第三章 ジーニー・ルカ(5)
「さてジーニー・ルカ。秘密を共有したところで、大切な仕事を任せたい」
僕は、次の仕事に向けて気持ちを切り替えて、切り出した。
「はい、ジュンイチ様」
「僕と博士たちの仕事は知っているね」
「はい」
「その中で、難しい問題がある。簡単に言えば、反重力の突入効果の展開と、カノンの再反転のタイミングの問題だ。片方は実時間、もう片方は虚数時間のタイミングだ。それを実現するほんのいくつかの数字だ。もちろんたくさんの人と時間をかければ厳密な理論式を導くことは可能かもしれない。けれど、僕らには時間がない。君に計算してほしい」
「お言葉ですがジュンイチ様、私は、式を与えられれば計算ができますが、そうでない場合は演算することは出来ません」
「だろうね。だから、君の直感に任せる。いいや、君の量子力学的完全予測――全知の力に、だ」
ジーニー・ルカは何の反応も示さない。彼は今、論理演算をしているだろうか、直感を探っているだろうか。
その困難な問題への取り組みに、何を思っているだろう。
「いいかい、君は、そのタイミングを、実時間と虚数時間のペアを実現する一そろいの数字を、完全に直感のみで導いてほしい。論理を無視しろ。理論を気にするな。あらゆる途中過程を消し飛ばして、結果だけを『知れ』。できるね」
「論理演算を無視してよろしければ、直感で一組の数字を示すことは可能です。条件を示してください」
そこで思い出す。
彼自身が望んだオーダー。
”すべてが終わったのち、無事にセレーナ王女と再会すること”
そのことは、このドルフィン号を捧げねばならないと気づいたときから、ずっと頭に引っかかっていた。
何か抜け道があるんじゃないか、と。
そして、昨晩の三人との会話を経て、形になりつつあった。
だから、アイデアはある。理論は後付けすればいい。
「条件を示す前に、ジーニー・ルカ。もうひとつ、さらにきわめて難しいタイミングかもしれないが、この船のサイズの反重力の泡を最後に残したい。突入効果の消滅と再反転による反重力爆発の実現だけでなく、最後に中心部に小さな泡を残すという条件を加えたい。非常に難しいけれど」
「直感を使う以上、その難度には意味がありません。事実性評価結果の確度が下がるのみです。オーダーをくださればすぐに値を得ます」
「頼んだ。いずれの条件も、使い方も、あとで博士たちとの研究結果と一緒に君に与える」
「かしこまりました」
淡々と受け入れるジーニー・ルカが頼もしい。けれど、問題はもう一つある。
彼がそれだけの強力な直感能力を働かせるための、二つの条件だ。
「ジーニー・ルカ。すべての条件がそろったその時に、僕がどうすればいいか、教えてほしい」
「ジュンイチ様はオーダーをくだされば結構です」
おそらくジーニーとしては模範的な解答なのだろう。
しかし、僕が言いたいのはそういうことじゃない。僕がそれを知ってしまったという前提の答えがほしいのだ。
僕が、彼の特異点であると知っていること。
彼が、セレーナに干渉していると知っていること。
「ジーニー・ルカ、君が、僕を焦点とした量子状態を観測して最も確からしい現在と未来を直感で知ると言うことは、もう僕は知っているんだ。もうそれを隠す必要はない。その上で、君の直感の効果を最大化するために、君は僕をより強く観測しなければならないことも知っている」
そこで僕は自分の頭を整理しながら続ける。
「レベル1。僕が音声インターフェースに話しかければその直感はほどほどに働く。僕と浦野が捕まっている場所を特定できる程度には」
「お答えできません」
「レベル2。僕がこの船のどこかにいてこの船のセンサーで観測すれば、ホテルのセキュリティを破る程度のことはできる」
「お答えできません」
「レベル3。セレーナが、僕を見つめていれば、かなり強力にその力を振るえる。三億以上のシステムのセキュリティを同時に破るようなことが」
「お答えできません」
「でも今必要なのはさらにその先。レベル4だ。九十九の後に九が十六個並ぶような。レベル3の倍の桁数だ」
時間にして二秒半、それから、ジーニー・ルカはしゃべり始めた。
「私は、ジュンイチ様の脳の状態をより強くより正確に測定する必要があります。私は、あらゆる感覚でジュンイチ様を感じる必要があります」
呪いの力を振りほどきながら、彼は真実を伝え始める。
「その方法は?」
「私の最も優れたセンサーの神経末端に、あなたの神経末端を繋いでください」
そう、きっとその通りなのだ。
「ジーニー・ルカ、その最も優れたセンサーは、つまり――セレーナ。そうだね」
僕が問う。
「はい、おっしゃるとおりです」
そして、それが事実だからこそ、もう一つの問題が顔を出す。
これが、この会話が必要だった真の理由。
この問題さえなければ、僕はすべてをうやむやにしてもよかった。
「けれど、ジーニー・ルカ、そこにもう一つ問題がある。その……どうしても必要であれば、君はセレーナの迷いに回答を与えるということだ」
「もちろん、それが私の仕事です」
軽やかな彼の口調からは、もう彼の身の上の呪いは感じられない。
「だが、それは、君のセンサーを狂わせるんじゃないのか」
僕を観測するためのセンサー自身が、ジーニーの操作によって影響を受けてしまうかもしれないということ。
惑星アルカスで起きた大災厄。
より観測網を遠くに伸ばそうとして、間にあったあらゆる量子状態を破壊してしまい、他国の市民に甚大な被害を与えたこと。
それと同じことが、僕とセレーナの間にも――
「はい、量子的な干渉は観測センサーに対する干渉となるため、回答の事実性が低下する可能性がございます」
彼の答えは、やっぱり、僕の予想通りだった。
彼自身の干渉は、全知の力を鈍らせるかもしれないのだ。
本当に大切なことを『知る』その時に、ジーニー・ルカが気を利かせてしまったら。セレーナに、そうすることが最良だと思うよう干渉してしまったら。
「それを避けるには、つまり……君が、セレーナに干渉しないこと、そうだね」
「おっしゃる通りです」
「君は、彼女に対する干渉を、我慢できるか」
「オーダーでございましたら、お聞きできます、ジュンイチ様」
「……では、オーダー。今度の仕事で、セレーナに干渉しないでほしい」
「かしこまりました」
ジーニー・ルカは淡々と命令を受理した。
「それで、その、……君の考える最も優れた繋ぎ方は、なんだろう?」
そう、次の問題は具体的な方法だ。繋がるなんていうワードに、さすがに恥ずかしくて顔がうつむいてしまう。
「単位面積で最も多くの神経末端が露出しているのは、視神経です。ただし、直接接続でない場合は、距離の二乗に反比例して効果が落ちますので、できるだけ近くで。鼻の隆起等で規定される物理的境界が理想です」
鼻がぶつかる距離って、そ、それはもう、その、アレじゃないかな、キスする距離とかでは。
「直接接触はさらに有効です。そのためには触覚神経が適しております。最も触覚神経の密集した手の指先をできるだけ多くの接触面積で。指と指を交互に位置させますと接触面積を最大化できます」
ゆ、指を絡め合って……!?
「次に触覚神経が密集しているのは、口唇です。口唇を接触させてください」
キスだー!!
「味覚神経も密度が高いとされています。お互いの舌を接触させることも有効です」
待て。
ここまで言われて、さすがの僕も気づく。
こいつめ。
僕をからかってやがる。
ジーニーがこの僕をからかうなんて。
「ジーニー・ルカ、怒るよ」
「冗談が過ぎました。多ければ多いほど結構と言うのは事実ですが、せめて、お手をお触れになってください」
「わかった。手をつないで、セレーナの瞳を見つめる。できるだけ近くで。それでいいね」
「はい、セレーナ王女ご自身のお気持ちで、その状態を実現してください。私はお手伝いできません」
彼が干渉しないということは、セレーナを説得する役割は、僕だということ。
僕はセレーナの自由意思に対して、僕を見つめることに匹敵する――あるいは超える何かを認めさせなければならないということだ。
そ、そんな恥ずかしいことができるものか。
……でも、やらなくちゃならない。
ああ。
セレーナを、どう説得しよう。
「……わかった」
これは思いのほか大仕事になってしまいそうだが、うん、何としてもやるしかない。何か一つでもやらなかったことがあったら、もし失敗したときに、きっと後悔するから。
そして、これで、僕が彼にお願いしなければならない仕事は、全部だ。
けれど、僕は彼に、個人的に、どうしてもお願いしたいことがある。
それはたぶん、僕から彼への最後のオーダー。
操縦室内を見回して、大きくため息をつく。言うべきことを整理する。
「ジーニー・ルカ、お願いがある」
「はい、何でしょう、ジュンイチ様」
「僕とセレーナは、多分もうすぐ、別れなくちゃならない」
「私はそのように思いません」
「いいや。彼女はもうすぐ、とても大切な役割を負う。地球にいることはもちろん出来ないし、そのそばに地球人、新連合市民を置いておくことも難しくなると思う」
「それはとても……」
ジーニーが言いよどむなんて。
「……寂しいことです」
その上に、何てことを言うんだ、このジーニーは。
たかが知能機械が。
寂しいだって?
だけど。
……僕が彼でも、寂しいと言うだろう。
「寂しいことでも、きっとそうなるだろうと思う」
僕の言葉の隙間に、ジーニー・ルカはついに何も言わなかった。
「僕をパートナーとして見出した君は、何とかしてセレーナを再び僕に会わせようとするだろう」
あの日、永遠の別れを済ませたと思ったはずの彼女が、突然高校の校庭に現れたときのように。
「お答えできません」
たぶん、彼はそうする。
「彼女の……セレーナの名誉にかけて、それを、我慢してくれないか」
ジーニーは黙っている。
「君ができることは彼女の心に小さな確信の種を蒔くことくらいだろう。だけど、僕はそれが嫌だ。これから彼女が切り拓く未来は、彼女自身が選んだ未来であってほしい。僕は君を信頼している。きっと彼女の害になるような操作はしないだろうし、彼女が心から嫌だと思っているようなことをさせることは絶対に無いと信じている。セレーナの強さだって信じてる。だけど、たとえそれでも、僕は嫌なんだ。もし彼女が僕の前に再び現れたら……僕はまた、彼女の強さを疑ってしまう。僕は弱いから」
ジーニーがシンプルなオーダーに対して数秒も考え込むなんて、普通はありえない。
それが今起こっていた。
やがて、答えは返ってきた。
「……かしこまりました、ジュンイチ様」
僕はうなずいた。彼に見えるのかは分からないけれど。
彼がかしこまりました、とオーダーを受理したときは、きっとそれは果たされる。
だから、僕はもう、安心していいんだ。
気高き王女は、永遠に自由だ。
この戦争に勝って。
そうすれば、彼女の未来は、彼女のものだ。
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