第三章 ジーニー・ルカ(2)
僕とセレーナは、ドルフィン号の操縦室にいた。
二人の旅の出発点は、いつもここだった。
彼女がメイン操縦席に、僕がナビゲータ席に。
初めて座った時から一度も変わらないその位置取りに、僕らは再び着いている。
僕をここに連れてきたセレーナは、しばらく自分から口を開こうとしなかった。
けれど、僕からも口を開こうとは思わなかった。彼女自身の心の整理を待たなければならない、と思ったから。
十分間、僕は黙って真っ暗な船窓を眺めていた。
埃が降り積もる音さえ聞こえそうな、静寂だった。
やがて、セレーナが口を開いた。
「分かってたのよ」
震えるその声に、僕は、うなずいた。
「この船を使うしかないだろうってこと。本当は、分かってた」
彼女の横顔は、何もない中空を見つめている。
「どうしてだろう。私が言わなきゃならなかったことなのに。……黙っていれば、ジュンイチが言うだろう、って思ってた、今、考えれば」
そして、その瞳から、涙がこぼれた。
「ごめんなさい……ごめんなさいジュンイチ……あなたにそんな責任を押し付けて……」
「僕は押し付けられたなんて思ってない」
僕がはっきりと言うと、彼女は、ゆっくりと僕の方に顔を向けた。
「君に、決断ができないのは当然だと思う。ジーニー・ルカは、君にとって僕よりもずっと大切な友達だったんだろうと思うから。僕よりずっと早く出会って、憂さ晴らしに家出する時にはずっと一緒で……キアラを失ってからは、君にとってただ一人、心を許せる友達だったに違いないから」
僕が言うと、セレーナはもう二粒の涙を落として、うなずいた。
「私は、覚悟ができてると思ってた。いろんな人を巻き込んで不幸にするかもしれない、それでも、自分で責任を負えると思ってた……でも、これだけはだめだった」
彼女は、当たり前のことを言った。
友人の命と引き換えに、たった一度の魔法を。
そんなことができるはずが無い。
僕が彼女の立場でも、きっと無理だった。
だけど、僕は僕の立場だったからこそ。
「……分かってる。だから、僕が言うべきだと思ったんだ。すべてが終わったら、みんなの前で思う存分僕を罵ってほしい」
「そうじゃない、そうじゃないのよ……それは、私が負うべき責任なのよ……」
うつむいて、彼女は鼻をぐすんと鳴らした。
「……キアラの時」
涙を流しながら。
「……ヨージローが、助けてくれた。だからきっと誰かが……」
そして、弱々しく目線を上げ、僕を見つめる。
「……ううん、ジュンイチが、きっと、そんなパラドックスなんて壊してくれる……たぶん、そんな風に考えてた……」
それは考えてる。
ずっと考えてる。
だけど、やっぱり奇跡に頼るしかない方法で。
僕はそれを言い出せない。
「だから、待ってたの。ルカを犠牲にせずに、魔法を撃てる方法を見つけた、って、あなたが得意げに笑って……うっ、うう……」
みんなは分かってなかったかもしれないけど、やっぱりセレーナにはそのことが分かってた。
分かってて、それでも奇跡を信じて待ち続けていた。
僕がそれを言い出す時が、きっとジーニー・ルカを救う時になるって。
――だから僕は、最悪のタイミングで最悪の宣告をしてしまったんだ、と思う。でも。
「……これだけは言っとく。僕は、諦めてない」
嘘じゃない。
僕はこんな嘘をつけないから。
だから最後の最後まであきらめるつもりはない。
そのために、どうしても超えなきゃならない壁が一つ、あるだけで。
ジーニー・ルカに無限の力を与える、たった一つの鍵穴が、ある。
セレーナは顔を上げ、僕の顔をじっと見つめている。
またぽろりと涙がこぼれる。
僕は、目をそらさない。
決してそらさない。
彼女の頬を伝う涙の粒は、もう数えられなくなっていた。
「ありがとう……ありがとう、ジュンイチ」
ううー、と大きな嗚咽を漏らし、彼女は両手で顔を押さえ、しばらく泣き続けた。
放っておこう、と思った。
彼女は、きっと自分の力で立ち上がる。
嘘をついてでも、立ち上がる。
国のため、民のため、友達のため。
……。
やがて彼女はハンカチを取り出し、乱暴に顔を拭った。
そして、僕をもう一度、見つめる。
「……あなたは、強くなったわ」
そう言われて照れるところが無いでも無かったけれど、僕は首を横に振った。
「……君の真似をしただけ」
座席のロックを外して、彼女の方に回転させる。正対すると、セレーナの表情がはっきりと目に入ってきた。もう、悲嘆にくれる少女じゃない。国を率いる英雄の瞳だった。
「この強さは、君のもの。もし僕の中に強さを見たのなら、誇っていい。それは、君の強さだ」
「いいえ、あなたは私が乗り越えられなかった壁を乗り越えた」
「それでも。僕は、いろんな人にいろんなものをもらって、ここまでやってきた。君には強さをもらった。浦野には優しさを。毛利には勇気を。マービンには知恵を。キアラには覚悟を。そのどれも、僕は持ってなかった。だから、やっぱりこれは、そんな人たちを集めた君の強さなんだ」
僕の言葉に、セレーナは少しうつむいたが、今度は、その頬に少しはにかみの色が浮かんでいる。
僕に褒められて彼女がそんな表情をするなんて、初めてじゃないだろうか?
「もう一度、言わせて。ありがとう、ジュンイチ。私は私がすべきことから目をそむけていた。それに気づかせてくれた」
そして、彼女も座席のロックを外し、椅子を回した。
「ジーニー・ルカが、私にとってどれだけ大切なものか、あなたが知らないわけないものね。だから、あなたがあそこで口を開いたのは、私に気付かせるため。キアラを誰かに救ってもらった甘い夢を待って逃げていることを」
「そんなつもりはなかったよ。……いや、ま、いいか。君がそう思って自分を戒めることで気が済むんなら」
僕が微笑むと、
「そうよ。私は誰にも罰せられないから」
彼女もようやく口角を上げた。
「さて、さっきのは、無し。やり直し」
「やり直し?」
「ええ。あなたは何も言わなかった」
セレーナは、宙に視線をやる。
「ジーニー・ルカ! 私はこのドルフィン号を私の魔法の弾丸として使います。いいですね!」
「はい、セレーナ王女。それが最良の選択です」
「よろしい。そして、ジュンイチ、これは私の決断です。間違っても、あなたごときがこのような重い決断をできたなんてうぬぼれないで」
僕は、うなずいて、椅子から滑り落ち、かしずいた。
その視線の先には、僕の知っている燃える青い瞳。
「もちろんです、殿下」
セレーナはゆっくりと首を縦に振る。
僕はゆっくりと立ち上がり、できるだけ優雅に見えるように注意して椅子に座った。
「では、ジーニー・ルカ。私への最後の奉仕です。ジュンイチの言うことを聞いて、完全な奇跡の数字を導き、そして――」
頭上の中空に視線を飛ばす。
「――我が魔法となって散りなさい」
セレーナが口を真一文字に結ぶのと同時に、
「かしこまりました、セレーナ王女」
ジーニー・ルカのオーダー受諾の言葉が、どこからともなく聞こえてきた。
「ただし、願わくば、もう一つ、オーダーを付け加えていただけませんでしょうか」
僕はぎょっとした。
セレーナを見ると、同じ表情をしている。
ジーニー自身がオーダーを求めるだなんて。
彼が普通じゃないことは分かっていても、それは、背筋にしびれが走るような異常事態だった。
「……言ってみなさい」
セレーナは混乱の表情を取り繕うと、言葉を絞り出した。
「そのオーダーは、こうです」
ジーニーらしからぬわずかな間。
「すべてが終わったのち、無事にセレーナ王女のもとに戻ること」
ジーニー・ルカの言葉に、セレーナのまぶたの裏から突如涙があふれ、零れ落ちた。
しばらく気づかなかったが、僕の頬も濡れていた。
「セレーナ王女の心には、私を失いたくないという気持ちが満ちております。ですから、お命じ下さい」
「……分かりました。必ず、我が元へ戻りなさい」
「かしこまりました」
彼はどんな意味があってこんなことを言うのだろう。
ただの気休めなのか。
あるいは、全知の力が何かを『知った』のか?
彼の全知の力はそこまで『知る』ことができるのか?
……でも。
その力を知る、いや、その本当の姿を間もなく知るだろう僕には、それが分かっている。
彼は、知ったのだ。
僕がそれを知るべき時が近づいている。
涙を再びハンカチでぬぐったセレーナが、再び笑った。
「私ったら、弱虫ね。知能機械まで心配させるなんて」
その言葉は誰に向けたものだろう。
けれど、答えたのはジーニー・ルカだった。
「セレーナ王女は、強く気高い方です。あらゆる人々の尊敬を集めるお方です。ですから、これからも強くあらねばなりません」
「分かりました、ジーニー・ルカ。精進するわ」
そして、ふうっ、と大きなため息。
「ジーニー・ルカと初めて会ったのは、十歳の時。キアラと別れてすぐ」
数瞬を挟んで、彼女はぽつりと言う。今度は、僕に語りかけていることは、良く分かった。
「エミリアの貴族では、家長がジーニーを持つことは珍しくないの。王家ともなれば、いずれは誰もが専用のジーニーを持つわ。ブレインインターフェースを埋め込むのは貴族ではとても当たり前になっていて。順応するために若いうちに、って考えも多いの。私の場合は、それが、十歳の時だった」
僕は十歳のころ何をしていたかな。
近所の悪ガキどもと、山や海を征服して遊んでいたな。
人類の足跡が付いていない場所がただの一ミリも残っていない山や海を、それでも、ひたすらに征服することが楽しかった。
「私がキアラを失って。そんな態度見せてるつもりはなかったけれど、きっとキアラを追い出してしまって自分を責めている……ように見えたのかもしれないわ。そろそろだろう、なんてことをお父様が言い出して。手術を受ける前にジーニー・ルカと初めて会話して。その時は、自己紹介の挨拶だけだった。手術が終わって――簡単なものよ、注射器でナノマシンを注入して核磁気なんとか誘導で――まあそれはいいわ。それが終わって、彼とのリンクが設定されると、突然、頭の中に、今までと違う新しい知性があることに気が付いたわ。疑問を持てば、すぐに正しい答えを確信できる。分からないことがあったら資料を手繰って理解して覚えて、ってことをやってるのに比べればはるかに効率的。なにより、決してどこにもいかない大切な存在がいつも心の中にいることを感じた」
セレーナが、僕らの学校でありとあらゆる授業を引っ掻き回した種明かしは、そういうわけなのだ。
答えのある問題ならいつでも解決できる。疑問を持ち考え、それが正しいかどうか確認するのに頭で考える以外のことが必要ない。これほど効率的な勉強法があるだろうか。
「十三で初めて、彼が搭載されているドルフィン号を与えられて、いつでも彼と直接話せるようになって。ジーニー・ルカとの普通の会話は楽しかったわ。彼はとても知性的で。そりゃそうよね、知性だけを煮詰めた機械なんだもの。ドルフィン号に自由に搭乗できるようになってからは、彼と二人きりになるためだけに家出するくらいだったわ」
「まるで恋人みたいだ」
「そうね、たぶん、そう。彼は私にとって最初の恋人。彼が人間じゃないから許された、恋人」
その友達以上の存在をかけてでも、守りたいものが、彼女にはできたのだということ。
「でもジュンイチ、あなたが加わってからの短い旅が、一番楽しかったわよ。ジーニー・ルカ、あなたは?」
「はい、私も、ジュンイチ様がいらっしゃってからもっとも充実しておりました」
「……だそうよ。だから、あまり私とジーニー・ルカの間のこと、嫉妬することはないわよ」
「嫉妬だなんて」
僕が言うと、セレーナはいたずらっぽくくすくすと笑った。
「どんな日々だって永遠には続かない。別れるときは必ずやってくる。だから、今を強く生きなくちゃ。ジュンイチに教わるなんてね」
「僕がそんな大層なことを言ったかな」
絶対に言っていないと思うけど。
「ま、似たようなことよ。いずれ来る別れを惜しんで大切なものを失うくらいなら。あなたの言葉で私が学んだのはそういうことだから」
「ふふっ、君らしくなく殊勝なことを」
「どこが私らしくないですって? 私はいつだって謙虚で殊勝なのよ!」
彼女のふくれっ面に、僕は大笑いで返した。いつもからかわれている仕返しだ。
やがてセレーナもつられて笑いを漏らし、僕らは笑顔で向かい合うことになった。
「……さて。いつまでもこうしていたいけれど、時間が無いわ。ロックウェルはファレンに兵力を集めつつある」
「そうなのか?」
「ちゃんとニュースをチェックしておきなさい。また、二行動単位の艦隊が現地に到着したらしいわ。エミリアも対抗して兵を動かすかもしれない。数日のうちに全面衝突もありうる。そんなことになる前に。そう、できたら明日にでも発ちたい」
「明日だって」
「もういつでもおかしくないのよ、破局の時は。本当は今にでも飛んで行きたいの」
「分かった、じゃあ、急いで実験に戻ろう」
「ええ、そうね。じゃ、行きましょうか。それじゃね、ジーニー・ルカ」
そう言ってセレーナが立ち上がる。
でも、僕は立たなかった。
「……どうしたのジュンイチ、行くわよ」
セレーナが促し、そして、僕を引き起こそうと手を差し伸べてきた。けれど、僕はその手を無視した。
「セレーナ、僕は、彼と話をしたい」
僕の言葉に、セレーナは笑顔を消した。
僕が彼と呼んだのは、ジーニー・ルカのこと。
「……何か、あるのね?」
「……うん、そうだね」
僕はそれ以上、具体的なことを説明することを拒んだ。
その姿勢を読み取った彼女は、差し伸べた手をひっこめ、そして、表情を緩めた。
「いいわ、みんなには上手く言っておいてあげる。しばらく誰もここにはよこさないわ」
「助かる」
僕がうなずくと、セレーナは小首をかしげて微笑み、優雅に振り向いて操縦席から出て行った。
***
「ジーニー・ルカ、セレーナのリボンの音声モニターを」
ちょっとその後が心配になって。
ジーニー・ルカがオーダーを受領すると、すぐに声が聞こえてきた。
『心配かけたわね、もう大丈夫』
セレーナの声。
『本当に? 大崎君たら、本当に無茶言うんだもん。でも、昨日もおかしなこと言ってたから、ああこのことかあ、って思ったけど』
これは浦野の声だ。
『何だ、浦野もか。セレーナさん、ちゃんと叱りつけておいたか? ははっ、まだあっちでめそめそしてんだろ、あいつ』
『そんなこと言うものじゃありませんよ、大崎君だって考えた上での決断でしょうし』
毛利にマービン。
『私は、死ぬのは怖いか、って聞かれました……』
『……そっか。大崎君、本当に、ジーニー・ルカの気持ちを知ろうとしてたんだ……」
キアラの言葉に、浦野が優しく続ける。
『ま、セレーナさんの友達を勝手に犠牲にしようなんてーのは、違えよ。後で一発――』
『そうじゃないのよ』
セレーナが、彼らの言葉を否定する。
『あれは、私が言いたかったこと。私が言うべきことだったの。あの馬鹿に先に言われてカチンと来ちゃっただけ』
作業をしていたカチャカチャという背景音がやみ、四人が絶句したのが音声だけから伝わってくる。
『ドルフィン号を使うしかないってことは、とっくに分かってたことなのよ。今までそのこと言わずにいて、ごめんなさいね』
『ちょっ、そりゃねーだろ、だって、ジーニー・ルカは友達だって』
『だからと言って、手の内にその手段があって、それを使わずに後悔なんてしたくないもの。レオン、あなたなら分かるでしょう』
『……そりゃ。俺だったら、そうする。だけど、それは俺が頭悪いからでさ、もっと賢いやり方があるんじゃねーのか』
『賢いやり方があるかもしれないっていつまでも踏み出さずにいるわけにはいかないの』
『……そっか。じゃ、いいや。ジーニー・ルカには、あとで弔いの一つでもしてやろう』
『……そんな、ひどいわよう』
『いいえそれでも、ジュンイチ様は、きっと心の底から、ジーニー・ルカの心配をしておいでです』
数瞬の沈黙。
『大丈夫、ジーニー・ルカは、必ず助けて見せる。ジュンイチが、必ずやるわ。そうでしょう?』
セレーナの声は、随分とハードルを上げてくれた。
『……そうね、大崎君がいつも何とかしてきたものね。もしかして、まだ戻ってこないのは、それを考えてるから?』
『そうなのでしょうね、大崎君は、マジック理論もカノン理論もジーニー理論も、人並み以上のものを、勉強ではなく経験で身につけてきました。もしできる人がこの宇宙にいるなら、彼しかないでしょう』
それはいくらなんでも言い過ぎだけれど。
でも、マービンのその全幅の信頼に応えたい、とは思う。君にもらった大切なヒントとともに。
『その通り。私たちは、ジュンイチとジーニー・ルカを信じて、待ちましょう。この二人にできないことが、これまでに一つでもあったかしら?』
『もちろん、無かったわよう!』
浦野の元気そうな声が聞こえてきた。
もう、こちらは大丈夫そうだな。
ジーニー・ルカにオーダーして、音声モニターをオフにした。
***




