第五章 その壁の、内へ(2)
標準時間でちょうど二十四時間。オウミ標準時の夕刻に、僕らはすでに惑星オウミにいた。
ルイスからの忠告もあり、できるだけ見つからないように、周囲に気を配りながらの行軍。でもフットワークの軽いマジック船と、ジーニー・ルカの情報操作によるカノン割り込み放題の旅は、従来の旅に比べてあまりに速い。
日が暮れる時間だが、翌朝を待つつもりはなかった。
惑星間時差に備えて移動中はめいいっぱい睡眠をとったから、まだ僕らの脳は夜を迎えるつもりがなさそうだったのもその理由だ。
情報論的に姿を消しながら堂々と惑星表面に降り立ち、その足で僕とセレーナは文化研究所に向かった。例によって四人は留守番だ。
到着したとき、惑星時刻は十八時を過ぎていたが、まだ居残っていることにかけて、受付でアンドリューを呼び出した。
果たして、彼は帰り支度を済ませたところで、ぎりぎりのところで捕まえることに成功した。
名乗らなかった来訪者のために面倒そうに受付まで出てきて、それから僕らの姿を見た彼は、飛び上がって、さあ急いで研究室へ、と先導した。
「実のところ、僕はさまざまな発見をしている」
いつものティーポットを食器棚から引っ張り出しながら、それでももう我慢できないと言うように、背後の僕らに向けて話し始めた。
「ああ、セレーナさんはこの話はもしかして初めてかな?」
「いいえ、あらましは聞いています」
「そうか、じゃあ前置きはいらないね。カノンの実用化は、おおよそ千年ともう少し前だ。理論的発見はそれより五十年ほど古い。正確には、初めての星間ジャンプは千百十五年前、理論の発見は千百六十三年前。初めての惑星植民地の完成は千七十五年前だ。もちろん言うまでもないが、それはアンビリアだ」
古びた湯沸かし器が湯気を上げ始める。アンドリューはそのそばで丁寧に茶葉を計り取っている。
「それからいくつかの惑星が開拓されたが、輸送する資源量の拡大に合わせて、最初は一基だった地球の星間カノンはすぐに二基に拡張された。そのときの人類の版図は、地球と、四つの別々の星系。このあたりまでは、教科書にも書いてあることだ」
沸いたお湯に対して何かの処理をしている。おいしく入れるコツなのだろうな。たぶん、温度とか。
「今、地球には四基の星間カノンがある。残り二基がどこかで建造されたはずだ。だがね」
ゆっくりとティーポットにお湯を移し始めた。茶葉を入れたところを見逃した。
香ばしい匂いが、ゆっくりと研究室を満たし始める。
「途切れているんだ、建造が。それから、そこまでの記録では地球にあった八か所のカノンの研究所が、その途切れている期間中になぜかアンビリアに移っている。正確に言うと、アンビリアに新しく研究所ができ、地球の研究所は実質的に廃止になった。そのあとで残り二基が建造されている」
彼のその言葉に、心臓が高鳴るのを感じる。
その間にあったこと――。
「そう、例の大事故があったとされる、九百九十年前という時期を、ちょうど挟んでいるんだ」
アンドリューは、顔だけを僕に向けて、意味ありげに、僕の瞳をじっと見つめた。
「建造の途切れと大爆発が関係あるとするなら、あの年代は、実は正しかった、ということですね」
僕が推論を口にすると、
「そう。あれだけのクレーターを掘るような大爆発事故の記録を、年代まで改ざんするわけにもいかなかったのだろう」
「そして、カノン開発の主導権が地球からアンビリアに移ったのは、ちょうどその大事故の前後」
「だから、ジュンイチ君、君の推測は、やはり正しいのかもしれない。あの事故は、事故ではなく侵略で、しかもそれはカノンを応用した兵器だった。であれば、地球の手からカノン技術をもぎ取る理由になる」
少し蒸らしてから、彼は、ティーポットとカップを急いで応接机の上に並べた。
そしていつものように慎重に注ぐ。
「最初の宇宙戦争の記録はずっと下がって、約九百年前。そのときにはすでにアタック・カノンらしきものが使われている。実際は、貨物船で運んだ探査用の小型往還カノンを使って弾丸を撃ち込むというアイデアだったらしい。戦いは一方的で、星間カノン基地の付属兵舎が遠距離から吹き飛ばされ、貨物船で輸送された兵員によって基地が制圧された。それから、カノン基地防衛の兵力はカノン基地から離れた場所に見つからないように置くことが常識となり、気がつくとそれにエンジンが取り付けられ、ステルスが施され、――戦艦になっていた。攻防を兼ねたアタック・カノン搭載の宇宙戦艦が一般的になったのは、最初の戦争から百年近くたってからだね」
彼の言葉を聞きながら、冷めないうちに、僕は紅茶に口をつけた。
相変わらずおいしい。
「歴史の定説は、アタック・カノンのアイデアがあって、この戦争が起きた、と言っている。けれど、そのアイデアが、昔の地球侵略の記憶だったとしてもまったくおかしくは無い」
「待ってください、カノン基地に兵舎があったと?」
「そう。少なくともカノン基地には最初から防衛のための兵舎がある、ということが常識になってる」
「最初から、カノン基地のとりっこをする戦争が将来に起こると分かっていたかのように?」
「そうだね、だから、カノン基地こそが戦略上の目標だということが、もっと古い時代に分かっていたということでもある。当然ながら唯一の星間移動手段であるカノンを押さえることは戦争を有利にする条件の一つだろう。だが、実際に地上にある意思決定機関を屈服させるより優先させるものとも思えない。他星系からの援軍や補給も他星系のカノンを使って打ち込むだけだから、兵站破壊という意味でも、その星系のカノンを優先して押さえる理由にはならない。言ってみれば、その星系のカノンを占領する理由は『逃げ道の確保』以上の戦術的な意味がない。考えあわせれば、最初の戦争と呼べない戦争が、カノン基地こそを戦術兵器として用い行われたであろうことの傍証と言えるかもしれない」
アンドリューはカップを持ち上げ、
「ともかく、調べれば調べるほど、君の仮説が正しいとしか思えないんだ」
言いながら、ゆっくりとすする。
「それから、もう一つ重要なことがある」
カップを置いて、彼は、背筋を伸ばした。
「アンビリアの研究所も、五百年以上前に閉鎖されている」
「では、カノン研究の中心地はどこへ?」
僕は思わず尋ねていた。
反重力研究の聖地がリュシーからベルナデッダへ移ろうとしているように、それは、どこかに漂流していったはずだ。
そこに、僕らの目指す、カノンの理論研究家が、いるかもしれない。
「どこにも」
その彼の言葉は、あまりに意外だった。
どこにも?
この宇宙に、カノン研究をしている人は、もういない、と言うのか?
「でも……カノン建造はまだまだ続いているし、性能向上も進んでいるはずです。誰も研究していないなんてことはありえない」
「そう、僕はそこを重点的に調べたんだ。だが、カノンのための研究所というものは、どうやら、この宇宙にはすでに存在しないみたいなんだ。アンビリアに開設されたものを最後に、ね。それ以降は、各地にあるカノンのコンストラクターや部品メーカーがそれぞれに技術開発を進めているけれど、国の投資による純粋理論研究は完全に消えてしまっている」
「純粋理論!」
僕は思わず声に出してしまった。
それをこそ、探しに来たというのに。
それが、もうこの宇宙に無いかも、だって?
「……何か、気になることがあるんだね?」
「ええ……最初から話すべきでしょう」
そして、彼の元を去った後に起こったことを簡潔に説明した。
アルカスでの冒険から、真の力を求めた新たな冒険へ。
「……そして、僕らは、もう一度、ルイス・ルーサー博士を訪ねました。僕らの得るべき武器は、博士のマジック爆弾だと思って。そうすると、博士は意外なことを言ったのです。マジックとカノンは相性が悪いと。言い換えれば、この二つの理論は関連しているかもしれない、と」
そう、そうに違いないのだ。
相性が悪いということは、それ自体が『関係』だ。
僕は自分の言った言葉で、何かをすっきりと理解した気分だった。
なんとか方程式のどこそこの項の形が似ている云々と言うよりも。
少なくとも、マジックとカノンを同時に使ったときに事故は起こった。それこそが、関係だ。
「博士は、僕に使命を与えました。カノンの純粋理論家を探して来いと。だから、アンドリューさんの調査結果は……」
「なるほど、図らずも僕は、それが手に入らないことを君に告げてしまったわけか」
僕はうなずく。きっと、とても暗い顔をしているだろうな、と思う。
「ジーニーの話もそうだし、カノンのその後の歴史についてもまだいろいろと話したいことはあったが、それだったら、それはまたの機会にしよう。僕は、取るに足りないと思われるうわさをたまたま見つけたんだが、むしろそれが役に立つかもしれない」
「うわさですって?」
セレーナが興味をひかれたように顔を上げた。
「最後まで純粋理論の研究をしていたアンビリアが宇宙中から注意深く理論研究の手がかりを消して回ったなんて話もこの後に続く予定だったんだが、そんなことを調べているうちにね、アンビリアにおかしなうわさがあることに気がついた。研究所は二つあった、と言うんだ」
「でも、両方が閉鎖されたんではないんですか?」
「違う。閉鎖された公の研究所は一つ。もう一つは、純粋な個人の研究所だった。一人の物好きが作った研究所。もちろんその記録は無い。世の中には自称研究家が山のようにいる。そんな中の一人なのかもしれないが、それにしては、星間通信でインタビューしたアンビリアの技術者は決まってそのつまらないうわさを口にするんだ。僕がアンビリアのカノン研究の歴史を調べている、と言うと、自分なんかよりその伝説の仙人にでも聞いてみたらどうだ、とね」
「仙人……」
「もちろん、ジョークのようなものだろう。アンビリアがカノン研究をやめたときに、レイオフされて残された研究家が地下にもぐり、宇宙中のカノン技術研究者にひそかに研究成果を与えては技術の進歩を助けてきた、というおとぎ話のような話なんだ」
「だったら、やっぱりおとぎ話なんでしょう。国の援助の無い純粋理論の研究なんて、貴族の趣味に過ぎないわ」
そう言えば歴史なんて貴族の暇つぶしに過ぎないなんてセレーナは言っていた気がするけど。
「だけど、うわさが妙に具体的なのが気になるんだ。千年前に莫大な富を築いた男が、自宅に小さな研究所を構えて研究をしているんだ、と。単なるおとぎ話なら、研究費の出所の裏づけなんてしないだろう?」
「確かにそうですね。神話の類なら、むしろ、そういった生臭い話は伏せて、神秘性を重視するものです」
僕が言うと、アンドリューもうなずく。
「それに、どちらにしろ僕らには他に手がかりが無いんです。アンビリアに向かうしかないですね」
「いるかも分からない謎の仙人を探して?」
再びセレーナの抗議めいた声。
「他の理論研究は途絶えたんだ、これが唯一の手がかりだ」
「本当に途絶えたのかどうかくらいは確認すべきよ。たとえば、ロックウェルの外、不思議なジーニーのいたアルカスやもっと向こうに、何かあるかもしれないわ」
「僕もセレーナさんの言うとおりだと思うよ」
アンドリューはうなずきながら言う。
「僕の調査結果は、宇宙のすべてを網羅しているとは言いがたい。いったんは途絶えても、どこか、アンビリアの影響の無い場所で再興していたかもしれない」
その可能性はもちろん、ある。
けれど、それを完全に調査し尽くす方法は、あるだろうか。
何年も時間をかければできるかもしれない。
けれど、結果を一足飛びに知る方法なんて――。
「ああ、簡単なことだった」
僕は思わずつぶやき、セレーナを見つめた。正確にはその向こうにいる全知の魔人。
「ジーニー・ルカ。直感推論。カノンの純粋理論の研究をしている国は、宇宙にまだあるかな」
そして、応答は僕の腕の音声インターフェースからあった。
「私のセンサーの及ぶ範囲にはございません」
「センサーの及ぶ範囲?」
「はい。接続可能な情報機器、あるいは、直接観察可能な範囲です」
とすれば、それはどこまで広がっているのだろう?
ジーニー・ルカは僕の疑問を読み取ったように続けた。
「その範囲とは、この船の周囲の透過スキャンレンジ約八百メートルと、ブレインインターフェースでつながったセレーナ王女の視聴覚の範囲、および、星間通信で接続可能な情報機器内、ということになります」
星間通信で接続可能な情報機器の中に情報が無いのであれば、まず無いのだろう、と結論するしかない。
星間通信ネットワークは、少なくとも人類のたどり着けたあらゆる星系にくまなく伸び張り巡らされているのだ。
ここに来て、ジーニーの全知の力に、新たな枠組みがあることに気がつく。
よく言われる、ジーニーの直感の仕組みとは『入力された情報に対するパターンマッチングに似たもの』。これが、量子論的な完全知の力だとしても、結局は『入力のある範囲』に知る力は限定される、という意味では、機能としての見え方はまったく同じだ。彼が知ることができる範囲は限られている。
彼が知ることができるのは、彼が知らないと知っていることだけだ。
たとえば、彼が今、地球の南極点に吹く風がどの方位から吹いているかを知ることはできるか?
――できない。
なぜなら、彼は、今、南極点の風のことを知らないということを、知らないから。
遠くからでも、通信網ごしだとしても、彼は南極点の風という『スクリーン』を見なければならない。
そこに『知らない』の穴がぽっかりと空いているのを見て、ようやくその穴を埋めることができるのだ。
知るべきだと分かるのものを知る力、それがジーニーの全知の力。まるでAR(拡張現実)ゴーグルが景色に別のものを映し出すように。
だから、『ない』ことと『知らないことさえ知らない』は、区別ができない。
彼が『そこにある』と言ったものはきっとそこにあるが、『ない』と言った時は、それに限らない。
確かに、全住民の住民台帳だの宇宙中に張り巡らされた通信網にぶら下がったセンサーだのという目はあるけれど、じゃあセンサーさえもない場所は? 例えば、テラフォーミングに失敗して惑星の大半が荒野として取り残されている惑星では? 相手が何者かも分からない研究者だとしたら?
「ジーニー・ルカは、アンビリアの研究家についてまでは知ることができていないと思う」
僕は結論だけをぽつりと口にした。
「つまり、いるかもしれないってこと?」
「そう、彼の力には限界がある」
「彼は、キアラの居場所やルイス・ルーサー博士の冷蔵庫の中のベーコンまで当てたのよ?」
僕の言葉に、セレーナはすぐさま反論した。それほどに、あの出来事は衝撃的だった。
「それは、君がそれを見ていたからだ」
僕は、あのときの確信を言葉に変換する。
「ジーニーの全知の力は、見えているものの上に真実を重ねて見る力だ。君のブレインインターフェース越しにエミリアの大陸を、博士の部屋を見た。だから、ジーニー・ルカは、そこに浮かび上がる真実を知り、あれを言い当てられた。今彼はその研究家が何者なのかを知らない。彼の視界に映し出すスクリーンが存在しないんだ。もし、カノン理論家がいたとしても、彼は見つけられないと答える」
「あー、はいはい、何言ってるか分かんないわ。今度、ジーニーの研究家を捕まえて討議することね」
呆れたように両手を上げながら、セレーナが言う。
なんだかひどく馬鹿にされているような気がして、僕はちょっとむっとする。
「とりあえず、あなたに自信があることは分かったわ、つまり、アンビリアをちょっと見に行きたいってことでしょう。行くんなら急ぎましょう」
気がつくと、アンドリューがニヤニヤと僕らを見ている。
「ふふ、僕はてっきり、セレーナさんがジュンイチ君を振り回す役割なのかと思っていたら、まったく逆だったんだね」
「僕は振り回してなんか――」
「そうなんですよ、本当に参ってます」
と、セレーナは皮肉っぽい笑みを浮かべた。
そんなつもりは無いんだけど。それを言ったら、一介の高校生を宇宙規模の陰謀に巻き込んだのは誰だよ、と。
「どちらにしろ、アンビリアの物好きなんてここに座っているだけの僕には見つけられないんだ、役割分担はジュンイチ君がアンビリア、僕が資料。これが適当だと思う。歴史や資料を探せば見つかるものは僕が探しておくよ」
「本当ですか、ありがとうございます!」
彼の調査の申し出に、僕は思わずその手を取った。
彼は照れ隠しのようにくしゃくしゃの赤毛を空いたほうの手でかきむしった。
もう一杯だけ、付き合ってくれ、と彼が言うので、船に残してきた仲間たちには悪いけれど、宇宙一おいしい紅茶をもうひと時だけ楽しむことにした。
***




