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19:どうしてこうなった!

「どこ、どこ、菖蒲!? どこにいるの!?」


 私は裸足で樹海を駆けていた。

 突然、人間の世界へ送り返されてしまったのだ。菖蒲以外の者の手によって。


「ごめんねぇ、お嫁さん。でも、私は坊のことが大事だから……あの子とあなたに気持ちの整理をさせてあげたいんだよ。大丈夫、悪いようにはならないから」


 いつものように、菖蒲の家に遊びに来た柊に会って話をしていたら……目の前が真っ白になって、気付けば私はかつて自宅だった場所にいた。

 菖蒲の家ではなく、人間の世界にある私の家の前だ。

 しかし、家族は引っ越した後で、目の前の建物は空き家となっている。

 私が途方に暮れていると、足下に見覚えのあるナップザックが転がっていた。

 開けてみると、私が自殺をしようとした日のままの状態で中身が納められている。その中には現金もあった。充電された状態のスマホもあった。

 今更ながら自分の格好を確認すると、樹海に入った日と同じ服装だ。


「……」


 私は、柊によって狭間から人間の世界へ戻されてしまったのだろうか。

 いずれにしても、これは現実だ。

 今の私には、二つの選択肢が用意されている。

 家族の元へ帰るか、菖蒲の元へ帰るか。


「そんなの、決まってる」


 私の帰る場所は、一つだけだ。

 再び電車を乗り継いで樹海へ向かう。

 深い森の中を奥へ奥へと進むけれど、前にどの場所を通ってきたのかが思い出せない。

 スマホの電波はとうの昔に立たなくなっている。

 どれだけ走っても、前に見た狭間に繋がる石碑は見当たらない。


「菖蒲……」


 まさかこんな状態で、急に彼に逢えなくなるなんて思わなかった。

 こんなことならば、嫁にでも何でもなっておけば良かった。

 後悔するが、後の祭りだ。

 取り返しがつかない状態になって、私は自分がいかに菖蒲を特別に想っていたのかを思い知らされる。


「どこなの、菖蒲」


 木の根に躓いて、私は地面に転んだ。

 湿った地面に倒れた私の服は、泥だらけになっている。


「痛い……」


 それでも、落ち葉のたくさん積もった土に手をついて立ち上がると、私は再び走り出した。


「菖蒲、菖蒲!」


 何時間走り続けたか分からない。息は切れているし、足元はフラフラだ。

 樹海に向かったのは午前中で、樹海に入り込んだのは夕方近く。今は夜だ。


 どこをどう歩いているのかさえ分からないけれど、それでも私は狭間に戻りたかった。菖蒲に会いたかった。

 しかし、食事も休憩もせずにフラフラと樹海の森を彷徨っていた私に、とうとう限界が来たらしい。

 だんだん頭が朦朧としてくる。


「……菖蒲、ごめん」


 もう、これ以上先へは進めそうになかった。

 糸が切れた人形のように、私は地面に崩れ落ちる。


「もう、会えないのかな」


 私は菖蒲を信じていたけれど、嫁という立ち位置に一歩引いていた部分があったのは確かだ。結論なんて、すぐに出さなくても良いと思っていた。

 菖蒲は不安そうにしていたのに、私は彼の気持ちをちゃんと考えていなかったのだ。菖蒲は、毎日毎日誠実な想いを正面から伝え続けてくれていたのに。自分のことで手一杯だった私は、彼の気持ちに向き合わずに逃げてばかりで……

 今になって、こんな状況になって初めて気が付くだなんて、本当に私は愚かだ。


「……まだ、死ねない」


 私は、菖蒲に会って謝らなければならない。

 万が一許してもらえたのなら、今度こそ自分の現在の気持ちを正直に彼に伝えよう。

 私はそう決意して再び立ち上がった。


 もっと、もっと奥へ——最奥へ

 二度と人間の世界に戻れなくても、誰にも見つからないくらい遠くへ行っても構わない——

 菖蒲にまた会えるのなら——


 朧げな思考で足を交互に前へ出す。それだけに力を注いだ。

 しばらく歩くと、見覚えのある開けた場所に出た。

 自殺をしようと樹海に入った日に眠った場所だ。今回は随分遠回りをしてしまったらしい。


「もう、夜が明けそう」


 白み始めた空に、薄紫色の光が射している。


「早く行かなきゃ」


 ここからしばらく歩けば、あの石碑のある場所に辿り着けるはずだから。

 不意に、目の前の景色が傾いだ。ああ、倒れているんだと分かったのは体中に衝撃が走った後だった。

 痛い。でも、もう動けない。体に力が入らないから、地面を這うこともできない。

 私は、冷たい土の上に横たわったまま目を開けて樹海を眺めていた。

 なんだか地面が揺れているような気がするけれど、きっと気の所為だろう。

 メリメリと何かが避けるような音もするような気がするけれど、それも……


「薊——」


 上から誰かの声が降ってくるけれど、もう頭を上げることもできない。

 ザラリとしたものが頬を舐めた……ような気がする。

 体がフワフワした温かいものに包まれた。


「ごめん、ごめんね、薊……私の所為だ」


 聞き覚えのない低い声。

 でも、この話し方はよく知っている。


「……菖、蒲」

「薊……私の元へ戻ってきてくれたんだね。こんな傷だらけになって」

「……当たり前じゃないですか、私が信じられる人は菖蒲だけなんだから。会えてよかった」

「うん。早く薊に会いたくて、空間を引きちぎってきた。帰ろう、薊。私達の家に……」

「はい……」


 とは言っても、私は指一本動かすことができない。

 フカフカの温かいものが、私を上に乗せて歩いてくれている。

 空中に、ユサユサと動く黒い四本の尻尾が見えた。

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