番外編 姉の失踪(妹視点)
姉が失踪した——
ある日、夕食の時間になっても姉が帰って来なかった。
もともと姉は部屋に閉じこもっていることが多いけれど、たまにコンビニや本屋に出かけて行くのを私は見たことがある。
「あいつは何をやっているんだ。こんな時間まで遊び呆けて」
「こんな時間まで、お友達のところかしらねえ」
両親の見当違いな会話に、私は呆れた。
彼等は姉のことなど何も分かっていない。
姉は、外に遊びに出たりしない人間である。彼女の遊びは、「ゲーム」や「読書」。いずれも一人で完結するものばかりなのだ。姉には友達などという存在はいない。
けれど、私は両親に何も告げることはなかった。
「お姉ちゃん、どうしたんだろうねぇ」
適当に、彼等の話に合わせておく。
だって、その方が私の印象が良くなるから。
私は姉が嫌いだった。嫌いというよりも、苦手だと言った方がしっくりくるかもしれない。
出来の良い姉は、いつだって私の重荷でしかなかったのだ。
姉の薊は、テストをすれば満点を叩き出し、徒競走では易々と一位を取り、絵を描けばコンクールに入選し、合唱コンクールでは完璧なピアノ伴奏を披露するような厭味な女だった。
同じ学校に通っていた小学生の頃は、それが苦痛で仕方がなかった。
けれど、彼女には学生生活を送るにあたって致命的な欠陥があった。コミュニケーション能力の低さだ。
もともと他人の嫉妬を受けやすい姉は、その拙いコミュニケーション能力から、中学、高校に上がるにつれて周囲から孤立していった。
両親はそんなことには微塵も気が付いていない。
いくら、学区内で一番優秀な高校に主席入学しても、化粧もしないし髪型もダサいし会話も成り立たないような女の周りに人が集まるわけがないのに。
正直、少し胸の中がすっとした。
私は、唯一姉に勝てるコミュニケーション能力を磨き、外見に気を使い、学校や家族内での地位を確立していったのだ。
少し前から姉の様子はおかしかった。私が、バレーボールの選抜に選ばれた頃だった。
泣きはらした目で帰ってきた姉に、両親は気が付かない。手のかからない楽な長女である姉には、両親はさほど気を払わないのだ。
甘え上手で、両親の親としての欲を満たしてあげられる私の方が可愛がられるのは当然のことである。
その日から、優秀な姉は不登校になった。いい気味だと思った……その時は。
バチが当たったのだと私が気が付いたのは、姉の失踪がニュースで取沙汰されるようになってからのことである。
姉の人となりが、ワイドショーで面白可笑しく報道され始めたのだ。私達家族にとっては、寝耳に水の話だった。
曰く、姉は学校の体育倉庫で度々裸になっては、男子生徒を誘惑していたとのことである。
そんなはずはない。あの堅物の姉に、そんなことができる訳がないのだ。
マスコミの話題は姉の失踪ではなく、彼女の異常な性癖の話題に重きを置くようになる。
姉の友人と名乗る人物が、モザイクの掛かった顔で、彼女についてあることないことを報道陣に告げた。
学校側は知らぬ存ぜぬを押し通していたが、ネット上では異常な早さで情報が飛び交っている。
「そんな……あの時、あの子は」
何故か、母が青白い顔でテレビ画面を見つめていた。父も同様に、言葉を無くしている。
姉は、過去に高校で強姦未遂の被害に遭っていたのだ。そのことを両親に相談したが、彼等は真に受けなかったらしい。
両親は、姉の失踪がニュースとして報道されて初めて、彼女の話が真実だったと知ったのだ。
けれど、その頃には、広まった話は収拾がつかなくなっていた。
学校では、私は姉についての話題で質問攻めに遭った。
私の話を信じてくれる生徒もいたが、悪意を持って接してくる生徒もいる。
家の前では雑誌の記者と名乗る人物に待ち伏せされたりもした。
「ねえ、菜々子ちゃん。君のお姉ちゃんは体育倉庫であんなことをしていたけれど、君自身もそういうことしちゃうのかな? 今で、何人目?」
馬鹿みたいに下品な質問をしてきた記者の目は、ギラギラとした欲と悪意に満ちていた。
私は学校へ通えなくなった。姉と同じく不登校だ。
両親も、腑抜け状態になった。
しばらくして、父の地方への転勤と私の転校が決まる。
姉の話題が下火になった頃、私は引っ越し先の近くの中学に通い始めた。
両親も、時が経つにつれて姉が家にいないことに慣れ、家族は元に戻りつつある。
そんなある日、私の前に姉によく似た女が現れた。中学からの帰り道、駅でのことだった。
私達が利用する電車は、上りは混むが下りはガラガラという電車だ。乗客の殆どが、急行が止まる私の最寄り駅で降りて行く。
だから、誰もいないホームに一人立っていたその女は、異様に目立っていた。
あの上着、量販店のダサいナップザック、靴……全てに見覚えがある。
私は改札を出ずに、姉のいる普通電車に乗り換えるためのホームに向かった。勝手に行方を眩まし、私の家庭を壊した姉が許せなかったのだ。
無理にでも、両親の元へ連れ戻そうと思った。
しかし、ホームにいる姉に近づいた私は困惑した。彼女の纏う雰囲気が、姉のものとは全く違っていたからだ。
その女は、どことなく、この世のものではないような儚さと妖しさを併せ持っていた。所帯染みた生活臭を纏っていた姉とは違う。
私は、気付かれないように横に回り込み、彼女の顔を確認する。
「お姉、ちゃん……?」
姉と良く似た顔ではある。服も同じだ。
けれど……人間とは、ここまで変わるものなのだろうか。
眉下で切りそろえられた彼女の髪には妙な艶かしさがあり、薄らと化粧が施された顔には蠱惑的な色香が漂っている。瞳の色だって、普通の人間のそれよりも淡い。
これは……本当に、姉だろうか? いや、姉の筈だ。
「……雰囲気は違うけれど、顔も持ち物も同じだもの」
戸惑った私の声は、ホームにやって来た電車の音にかき消される。
姉は、私に気付くことなくまっすぐに電車に乗り込んだ。まるで、何かに導かれるかのように。
「お姉ちゃん——!」
無情にも電車の扉は締まり、出発のブザーが鳴る。
姉は、一度もこちらを振り返らなかった。
下りの電車は、人気の無い山奥へと向かって行く。姉は、どこに向かう気なのだろうか。
私は急いで家に帰って両親にこのことを告げる。再び姉の捜索が開始されたが、やはり彼女は見つからなかった。
でも、私は失踪した姉が今もどこかで生きているような気がしてならない。
駅のホームで見たあれは、確かに私の姉だったのだから。
ちょうど、人間の世界に飛ばされた薊が、樹海に向かっていた途中の出来事でした。
この時点で、薊は菖蒲にこっそりと寿命を渡されているので、人外になりつつあります。




