第二章 知恵と勇気と優しさ(5)
ドルフィン号の部屋割りを引き継いだ形で一人部屋のマービン。
僕が訪ねると、行儀よく椅子に座って情報端末で読書をしているところだった。
いつ奇襲をかければ彼が気を抜いているところを見ることができるんだろうと不思議に思う。
「何を?」
僕が軽くそれを覗き込みながら訊くと、
「大崎君に紹介してもらったルイスさんの教科書ですよ。いまさらながらですけどね」
彼は端末を僕のほうに向けて見せた。
学校の勉強となるとちっとも熱を入れるところを見せない彼は、成績もほどほどだったはずだけど、この旅の中で彼は次々と新しいものを吸収している。
きっと、そのうち僕なんか及びもつかないほどになるだろうな。
ルイスとスコットの究極理論を継ぐべき存在は、僕でもビクトリアでもなく、マービンかもしれない、なんてことを、時々、思う。
「明日も早いですよ、寝坊しないように早く休んだ方がいいのではないですか?」
「よっ、余計なお世話」
マービンの最初の一撃で僕は顔が真っ赤になった。
もうさすがに自分でも気がついてる。僕の寝坊癖はひどい。ちょっと遅くまではしゃぐと、翌朝放っておけば十二時まで眠っていたり。寝る前にオンにしたはずの目覚ましがなぜかオフになっているという怪奇現象が必ず起きるのだ。
「それに、ちょっと相談したいこともあって」
「……なのでしょうね。わざわざ私の部屋に来るなんて珍しいですから」
いいかな? と確認して、彼のベッドに腰掛ける。
「そうだな……たとえ話、心理テスト、そんなものだと思って欲しい」
マービンは目を細めてうなずく。
「親友を思い浮かべて欲しい。その親友が――」
「待って、それは、具体的な人物ですか?」
「その方が理解がはかどるなら」
「なるほど。そうすると、私にとってそれは、大崎君、あなたということになるでしょうね」
……お前もか、マービン。
いやいや、そりゃうれしいけど、三人が三人とも、そんな風に見てくれていると思うと、うれしいよりも、なんだか、気負ってしまうところが多くなってしまう。
そんな僕の表情を読んだのだろうか、マービンは、
「意外ですか? でも、私は、そう思っていますよ。私をこんな旅に連れ出してくれたのは、大崎君です」
と、端末を机の上に置いて、体ごと僕のほうに向いた。
「ご存知の通り、私の両親は、一代でちょっとした財を築いて。そんな人にありがちなのでしょうね、子供に多くを期待して、優秀であることと危険に近づかないことを強要するような」
自らの両親のことを鋭く淡々と客観的に分析してみせるマービン。
「言ってみれば私は温室育ちなのですよ。無害な知識だけがどんどん詰め込まれていく。つまらないものです。でも、反抗しようとも思わない。生まれた場所がそこだったのだから、それに自分の生き方を合わせていくだけです」
彼は、そして、セレーナと、昔の彼女と、全く同じようなことを言った。
ごく普通、とまでは言わないけれど、公務員と兼業主夫の間に生まれた僕は、言ってみれば普通の庶民で、どうしてもっとお金持ちの家に生まれなかったんだろう、とひがむこともある。
けれども、飛び切りの金持ちに生まれたセレーナや、それに近いマービンは、選べる未来が無いことを諦めとともに受け入れている。
どちらが幸せなんだろう、なんて思う。
「私は、一般的に見れば幸せなんです」
僕の考えを見透かしたかのように、マービンは続けた。
「ただ、自分でも気づかないくらい心の奥底に、これでいいんだろうか、という気持ちがありました。一歩を踏み出すほどではなくとも、なんと言うんでしょうかね、生活を壊してみたい、破壊衝動みたいなものがあったんですね」
そして、昔の僕と同じようなことを言う。
「実はね。先日。キアラさんに、あなたは冷たい人だって言われてしまいまして」
「……マービンが? まさか」
「その、まさかというところが問題なのですよ。ね、大崎君、あなたは、まさかと思ったじゃないですか。誰も傷つけないように、誰にも嫌われないように。たぶん、私の在り方は、そんなものなんです」
それから、何かを思い出すように、宙に視線をさまよわせる。
「……うっかりしてました。私が、セレーナさんとキアラさんの関係を残酷だと言ったこと。キアラさんに、聞かれていました」
そうだった。何か不穏なことを言った、あの話。
結局どういう意味だったのか、僕には分からなかった。
「……キアラさん、あのとき、セレーナさんを許していたんです。ひどいことをしたはずのセレーナさんを。そうしたら、セレーナさんは、謝ることもできない。そうやってセレーナさんを閉じ込めている姿が、残酷だな、って思ったんです」
あの時の言葉の意味がようやく分かってすっきりするとともに、マービンの観察眼や人の心の機微に振れる繊細さに驚く。
「……そっか。それはなんと言うか……うん、でも、二人はすっかり仲直りできたし」
「ええ。でもその話をした時、キアラさんにね、私もそうなんだと突き付けられました。誰にでも人当たりよく笑顔で接して、決して嫌われない私は、凍り付くほどに冷たいのだと。人を許しすぎることは残酷だと言った私こそ、冷酷な人間でした」
「そんなことない! マービンはその、なんというか、きちんと付き合えば、何を考えてるか分かりやすいほど分かりやすいし!」
僕がそんなことを言うと、マービンは小さく笑った。
ていうか僕は一体何を言ってるんだ。
「そう。そうなんです。私の凍り付いた態度にも関わらず、私のことを理解してくれる人。だから私は、親友と言われて、大崎君を思い浮かべたんです」
僕はちょっと赤面して、むむむ、と唸ってしまう。
「あの日、あなたが突然やってきて、セレーナさんと一緒に宇宙を相手に戦争をやるから付き合え、と言われて、私は胸が躍りました。一も二も無くドルフィン号に飛び乗りました。私のこと、私の家のことを額面通りにとらえている人は、きっとそんなことを誘いに来ないんです。でも、私がそんな冒険を望んでいること、何かを破壊して生まれ変わりたいと思っていること……大崎君だから分かってくれたんだと」
「そっ……それは買いかぶりすぎだよ」
「いいんです。きっと大崎君は、私が孤独の庭園から踏み出すための、大切な鍵なんです」
「面と向かって言うなよ、なんか、こっちが恥ずかしくなってくる」
「ふふっ、まあ、キアラさんに焚きつけられましてね。私ももっと、素直に生きようと思った、そんな話」
「……そっか。キアラ、いい子だな」
「ええ、いい子です」
そんな風なことをお互いにつぶやいて、数瞬、沈黙が流れる。
「さて、本題です。私の親友を思い浮かべて、ですね」
雑談にすっかりそのことを忘れかけていたのを、彼が引き戻してくれた。危ない。
「そう。それと、たとえばクラスメイト全員。みんなは、このままでは不幸になることが決まってる。たとえば、半分は家族を失い何人かは死んでしまうかもしれない、そんな不幸。マービンは、それを防ぐ手段を知っている」
「条件があるのでしょう、察しはつきましたが」
「その通り。その手段のためには、君の親友が死ななければならない。そのとき、君はその手段を取るか」
「なるほど、心理ゲームですね。あるいは、大昔からある似たような倫理問題に言い換えられるでしょう。線路を走るブレーキの壊れた列車。その先には二つの線路と切り替えポイント。まっすぐ進めば、線路上で動けない五人、切り替えると、動けない一人。ポイントを切り替えるや否や? ……古い問題です」
そう言えば、確かにそんな問題を僕も聞いたことがある。
「そう、大崎君風に言えば、千年も前から繰り返されてきた倫理観の観察のための問題ですね。『それを人はどう選ぶか』を観察することが目的の問題で、正解はないはずです」
「……そうだろうね、だから、君がどうするか聞きたかった」
マービンはゆっくりとうなずいた。
「古代の問題に比べると、大崎君の問題には抜け穴が多すぎます。みんなを救うこととあなたが死ぬことに何も因果関係が無い。なぜそうなのかという前提条件が提示されていません。であれば、私は好きなようにその前提条件を設定し、因果関係を崩す例外を作り出すことができるでしょう」
「ちょっ、分かりやすく言ってくれないかな」
「要するに、誰も死なない解を、私が勝手に作れるんです」
作る、……作る、か。
「たとえば、大崎君が死ななければならない理由として、こんな状況を考えて見ましょう。クラスメイト三十七人は、共謀してある一連の重大犯罪を犯した。犯罪者として罰せられ、あるいは人生に絶望して自殺するかもしれない。しかし、もし大崎君が一人ですべての重大犯罪を犯したことにすれば、大崎君一人が死刑となり、三十六人は助かる。こんな状況なら」
天井を眺め、目を閉じ、それから彼は再び目を開け、
「たとえば、被害者をも巻き込んで、大崎君の減刑の嘆願書を出すことができる。あるいは、真犯人ミスターエックスを登場させることもできる。あるいは、死刑執行のための法的手続きを定めた法令を廃止させることで、大崎君の死刑執行が不可能な状況を作ることもできる。どちらかが死ななくちゃならないっていう状況は避けられるのですよ」
「……法の方を変えてしまえ、と」
「そうです。その設問のジレンマ性を支えている舞台そのものを壊してしまえばいいのですよ」
その時、僕の脳裏に一つのシーンがよみがえってくる。
そう、あれは――
”キアラ……ああ、キアラ、私の大切な友達。二度もあなたを失いたくない”
むせび泣くセレーナ。
”キアラ、我が忠実な僕にして我が友キアラ、エミリア王国第一王女セレーナ・グリゼルダ・グッリェルミネッティの名をもって、死を賜り――”
決意の炎を宿したセレーナ。
そして――
”待ってください、キアラさん、あなたは死ぬ必要はありません。セレーナさん、あなたは友達を殺す必要はありません”
ああ、そうだ。
あの時も、誰かが犠牲にならなければならないという、舞台そのものを壊したのは――。
――マービンだった。
誰も死なないという世界線を、強引に、でも論理的に、しかも完璧に、マービンは作り出し引き寄せた。
可能なんだ。
それをやったマービンが言うんだから、可能に決まっている。
「……ありがとう、マービン。確かに君は、セレーナの大切なものを救った。舞台を壊して見せた。すごくいいヒントになった」
僕がお礼を言うと、マービンは微笑んだ。
「助けになったなら何よりです。それから。私がここにいる意味を再確認させてくれて、ありがとう、大崎君」
彼でも、誰かに頼りにされたい、なんて思うんだな。
そりゃ木石でもなければ、きっとそうだと思う。
自分に生きている価値なんて無い、そんな風に思ったらおしまいだ。
だから僕は、いろんな人に頼らなくちゃいけない。
「……マービン、僕は、キアラと話してみようと思う」
「……キアラさんと? いいえ、深く聞くのはよしましょう。きっとそれは、必要なことなのですね」
僕が理由を言い渋る顔色を見せただけで、マービンは何かを察してくれた。
「キアラさんは、寝付くのが苦手のようで、夜はたいてい星を見て眠気を待っていますよ。どこか、星の見える場所にいると思います」
「そうなんだ、ありがとう」
……と言ってから、僕はちょっと気になってしまって。
「……つかぬことを聞くけど、マービンはいつも、キアラと?」
「よしてくださいよ、そういうのじゃありませんから」
と否定するマービンを見て、僕はマービンのものすごく珍しい表情を見られたことに満足した。それがどんな表情だったのかは、彼の名誉のためにここには記さない。
そういう絆って、いいな、なんて思う。
さて。
三人に、勇気と優しさと知恵をもらって。
最後に一歩踏み出す覚悟を。
***




