるのですが」
菖蒲は、整った顔で不思議そうに私を見た。
「それなら、私の部屋へおいで。その方が、落ち着いて話が出来る」
「はい」
菖蒲に手を引かれて、彼の部屋へと移動する。彼の部屋から見える庭も、すっかり春仕様になっていた。
「それで、薊の提案したいことって何?」
縁側に腰掛けた菖蒲は、金色の瞳に笑みを浮かべながら、隣に座っている私の蒲公英柄の着物に手を伸ばす。
彼にさりげなく腰を引かれた私は、菖蒲にぴったりと密着する形になってしまい落ち着かない。菖蒲の着物からは、花のような良い匂いがした。私の心臓が、菖蒲にばれそうなくらい大きな音を立てている。
「あの……一緒に、新婚旅行に行きませんか?」
私の提案を聞いた菖蒲は、キョトンと首を傾げた。そんな仕草をしていても菖蒲はイケメンだ。
「何を言い出すのかと思えば……残念だけど、それは無理だよ。私はこの場所から離れられないし、狭間にある街を散策することも控えたい」
「狭間が駄目なら、人間の世界に行きませんか?」
その言葉に、菖蒲の顔が曇った。
「どうしたの、薊。人間の世界に帰りたくなった? ここが嫌になったの?」
「違いますよ。わっ、菖蒲……離してください」
菖蒲に向き合う状態で強く手を引かれた私は、彼の腕の中へと崩れ落ちる。見上げると、私を抱えた菖蒲は余裕のない悲痛な表情になっていた。
「嫌だ……」
「えっ?」
「返したくない……薊、私を置いて人間の世界へ戻るなんて薄情なことを言わないで」
戻るなんて、一言も言っていないのだけれど?
菖蒲の中で、良くない方向に思考回路が繋がってしまったようだ。
「違いますよ。旅行に行くだけですってば……人間の世界なら、黒狐に対する偏見もないでしょう? 私がこっちに持って来たお金を使うので豪華な旅とはいきませんが、小さな温泉宿くらいなら宿泊出来ます……私が菖蒲と一緒に出かけてみたかったのです。勿論、無理にとは言いません」
私の説明は、上手く菖蒲に伝わっただろうか。おそるおそる、彼の顔色を伺う。
菖蒲は、整った眉根を寄せて思い悩んでいる様子だ。
彼の悩みは、私や薄が思っているよりもずっと深刻なものだった。
番人の仕事をしていても、いつでも夫婦で一緒に出かけられるし、菖蒲だって好きに外へ行けるということを知って欲しかったのだが……嫌がる彼の背中を押してまで行こうとは思わない。
「ごめんなさい、菖蒲。ちょっと言ってみただけですから、今の話は気にしないでください」
彼を困らせたくない私は、話を打ち切って菖蒲の部屋を後にした。




