15:氾濫する偽情報!
菖蒲に出会って、ひと月近くが経過した。
「薊、みゃん・みゃん十二月号が届いているよ」
「ありがとうございます、菖蒲」
短冊に欲しいものを書けば、数分後に荷物が届く。相変わらず不思議なシステムだ。
菖蒲曰く、配送担当の天狐の力らしいけれど……
どうやっているのかは、未だに謎である。
料理や家事全般も、担当の天狐の力で行っているそうだ。
家を迷路にしたり、他人を部屋まで送り届けたり……天狐の力は不思議に満ちていた。
「薊、まだ首を括りたい?」
「そうですね。でも、最近は、以前ほど死にたい衝動が強くなくなってきている気がするんです……やっぱり、ああいうのは勢いが大事なのでしょうか」
菖蒲が自分を必要としてくれている。
そう思えるうちは、私は死の衝動を抑えることができていた。
私の自殺願望は、以前に比べて確実に薄れてきている。
「そんな勢いは必要ないから、私の嫁になってよ」
「……菖蒲」
「その着物も可愛いね。薊にとても似合っている」
今日の私の着物は、可愛らしいモダンな木の実柄だ。
菖蒲曰く、明治時代から昭和初期に流行ったアンティーク着物というものらしい。
最近の私は、着物生活にも違和感がなくなってきている。
「ありがとう、菖蒲。この柄は私も気に入っているんです」
菖蒲と並んで彼の部屋へ向かい、みゃん・みゃん十二月号をペラペラと捲っていると、クリスマス特集のページに目が止まった。
「そっか……来月はもうクリスマスなんだ」
今は十一月だけれど、雑誌は翌月の号が発売されている。
「クリスマスは、人間達が贈り物をし合う行事だよね?」
「うーん。ちょっと違いますが、そんな感じの人もいます」
「薊は、何か欲しい物はあるの?」
「特に何も。短冊に書けば大抵の物は手に入りますから……パソコンや薬は無理ですけど、よく考えれば、ここにはネット環境なんてものもないですし。私からは菖蒲に何もあげることが出来ませんし……」
私がそう言うと、菖蒲は気にするなという風に頭を振った。
「薊がここにいてくれるだけで、私には充分だよ」
「でもっ! そんなの不公平ですよ!」
「そうだ、薄に直接頼んでパソコンを届けてもらおう。それを二人で共有すれば、不公平ではないよね?」
「ですが、菖蒲……」
菖蒲は、私の困惑を分かっていながらも、話を進めていく。
「白狐は世界を自由に行き来出来るから、人間の世界へのお使いなんて、ちょろいと思うよ。私が気を抜けば、この家の結界すらも通り抜けてしまうしね……」
菖蒲がそう言うと、図ったように屋根から返事が返ってきた。
「いいぜ! ネット環境なら、菖蒲が結界でなんとかするだろう。こう見えて、コイツは器用だからな」
「薄!? 噂をすれば……」
「菖蒲、まーた結界が緩んでたぜ? 近頃のお前は色々と緩み過ぎだな」
にかにかと笑顔で庭に着地した薄は、勝手に菖蒲の部屋へと上がり込む。
「心配要らないぞ、薊。白狐は各地の情報を集めるのが役目だから、仕事柄、人間の世界に足を運ぶこともある」
結局、菖蒲の依頼で薄がパソコンを手配してくれることが決まってしまった。
……なんだか、与えられてばかりで申し訳ない。
その後は、薄も交えて菖蒲の部屋で読書をした。
「そうだ菖蒲、後で二人で話したいことがあるんだ。今日は本当は、そっちの用事で来たんだが……」
本を読んでいた薄が、顔を上げる。
「いいけど、何?」
「だから、後でって言ってんだろ?」
菖蒲の仕事関連の話だろうか。だとすると、私は席を外した方が良いよね。
「あの……私、部屋に戻ります」
さっさと立ち上がって、その場を後にする。
菖蒲が薄に恨めしげな目を向けているけれど、きっと大事な話だろうから早いところ、彼等を二人きりにしてあげたかったのだ。
しかし、部屋へ向かう途中で、私はみゃん・みゃん十二月号を忘れてきたことに気付いた。
このままでは、自分の部屋へ戻った後ですることがなくなってしまう。
「それはちょっと暇だな。二人の話にどれくらい時間がかかるか分からないし」
私は、一度菖蒲の部屋へ引き返し、雑誌だけを持って来ることにした。
廊下を移動し、菖蒲の部屋の前まで足を進める。
「菖蒲、すみません。雑誌を忘れたので持って行っても……」
「薊が、そんなことをするわけがないだろう! 薄、お前はその情報を信じるの!?」
突然、部屋の中から菖蒲の怒声が聞こえて来た。思わず、私は口を噤んでその場で硬直した。
私の呼びかけは聞こえていなかったようで、その後も二人の会話は続く。
「人間の発信する情報は、嘘も多いからな。でも、薊が人間の世界で、こういう風に言われているってのは事実だ。薊が自殺に走ろうとしたのも、この辺りが関係しているかもな」
「くだらない話を広めて私の薊を貶めた奴を、全員縊り殺してやる……」
「やめろ。菖蒲が言うと、洒落にならないから」
前の会話を聞いていなかったために、話が読めない。
けれど、自分に関係していることのようだ。
立ち聞きは良くないことだと思いつつも、私は部屋の前から動けなかった。
「薊が、人間の世界で行方不明になったことは事実だけれど、薊の人となりについては全てデタラメだよ。あの子に、そんなことはできやしない。私が抱き締めただけで動揺する子なんだから」
……一体、何の話をしているのだ!?
菖蒲の言動にやや呆れながら自室に引き返そうした私の足を、続く薄の言葉が引き止めた。
「分かっている。けれど、裸で同級生を誘惑する頭のおかしな女というのが、世間一般で広まっている薊の情報だ。たとえ、それが捏造された物であっても」
「それが、人間側の認識なの?」
「そうみたいだな。人間の世界のネットやテレビで流れている情報は、そうだったから。ネットの掲示板なんて、特に酷い有様だったぜ。薊の顔写真まで出ていたよ。薊はパソコンを欲しがっていたから、いずれこのサイトが目に付くかもしれない。その辺りはお前の力でなんとかしろ……まあ、薊にはこの話を聞かせないように気をつけれやれ」
ガクガクと両足が震える。
ここ最近の平和な環境の所為で薄れてきていた記憶が、私の中で一気に蘇った。
暗くて冷たい、忘れてしまいたいような苦い出来事。
よりによって、あのことを菖蒲に知られてしまうなんて——
「もう、この家にはいられない……」
きっと、菖蒲にも拒絶されてしまう。頭のおかしな行動をとる人間だと思われてしまう。
同級生達や教師、両親も誰一人として私の言葉なんて信じてくれなかったのだから。
私は、その場から逃げ出した。
ぐるぐると、いつまでも続く廊下を疾走する。
「もうやだ! 消えたい、消えたい、消えたい!」
早く外に出たかった。
菖蒲の家から逃げ出して一人になりたい。そして、今度こそ命を絶つのだ。
これ以上傷つくことだけは、絶対に避けたかった。