第二章 知恵と勇気と優しさ(3)
作業がひと段落着いて、休憩椅子に座る僕の隣に、浦野が腰掛けてきた。
特に用があるわけでもなさそうだった。
こんな場所で僕にプリンを要求するわけでもなさそうだし。
ただ、彼女らが買い出しで得てきた食材の中に、きっちりと卵と牛乳と生クリーム、それから、ここのキッチンに無かった泡立て器と蒸し器が入っていたことに僕は気付いている。
それがいつ出てくるかだけの問題だ。
スプリングフェスティバルですっかりプリン作りの腕を上げた浦野は、今やプリンを自由に創造できる恐るべきプリン魔人に育ってしまっている。
プリンを得るために僕の歓心を買う必要など、もはやないのである。
そんなわけで、本当に僕に用があったわけでもなさそうで、椅子に座って、みんなで組み上げた高さ二メートルに近い実験装置を眺めている。
最初は無骨なパイプを無理やりに骨組みにして組み始めたそれは、最後にはマイクロメーターによる微調整を必要とするような高精度な実験装置へと姿を変えていった。その様を知っているから、原価は数クレジット程度であろう亜鉛メッキの鉄パイプが、今は黄金よりもまばゆく輝いて見える。
実験物理学のベテランとも言うべきビクトリアの手腕と言うべきところだろう。こんなことを易々とやってのける彼女だから、たびたびマジック機関の宇宙タイトルを得て、あるいは、宇宙タイトル級の大失敗をやるわけだ。
そんな装置を眺めながら、僕は、少し前から気になっていることを思い出している。
いずれ、解決しなければならない難問。
最初から一つしか答えが無いと分かりきっている奇問。
「……なあ、浦野」
僕は、浦野に語りかけた。誰かに、助けて欲しいと思って。
「なあに?」
反応した彼女は、相変わらずの無垢な笑顔。
僕は彼女に顔を向ける。
「たとえばさ、その……君の、親友を、思い浮かべて欲しい」
「あたしの?」
聞き返してから、浦野の視線は、宙を舞った。
「恵美ちゃんとかもそうかもだけど……今、あたしの中で本当に親友だと思ってるのは」
くるりと回った視線は僕の両目の間で止まる。
「君、かなあ。大崎君」
「僕? ……僕、か、まあいいや」
「まあいいってどういうことよう!」
ほっぺを膨らませる浦野。
「えっ、あたしが親友じゃやだ?」
「いや、やだってことないけどさ、その……浦野の一番なのかなって思ったら、あまり実感が無くて」
僕がそんなことを言うと、浦野は、僕の瞳をじっと見て、それから、ちょっとまた視線を泳がせてから、少しうつむいた。
「……一番だよう。いろいろ……いろいろあったけど、なんだか、あたしに力をくれたのはいつも大崎君だったから」
そうなのかな。僕はいつも浦野に助けられてばかりで。
スコットの言葉じゃないけれど、僕が、セレーナの騎士として、彼女と仲間たちを守る、と気負ったとき、いつも、後ろで僕が倒れないように見ててくれたのは、浦野だった気がする。
「……あっ!」
浦野が突然、目を見開いて、声を上げた。
「スコットさんが言ってた、にょ、にょ、……あれ、のことじゃ、ないからね!?」
「はは、なんだ、ちょっと同じこと考えてた。僕はいつも浦野に助けられてばかりだったから。……でもそうだね、僕が、素直に助けてって言える浦野は、やっぱり親友だ」
僕が言うと、浦野はちょっと顔を赤らめる。
「な、なんだよう、分かってるんなら変なこと言うなよう」
と、ちょっと両手を合わせてもじもじしているけれど、そうだった。浦野が親友じゃないなんて、確かに、ちょっと考えられなかったかも。
親友かそうじゃないかなんて、考えもしなかったから、突然名指しされて驚いたけれど。
そんな風に、信頼して、信頼されて、その関係に、あとから親友っていう名前が付くだけなんだよな。
またちょっと理屈っぽく考えてた。
「浦野が親友でよかったよ。浦野がそう思ってくれてることも」
「ふふ、でしょーう? あたしたちはとても強い絆で結ばれてるのだ!」
「そうだね。僕がおごったプリンの数とは同じくらいに」
僕が言うと、彼女は、はぐぅっ、というような妙な声を上げて胸を押さえて苦しむ演技をした。
僕はそれを見て笑う。
ひとしきり笑ってから、話を戻す。
「じゃあ、親友ってのは、僕のことでいいよ。それで、少し考えてほしいことがあってさ」
僕があらためていうと、浦野は優し気な笑顔を浮かべて、うなずいた。
「たとえばさ、クラスメイト全員の安全と幸福のために、親友を犠牲にしなきゃならなくなったら。君はどうする?」
「犠牲って……え、どういう意味?」
「うん……そうだな、簡単に言えば、死んじゃう」
「死んじゃう……大崎君が? ……そんなの、やだよう」
仮の話なのにすでに瞳が潤んでいる浦野。
「もしそうしなかったら?」
「そうだね……クラスメイトみんなが、とても不幸になる。半分くらいは家族と離れ離れになって、何人かは死んじゃうかもしれない。そんな時」
僕がそう言ってから十数秒、うー、と小さく唸り声を出して、涙目の浦野が僕をさすように睨んだ。
「そんな問題出すなんて、ひどいよ」
そうだよな。
けれど、優しい浦野がどんな結論を出すか聞いてみたくて。
「……でも、大崎君を失いたくないなんて、あたしのエゴだもんね……もしそれが本当に必要なら……」
「……犠牲に捧げる?」
「……最後まで、それに頼らない方法を考える。考えて考えて最後の瞬間まで考えて頭がパンクしそうになるまで考えて」
浦野はうつむいた。
「……このなぞなぞは、みんなが助かる方法は無いっていうなぞなぞなんでしょう? ……だったら、最後に、ありがとう、って大崎君を抱きしめて。もし許されるなら、そんな決断をしちゃったあたしも一緒に」
彼女は、ゆっくりと顔を上げた。
「一人で行っちゃう大崎君が、寂しくないように、ね」
彼女らしい答えだな、と思う。
けれど、みんなが助かる方法を最後まで考える。
どうせ無いだろうとあきらめちゃいけない。
そして、寂しくないように寄り添うんだ。
寂しいっていう気持ち。……あるんだろうか。だけど、きっとそれを見つけなくちゃならない。
彼女のその優しさは、僕の胸にしっかりと残った。
「ありがとう、浦野。助かったよ」
「おっ、大崎君、死んじゃわないよね!?」
立ち上がろうとした僕の右袖を浦野が掴んだ。
「大丈夫だよ、僕は、君の親友を思い浮かべて、って言っただけだろ。まさかそれが僕だなんて思いもよらなかったよ」
「そ、そう? だったらいいんだけど」
と言いつつも、彼女は握った袖を放さない。
「もし、自分を犠牲にしようなんて考えてるんだったら、絶対、一番最初に、あたしに相談してね!」
「だから違うって。でも、もしそんなことがあるなら、君に相談する。約束する」
「絶対だよ! 約束だよ!」
僕が笑顔でうなずくと、ようやく浦野は右手を解放してくれた。
「大崎君が一人で死んじゃったら、あたしも死ぬからね!」
「こっ、怖いよ」
「怖がらせてんのよう! もし約束破ったら地獄でも天国でも追いかけてってひっぱたいてやる」
「分かった分かった。万一そんなことがあったらね」
まだふくれっつらの浦野を残して、僕は一旦その場を去った。
あまりそのままでいると、浦野に余計な心配をかけそうだったから。
その後、きちんとした夕食をみんなで摂り、今日はちゃんと眠ってくださいね、と言いつける浦野に苦笑いで返す二人を研究室に残して、一日が終わった。
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