第六章 ファントム・オブ・カノン(4)
気がついたら朝だった。
何も変化していない天井を見上げて状況を思い出し、寝る前にやろうと思っていたことが何もできていないことに気がついた。
あわてて時計を見ると、アンビリア時間午前五時四十五分。
六時起床の約束には間に合った。
目覚ましもかけていなかったから危ないところだった。
大急ぎで着替えて、広げていた荷物をたたむ。
そこにノックもせずに毛利が飛び込んできて、あ、もう起きてやがった、と舌打ちする。寝坊していたらまた何かいたずらをしようと思っていたのだろう。
ロビーに全員がそろったのは結局七時で、チェックアウトして外に出た。
目的のペットショップは、僕らのいる首都オコナー市にあるが、アンビリアの人口の九割がひしめくと言われる首都はさすがに広く、歩いて行くにはあまりに遠いことは分かっている。ジーニー・ルカの情報防壁を駆使して地下鉄とバスを乗り継ぐことにしたが、幸い一時間ほどしかかからなかった。
開店時間までたっぷりあったので、その周辺で開いている雑貨店などを回ることにした。
もし『屋外に住んでいる』が本当だとすれば、屋外活動用の装置が必要になるだろう。そう思って見てみると、確かに、小さなポシェット程度の大きさの『屋外用呼吸パック』と名付けられたものが当たり前のように売っていた。小さな本体とゴムひもで耳にひっかけるマスクだけという簡素なもの。こんなもので大丈夫なのかと店員に聞くと、少し寒くて酸素がないだけで気圧は屋内とほとんど変わらないから、酸素だけあればいいのだと言う。そういうことであれば、屋外で小さな家を建てて住んでいる、ということもあり得そうに思える。屋外を歩くことに備えて、六セットをその場で購入した。
そんなことをしているうちに、ペットショップの開店時間となった。
その店は、暗くて小さな店で、太っちょの店員が大きなエプロンをしてぼんやりと店番をしているだけだった。
入り口からすぐに天井まで届くような棚が並び、犬猫の餌や排せつに関するグッズに並び、一番奥にひっそりとペンギン用の道具がそろったコーナーがあった。この規模のお店にしては、鳥や小動物を差し置いてペンギンを扱うというのもちょっと不思議なもので、常連のペンギンオーナーがいることをうかがわせた。
「ああ、あの爺さんね、月に一度は来るよ。餌は定期的に届けてるんだけれどね、時々、『こいつはこの餌は最近飽きたようだ、何か別の物がないか』、なんてことを言いに、わざわざペンギン本人を連れてね。試食までしていくよ。ああ、爺さんじゃなくてペンギンが。確か十羽くらい飼ってるはずだね。もっとかもしれない。大得意様さ。――遠い親戚? 君が? うーん、そう言っても、申し訳ないけれど、家を教えてはあげられないよ。実際、あの人の親戚だと名乗って来るのは今年だけでも三組目だ。私もよく知らないがね、お金持ちらしいから。――うーん、そう言われても。気持ちは分かるけれど。どっちにしろこの端末に入っている顧客情報はひとつ残らず私のお宝だから、見せるわけにはいかないよ。悪いね、こんな場末のペットショップでも、信用商売だから。動物の命を扱うわけでね。――そうか、役に立てなくて悪いね、ああ、いいよ、そんなもの――ああ、そこまで言うなら。クレジットだけもらうのは居心地が悪いから、そうだね――ああ、あのペンギンのぬいぐるみでも持って行きたまえ。そう、それ。どうせあの爺さん以外はそのコーナーには用がないからね。うん、それじゃ、気を付けて」
と、店員との会話はたったこれだけで終わった。
僕らは、マービンが押し付けたクレジットクーポンと引き換えに小脇に抱えるくらいのペンギンのぬいぐるみを得ていた。ペンギンコーナーであることを周囲に示すための看板としての役割を終え、これからはおそらくドルフィン号のマスコットになる運命だろう。ただ、キアラがそれをぎゅっと抱きしめていて放しそうにないのが少し心配。……まあ荷物にはならなさそうだから、いっか。
ともかく、ここで得た情報は、僕らにとっては、十分すぎる情報だった。
なぜなら、このペットショップの顧客情報リストは、古式ゆかしい紙のノートなどではなく、オーナーの情報端末にしっかりと整理されていると分かったのだから。
もうこのくらいの不正をすることにはためらいを感じなくなっていた。
ジーニー・ルカに命じて、オーナーの情報端末のオンラインデータベースをこじ開けてもらうと、そのリストはあっさりと見つかった。
手元の情報端末に、それらのリストを表示してもらう。特に、住所について。
屋外――あるいは主要なドームではない小さなドーム――に住んでいると言うのなら、住所から何かが分かるだろう。
たいていの住所は、オコナー市なんとか街区だったが、一つだけ、おかしなものがあった。オコナー市カミラ山麓新分譲地エリアのなんとかかんとか。
ジーニー・ルカに調査を命じると、それは予想通り、ずっと昔にこの一続きのドームの外側に分譲された住宅地で、かつては物好きの金持ちが分譲地を買ってたくさんのプライベートドーム型の別荘が作られた地域だそうだ。一時期は万を超えた住民も、今では二桁で足りるほどの人数になっていると言う。
ペンギン爺さんの住所はついに突き止めた。
地図で調べると、屋外を二時間ほど歩く必要があるような場所だった。
かつては屋外の気密バスが運行していたらしいが、とっくに廃線になっていて、今行き来するなら屋外タクシーを呼ぶのが普通らしい。ペンギン爺さんがわざわざ歩いている謎が少し解けた。
僕らは手近な屋外へのゲートを検索し、屋外用呼吸パックのマスクを身に着けて、屋外に出る。
そこには、セレーナのオーダーでひそかに飛び立ったドルフィン号がとっくに到着して、当たり前のように僕らの前に翼を休めていた。
***
その『分譲地』は、空から眺めれば、気密のしっかりした丸や四角のたくさんのプライベートドームが小さな通りの両脇に広い庭とともに並んでいる、どこにでもありそうな広大な住宅地に見えた。そこに植栽らしきものが全く見当たらない砂漠の町のようであることを除けば。
ドルフィン号は、顧客リストから得た住所に最も近い大通りに強引に着陸した。車も無ければ往還バスも絶えたこの通りに、宇宙船が一機降りるくらいのことをしても問題あるまい。
再び呼吸マスクを身に着け、タラップを下ろす。
二酸化炭素と窒素のみからなるとても冷たい空気が機内に吹き込んでくる。
後で乗り込むときに酸素をしっかりと充填してもらわなきゃな、なんてことを思いながら、僕は最後尾の位置取りで地上に降り立った。
目的の家は、目の前の門扉の向こう側だ。
広い庭と長いアプローチの向こうに玄関が見える。
植栽を模した庭飾りはすっかり砂埃ですすけている。
呼び鈴らしきものはなく、扉も開いているので、僕らはためらわずに庭に侵入した。
玄関に続く小路を半分も進んだとき、予想に反して、玄関扉が開いた。
そして、小さな老人が姿を現す。
あれが、噂のペンギン爺さんか。
ペンギンを連れている様子はない。
僕らと同じようにマスクをしている。
少なくとも、人間ではあるようだ。
玄関まで四分の三ほど進んだところで、その老人と対峙することになった。
誰が何と声をかけるべきだろう。と悩んでいると、セレーナが突然僕の後ろに回って、僕を老人の前に突き出した。
科学者とやりあうのはあなたの役割よ、と言わんばかりに。
相手が科学者か妖怪かも分からないというのに。
僕は一度振り返ってちょっとだけ抗議の目線を送り、それが無視されたのを確かめてから、改めて老人を眺める。
噂ほど小柄でもない。
しわは深く数多く、頭髪は真っ白。歳は八十を下るまい。
シャツ、セーター、ベージュのジャケットを重ね着した、どこにでもいそうなお爺さん。
顔つきは険しく、前に突き出された僕を黙って睨んでいる。
何と声をかけるべきか。
そして、思い出した。
そう、これは、厳しくつらい旅の合間の息抜きと思おう、と考えたこと。
そうとも。
変人爺さんを相手に、何をためらうことがあるだろう。
僕は、頭の中で荒唐無稽な妄想が膨らむのを感じた。
この老人が、本当に妖怪だとしたら。
カノンに取りつく妖怪だとしたら。
ふふっ。
声にならない笑いが漏れる。
僕は、ゆっくりと右手を挙げた。
「スコット・マーリンさん。僕はあなたを知っています」
顧客名簿の名前を思い出しながら口を開く。
変なことを言い始めた僕を、五人が目を見開いて見つめているのを感じる。
ちょっとしたドッキリショーだ。
老人は、かすかに首をかしげた。
「あなたですね。千年前にカノンを操り地球を爆撃し、千年もの間、二百億の地球人をあの小さな惑星に縫い付けたのは」
言いながら、人差し指をまっすぐに伸ばして、彼の鼻先に突き付けた。
訳が分からずに首を九十度も傾けるだろう、というのが僕の予想した彼の反応だった。
そう考え、そこから続く一連のジョークさえ用意してあった。
しかし――。
「入りなさい」
彼、スコットは、小さく笑ってそれだけ言い、くるりと後ろを振り向いて玄関に向かって歩き始めたのだ。
狐につままれたような、とはこのような時に使うことわざなのだろう。彼を化かして楽しむはずが、完全に化かされる側に回ってしまっていることに気が付いた。
変人の危険な手招きだろうか?
それ以外の何かだろうか?
僕が躊躇していると、セレーナが小声で、何してるの、早く行きましょう、と僕を突っついた。
我が主にそう言われては進むしかなかった。
玄関は簡易エアロックになっていて、僕ら六人が入ったのを確認するとスコットはパネルを操作して酸素入りの空気でそれを満たし、マスクを外した。僕らも同じようにマスクを外す。普通に呼吸ができる。少なくとも僕らと同じ空気を吸う人間で、妖怪じゃない。
一番奥に、リビング兼寝室とでも言うような部屋があった。広いソファと広いベッドが同じ部屋に同居している。壁紙は茶色く煤け、天井がはがれているところが目についた。
スコットは隅から小さな折りたたみ椅子を取り出して、自分はそれによいしょと言いながら座り、僕らにはベッドかソファか好きな方に座れと勧めた。
仕方なく、僕はベッドに腰掛けた。毛利とマービンは同じくベッドに、セレーナと浦野はソファ。その後ろに、いつものようにキアラが立つ。結局スコットに一番近い位置に座ったのは僕だった。
「何ももてなしはできんが、まず聞かせてくれ、君。どうしてそれを知った」
「……それ?」
「我がマーリン家の先祖こそ、地球に対する新たなる覇権の立役者だということだ」
彼の言葉に、僕の頭は混乱の度を深めた。
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