第一章 変わるもの、変わらぬもの(4)
ベルナデッダを出発することにした僕らは、全くもって油断していた。
八人を乗せたドルフィン号が飛び上がると、目の前に、エミリア軍の艦隊がいたのだ。
さすがに目視距離では、ジーニー・ルカによる情報操作で姿を消すわけにはいかない。
ここで恐ろしいのは、ともかく反重力フラッシュボムだ。
それを食らう前に、相手の火器管制システムを乗っ取らねばならない。
ジーニー・ルカに、矢継ぎ早に命令を下す。
彼はそれを受けて、何重にも張られたセキュリティの鎧を引きはがし、艦隊の心臓を掴んだ。
まだ艦隊のシステムは地上や駐屯基地とのリンクを維持しており、入り込む隙間は残っていたからこそだった。
相手が完全な戦闘行動状態でなかったのが幸いしたのだ。
艦隊は三行動単位の合同艦隊だった。並の国なら見た瞬間に降伏を選ぶ大戦力だが、合計十八の戦艦とそれに積まれたジーニー、そしてその他数十の小型艦艇は、あっさりとジーニー・ルカの管理下に入ってしまった。
そんな様子を脇から見ていたルイスとスコットは、何度も唸るような声を上げていた。
そう言えば、彼らが、ジーニー・ルカの全知の力を直接目にするのは、初めてなのだから。
「……たいしたものだろうとは思っていたが、これほどとは」
「なるほど、全宇宙を相手に戦争をすると豪語するだけはあるの」
そう語り合う二人に、
「どうかしら、たいしたものでしょう」
とセレーナは自慢げに胸を張る。
それに対して、スコットはにんまりと笑ってうなずく。
「こんな騎士がついておっては、やはりかなわんぞ、ルイス」
「最終理論を託す相手を、もう一人増やさねばならんな」
最終理論を、ジーニー・ルカに?
いや、そんな選択もありかもしれないけれど。
ジーニー・ルカは、きっと永久にセレーナの最強の騎士としてそのそばにあるだろうから。
その知識を電気符号に変えてセレーナのそばに置き続けるというのも、悪くない考えだ。
「ま、まずはビクトリアさんね、その後、ジュンイチにその気があるなら、みっちり仕込んであげて」
「いいとも、任せておきなさい」
……僕?
……の話だったみたいだ。
と気づいて、彼らの褒め言葉を思い起こし、急に恥ずかしくなって顔から火が出る。
「いいけどさ、このまま突破するのか? いくら無力化したとは言え、ばっちり見られてるんだぜ?」
小さな窓から艦隊を眺めながら、毛利が言う。
肉眼でも彼方に小さな点として艦隊が見え始めている。
彼の言うとおり、ベルナデッダを頻繁に飛び回っているということを知られてしまったことは、ちょっとまずいかもしれない。
そこからルイスにつながり、あるいは、逃亡先、リュシーにまで思い及ぶものが出るかもしれない。
と言って、彼らの記憶を消す方法があるわけでもない。
「何か出て来たようです」
望遠モニターで艦隊を監視していたマービンがつぶやく。
みんなはっとなって見ると、確かに、戦艦の一つから、細い尾を引いて小さなものが飛び出したのが見える。
型は多少違うようだが、オウミで見た戦闘艇と同じようなもののようだ。
「ジーニー・ルカ、あの戦闘艇のデータリンクを検索」
「かしこまりました。――データリンクを発見しました」
「戦闘艇の火器管制システムを乗っ取れるか?」
「艦隊の火器管制システムの下位システムです。既に管理下にあります。問題ありません」
大丈夫だ。
戦艦による攻撃を封じられて、戦闘艇による格闘戦を挑んでくるものかとも思ったが、それも封じている。
まさか、体当たりなんてことはしないよな。
であれば、操縦系統も押さえておく必要があるかもしれない。
と思ったとき、通信の着信を知らせるアラームが鳴った。
「あちらさんからね、出ましょう」
セレーナはまるで何かを予想しているかのように、躊躇せず回線を接続した。
動画付きの回線が確立し、パネルに現れたのは、あの防衛司令官だった。
『殿下、ベルナデッダ空域防衛司令官、ラファエーレ・パスクウィーニ中将であります』
「お久しぶり、中将」
セレーナの返答に、ラファエーレは敬礼で返した。
『直接お話ししたいことがございます、接舷のご許可を』
セレーナは、ちらりと僕の方を見た。
僕は、軽くうなずいて応える。
彼が、この期に及んで奸計を弄すとは思えない。
なぜだか、僕は彼に信頼のようなものを感じている。
「許可します。こちらのジーニーの指示に従うように」
『了解しました』
彼の許可を得て合法的に戦闘艇の操舵システムを管理下に置いたジーニー・ルカは、戦闘艇を安定軌道に投入し、次いで、ドルフィン号を素早くそのそばに寄せて相対速度を合わせ、あっという間にドッキングしてしまった。
エアロックハッチから、二人の男がのっそりと入ってくる。
一人は、ラファエーレ。もう一人は初めて見る顔だが、たぶん彼の副官か秘書か、そんな身分の士官だろう。
彼らのことをあまり知らない毛利と浦野はあくまでも警戒を解かず、それぞれが神経銃を構えて彼らを操縦室に案内した。
操縦室では、セレーナがメイン操縦席に腰を下ろしたまま彼らを迎える。
「王女殿下、お久しぶりです」
「お久しぶりね、中将」
柔らかい微笑みで、セレーナは彼を迎えた。
「どうしても通信線に乗せたくない言葉があり、このようにご無理を申し上げました」
彼は、無重力社交術の一礼を見せた。
「いいわ、言ってみなさい」
セレーナが先を促す。
長く頭を下げていたラファエーレは、ゆっくりと頭を上げ、口を開いた。
「殿下、私どもは、殿下を見つけ次第、確保するよう命令を受けております」
「分かっています、きっとそうでしょう」
「ですので、殿下、一度だけはその命令の遂行をお許しください」
その言葉を聞いたとたんに、毛利と浦野は銃口の狙いを定めなおす。
彼の首筋に、冷や汗が浮かんでいるのが、横からでもよく見える。
彼は、言ってみれば、神経銃も含めた敵七人に横と後ろを囲まれて、セレーナに謁見しているわけだから。
「殿下、降伏をお願いいたします。殿下は正当な裁判を受ける権利がございます」
その言葉を聞き、てっきり怒鳴りつけでもするかと思ったセレーナは、しかし、優しく微笑んだ。
「降伏勧告を拒否します。……ラファエーレさん、これであなたの任務は終了ですわね?」
「殿下の深い慈悲に、心より感謝いたします」
彼はそう言って、再び深く頭を下げた。
つまり、このやり取りだけは、儀式的に通過しておかねばならなかった、そういうことなのだろう。
責務と本心の狭間で苦しむ彼の気持ちが、ちょっとだけ、分かったような気がした。
――そう、彼の本心とは。
「殿下、我々、ベルナデッダ空域の全兵士、心は殿下の下に」
「ありがとう、ラファエーレさん」
と、彼を階級呼称無しで呼ぶのも、セレーナの気遣いなのだろう。
「では、私の考えを伝えておきましょう。私たちは今、誤った歴史に足を踏み入れようとしています。それを問いただすためにも、大きな力が必要です。私はそのための旅を続けています」
「口にはしませんが、我々の中にもそのように考えているものは多いでしょう」
きっと、彼自身も。僕は心の中で付け加えた。
「本来申し上げるべきではないのかもしれません、しかし、一度だけ、上奏いたします。我々、ベルナデッダ空域の全宇宙艦隊は、王女殿下を援けて戦うことをいとわないつもりです。ご命令さえいただければ、たとえ何者が相手でも」
「なりません」
セレーナは即座に拒否した。
「兵士の中には、家族や友人と戦わねばならぬ者も出てくるでしょう。そのような悲しいことは、絶対にさせません」
「しかしそれでは殿下は、どのように、エミリアを変えるおつもりなのですか、どのように巨大な力を持つ諸侯たちと戦われるのですか」
きっと、セレーナのために戦うと言うものは、ベルナデッダだけでなく、あらゆるところに出てくるはずだ。
そう、つまらぬトリックに頼った脅しよりは、正々堂々と戦って権力の座に着く、そんな選択も、彼女には許されているはずだ。
「ラファエーレさん、いかに大義や正義があろうとも、私が父王や諸侯と戦うとなれば、それは単なる貴族同士の権力争いです。民を巻き込むわけにはまいりません」
「しかし――」
「私は戦いません。それに、私でさえ、私の踏み出す先が正しいか分かりません。だから、戦いません。……でも、皆さん誰もが、戦う意思を持ってくれた。だから私は、皆さんに、戦う自由を捧げたい。この私が誤ったとしても、それを正せるように」
「しかしそれでも殿下の御身に万一あれば……」
「それでも。ただ、説得します。提案します。そして、皆さんの戦う意思にお任せします。そのために、私は、あの究極兵器を超える至高の魔法を求めているのです」
「至高の……魔法……」
至高の魔法。
僕らが求めている人類の誰もが持ちえなかった兵器は、きっと、魔法にしか見えないだろう。
この瞬間、究極を越える究極の兵器は、至高の魔法と命名された。
そして、セレーナは、挑戦的な笑みを浮かべる。
「それに」
セレーナは続けて、少しもったいぶって言葉を切り、
「ラファエーレさん、この私を誰だとお思いですか? この私と戦おうなどと考える身の程知らずを許すと思いますか? 戦いなど成立しないのです。戦う気さえ失せるほどの魔法をお見せし、圧倒的な力をもって説得する。あなたのちっぽけな艦隊なんて要りませんわ」
またずいぶんとハードルを上げられてしまった。
これはいよいよ大変なものを完成させなきゃならなくなったぞ。
僕がそんなことを考えている間しばらく固まっていたラファエーレの表情は、数瞬の後、仲間のいたずらを見つけた悪ガキのような顔に変化した。
「お見それしました。殿下がそうおっしゃるなら、間違いなくそうなのでしょう。殿下と――」
彼はそう言いながら、左後ろにいた僕に顔を向けた。
「――ジュンイチ様がともにあらせられるなら、どのような困難も――」
「よっ、余計なことは言わなくて結構です!」
彼の言葉に、なぜだかセレーナは突然怒ったように顔を真っ赤にして怒鳴りつけた。
ラファエーレはそれにひるむでもなく、軽く頭を下げて口を閉じるだけだった。
そして、再び、顔を上げる。
「殿下が一体何者を連れていて、これからどこへ行くのか、それを知ることは私の任務にございません。我々は、まんまと殿下の魔法にかかり艦隊の指揮権を奪われ、逃げられた、ということになるでしょう。どうぞお気をつけて」
「ラファエーレさん、あなたも」
彼はこくりとうなずき、それから、手すりも無いのに弱い磁力で床と相互作用している足先のしぐさだけで華麗に振り返った。何年も無重力で暮らしていると、あんなことさえ見事にできるようになるものなのだな。
「……そうだ、忘れるところでした。デル・サルト少尉、例のものを」
「はい」
彼の秘書官と思っていた彼、デル・サルト少尉は、持っていた一抱えほどもある黒かばんを掲げ、一歩前に進んで、足元に置いた。
彼が恭しくそのかばんの口をあけると、中にはぎっしりと封筒の束が詰まっていた。
ラファエーレは再び王女のほうに向き直る。
「……我が防衛司令部所属艦隊の兵士たちから、王女殿下への感謝と忠誠を記した手紙にございます。毎日のように、殿下に届けてくれと司令室に届いており、参っております。どうぞ、お納めください」
何百通あるかもしれない、手紙の束。
セレーナはついに座席から立ち上がり、そのかばんを手にとって、胸に押し抱いた。
「……ありがとう。必ずすべて読んで、お応えします」
今度はきっと、ボードの中に押し込んで忘れてしまうようなことは無いだろう。
エミリアを変えようと戦う彼女の、最も強い味方からの、大切な手紙なのだから。
「行くぞ、少尉」
声をかけて、ラファエーレは操縦室の出口ドアにさしかかり、そこで、その脇に浮かんでいるルイスを一瞥する。
「……お気をつけて、博士」
ルイスはそれに、うなずいて答えた。
ラファエーレは、ルイスのことを知っていた。
たぶん、マジック研究の権威、エミリアが手中に収めたはずの珠玉を監視することも、ベルナデッダ防衛司令部の定常任務の一つだったのだろう。
だから彼は、ことさらに、今回の特殊任務に王女が何者を連れているかを知ることは含まれていない、と強調したのだろう。
それが、彼なりの忠誠の形であり、そして、たぶん僕らにとってはこの上ない助けになったのだ。
やがて彼らは、入ってきたハッチを通って戦闘艇に戻っていった。大きな音とともに、戦闘艇はドルフィン号から分離した。
操舵の権利を取り戻した戦闘艇は、化学燃料推進のガスの尾を引きながら、艦隊の中に戻っていく。
それが闇に溶けて船窓から見えなくなった頃、
「……行きましょう」
手紙の詰まったかばんを抱いたまま、セレーナがつぶやくように命じた。
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