第四章 巨鳥の羽ばたき(4)
気が付くと、地球よりやや長いベルナデッダの惑星時間にも関わらず、外は真っ暗になっていた。降り続く雨と厚い雲で暗くなるのは早いとは言え、昼食も夕食も忘れて僕らはルイス・ルーサー博士の作業を固唾を飲んで見守っていたことになる。
彼は、無言で、あるいは、何か小さくつぶやきながら、もう何枚目になるかも分からないほどの紙を黒鉛の粉で満たし、何か小さくメモ書きを最後に付けてから、大きくため息をついて顔を上げた。
「……ああ、えー、君たちには何を頼んでいたかね」
「いいえ、何も」
僕が答えると、彼ははっとした表情を浮かべる。
「済まない、夢中になってしまったようだ、今、何時……昼食は済ませたかな」
「いいえ、それも」
彼はその答えに、ばつが悪そうな苦笑いを浮かべて、立ち上がった。
「休憩にしよう。レトルトでよければ、昼食を準備するが」
「だったら、博士特製のベーコンスープが食べたいですー」
浦野が手を上げにこにこと笑顔を作りながら言う。
「そうかい? もちろん、いいとも。ただ、包丁と鍋はどこだったかな、もう二年は触っていないからな……」
ああ、これは、待っていたらいつまでたっても完成しないパターンだ。
「あの、博士、私が見つけておきますから、レトルトの軽食でもとってらしてください、ね」
セレーナも同じことを察したと見え立ち上がろうとするが、
「お待ちくださいセレーナ様。私がまいります」
「あっ、いいのよキアラ……」
「いいえ、セレーナ様には大切なお役目がありますでしょう」
そう言われて、セレーナはしょんぼりと座り込み、キアラが台所へ向かった。
「いやお客様にそんなことを……ああ、行ってしまった」
「すみません博士、台所、少しお借りしますね」
セレーナがルイスに言うと、
「それはよいのだが……しかし」
ルイスは再び心配そうにキッチンを見やる。
キッチンから何かが崩れる音とキアラの悲鳴が盛大に響いてくる。
「……少々、ひどいことになっておってな」
「あ、あたしも行ってきます!」
「トモミ、私も行く」
セレーナと浦野も大慌てでキッチンに飛び込んで行って、その結果は、崩れる音に重なる悲鳴が三つになるという成果となって現れた。
とりあえず手元にあったクラッカーの箱を開けて大きな皿に広げ、つまむことにする。
「……博士、それで、その……なんでしたっけ、二つの何かを?」
「ああ、そうだ。まず一つ目。マジック爆弾の作り方だ。マジック船はすべてマジック爆弾になりうる。パワーの入れ方次第でな。それを導くための逆関数を作らねばならん。手を付けてみたが、もう少し時間がかかりそうだ」
「マジック船をマジック爆弾にするための方程式、と言うことですね?」
「そうだ。ただ、方程式の中に、たぶん、いくつかのパラメータが出てくる。本来は何百万回という実験で十分な精度の数字を決めねばならんが、それは、ジーニーが推測できるんだね?」
「ええ、たぶん」
「よろしい」
取り急ぎインスタントのエスプレッソを見つけたと見え、浦野が湯気の上がるカップを持ってきて、ルイスの前に置いた。
「ああ、ありがとうお嬢さん――」
「ウラノ・トモミです」
「そうか、名前も聞いていなかったね、ありがとうトモミさん」
言いながら、ルイスはカップを持ち上げて一口すすり、目を閉じてため息をついた。
「さて、もう一つ。逆関数の入力を突入反重力効果の理論式から導かねばならぬが、突入反重力効果そのものはある程度定式化しておいたものの馬鹿馬鹿しい爆弾にしか応用できぬと放り出しておいたのだ。だから、必要な定数が式の中にいくつ残るのかをきちんと出しておかねばならぬ。そのための作業をしようと思ったのだがね、彼――ああ、君も名前を聞いていなかったね――そうか、ヨージロー君か、ありがとう――彼に言われて、思い出したのだよ、一か所、どうしても矛盾が残りそうなことに。虚数時間理論が役に立つかもしれん。いずれにせよ、これをカノンで放り出したいのなら、マジックとカノンの干渉に関しては、ある程度理論的に明らかにしておくべきだろう」
一息にしゃべり終わってから、エスプレッソを一気にあおってカップを空にする。
「それで、カノンの理論家に心当たりがあるのかね?」
ルイスは、誰にともなく聞いた。
さっきは夢中であまり聞いていなかったのかもしれない。
「いいえ、残念ながら。カノンの技術史に興味を持った歴史研究家なら」
「何としても、虚数時間超光速運動理論が分かる人間を探してきてほしい」
彼にとって、僕らがそれを探しに行くことは、もう決定になっているようだ。
もちろんそうだ。宇宙一速い見えない宇宙船を駆る僕らこそ、それを成さねばならない。
「虚数時間……えーと」
「虚数時間超光速運動理論。カノンの純粋理論の研究者、と言いなおすのがよかろう」
「技術者ではなく」
「そうだ、君は飲み込みが速くて助かる」
僕は、毛利とマービンに視線を送った。
彼らは二人とも、頼もしくうなずいてくれた。
あとは女性陣を説得するだけだ。
その三人が、また何かの山を崩した音と悲鳴が聞こえた。
***
結局、早めの晩餐に突入した。
食事は、前と同じ冷凍ディナープレートだったが、もちろん不味かろうはずがない。
ベーコンのスープは浦野が作ることになってしまった。
出てきた一品は、風味も良く塩加減も完璧。甘しょっぱい味は疲れた体に浸み込むようだった。
開いてない乾燥ハーブがあったので使っちゃいました、と浦野が申し訳なさそうに言うと、そう言えば前も簡単なパスタソースの話を聞いてスパイスやハーブを買い込んでそのままにしたことがあったな、とルイスは返した。
プリンにしか興味がないと思っていた浦野が即席でこんなスープを作ることに驚き、さて、運動神経、頭の回転に加えて、絶対味覚も付け加えなきゃならないな、と僕は思わざるを得なかった。
食事も半分くらい進んだところで、そうだ、とルイスは立ち、奥の棚からお酒を出してきた。
不揃いのグラスを六つ並べ、あっという間にそれらをきれいな琥珀色で満たした。
「新連合では未成年の飲酒は違法だったかね? まあここはエミリアだ、せっかくだから飲みたまえ」
「もちろん違法ではないですよ、いただきます!」
毛利が早速受け取り、グラスをルイスのそれにぶつけた。
僕もそれにならってグラスを取ろうとすると、それは僕の手の中から消えてしまった。
代わりに、セレーナの手の中へ。
「あなたは飲まないの。いいわね」
……厳しいことだ。
「セレーナさん、そう固いことを言わないで。彼は前の時も、セレーナさんがお休みになった後、酌み交わしたのだよ」
「ええっ!? そんな危険なことを? 何か彼、おかしなことをしたり言ったりしませんでした?」
「うーむ、何ともなかったが……そんなに酒癖が悪いのかね」
ルイスが答えると、セレーナはあからさまに胸をなでおろした。
「弱いんです。ひどいものです」
セレーナが本当にほっぺを膨らませてそういうものだから、ルイスは大笑いして、僕のためにミネラルウォーターを出してくれた。
大したことはなかったとあの時は言ってたけれど、あれはセレーナ流の気遣いだったのかな。そんなに、あの後、ひどいことになったのか。この上空に浮かぶ駐屯基地での歓迎会で。
「セレーナさまもほどほどにお楽しみください」
僕らの会話を聞いていたキアラが、ニコニコしながらそんなことを言う。
「えっ、あー、うん、気を付ける。何事もほどほどね」
突然自分に矛先が向いて戸惑いながらも、セレーナはその忠告を素直に聞いていた。
「さて、まだ事情を聞いていなかったね、大体は分かっているつもりだが」
「ごめんなさい、後になってしまいました。エミリアの状況はご存じですね」
「そうだな、特に、マジック技術に関することは良く耳に入る。ロックウェルから次々と技術者を引き抜いていること、惑星ファレンへ圧力をかけていること、地球に対するつまらぬ仕掛けをしたこと」
彼はたったの一息で、僕らの知るすべてを披露して見せた。
「その通りです。恥ずかしながら……前にここに来た時には、私はそのほとんどを、――その愚かしさを、正しく理解していませんでした……このような身分にありながら」
「ふむ、そうなのだろうな。君があのことを知らないことに私も多少驚いたのだが……つまり、今国政を牛耳っている連中が、君に注意深くそれを隠していたのだろう」
「ええ。ただ、私は、知るべきでした。知るための努力をすべきでした。今さら悔やんでも時間は戻りませんが……」
「そうだな。それが、過分な権力を持った王族の責務というものだろう。それを知らずに贅沢な生活を楽しんでいた君も、残念ながら陰謀への加担者と呼ばれるしかなかろう」
僕自身の心臓が跳ね上がるほど厳しいことを言うルイスだが、セレーナはそれでも、うつむき加減のまま、一度、うなずいた。キアラがそれを心配そうに見つめている。
「だから、私も一度は受け入れようとも思いました……国のために……でも、どうしても許せないことが起こって……」
僕の右隣に座っているセレーナ。ふと膝のところに目をやると、両手を握りしめている。
「数々の陰謀を巡らす道具として、私だけならともかく……友達を……ジュンイチを……利用しようとしたんです。それだけは絶対に許せなかった。こんな国滅びてしまえと、私はその時、本当に思ったんです」
震える彼女の声が、スープの湯気の中に消える。
――ホテルに引きこもったセレーナが、そんなことを思っていたなんて。
僕と結婚するのがそんなに嫌だったのかよ、なんていう軽口が思い浮かんだが、頭の中だけにとどめておいた。
彼女の気持ちは、僕を巻き込み、陰謀の渦中に置いてしまうこと、それに対する自責の念なのだ。
僕自身、それは、浦野を巻き込んだときに嫌と言うほど味わった。
「だけど、ジュンイチに励まされて……ほかの友達にも……だから、私は、国を作り替えてやろうと」
ようやく顔を上げてルイスに向き合った瞳は、また少し濡れていた。
「ふっ、ふふっはっは」
ルイスは突然笑った。
「よろしい、実によろしい。子供らしい情熱と正義感。そんなものが、科学を、歴史を動かしてきた。何千年も前から、ずっとだ。実によろしい」
「博士……ありがとうございます」
セレーナも、目元を拭うようなしぐさを見せながら笑った。
「若いというのは、良いものだ。年寄りはね、経験ばかりが多くて、すぐに、どうせ無理だろうとあきらめるようになる。だから、歴史を動かせるのは若者だけなのだよ」
いつの間にか飲み干していたグラスに、ルイスは手ずからお代わりを注いだ。
「前に来たとき、君たちが、知るべきでない深淵に向かっていることに気が付いたのだよ。だが、君たちにならできるだろうと思っていた。私は嘘偽りなく、君たちは宇宙をひっくり返すようなことをしつつあると知っていたのだよ。だから、もう一度だけ、私が君たちを助けることがあるだろうと思った。もし、君たちがこうして来なかったとすれば、君たちは何かをあきらめていたということだろう。それは、私にとってとても残念なことだ」
「――だから、博士は、僕らがもう一度ここに来ることが何よりの恩返しだと、そうおっしゃったのですね」
「その通り。ジュンイチ君、君が呼び鈴を押して名乗った時のこの私の胸のときめきが、君に分かるかね。私が宇宙を託した子が、試練に負けず飛び立つことを選んだと知った時の私の気持ちが。殿下の手前、踊りだしたい気持ちを抑えるのに必死だったのだよ」
「そうおっしゃってくださっても良かったのに」
「私はそこまで楽天家になりきれないのだよ。君たちが違う目的で来たということもあり得た」
そうだろうな。
エミリアという国に一度はだまされて人生を失ったのだから。
「ではセレーナさん、君の目的は、君をだまして友達をも利用しようとしていたエミリアへの復讐、そういうわけでよいのかな?」
「ええ。腐った貴族どもを叩き出して、誇り高きエミリアを取り戻す」
「……民主化、かね?」
ルイスの曇った表情を見て、彼が何を想像しているのか、僕にはすぐに分かった。
民主化革命の末の、貴族たちの悲劇。きっとそこには、セレーナも首を連ねる。
「いいえ。私は、王族としての誇りまで投げ打つつもりはありません。王族の一人として、エミリア王家と諸侯には自浄作用がある、ということを、民と、宇宙のすべての国々に示すつもりです」
すると、ルイスはなるほど、と小さくつぶやいて微笑んだ。
「そして、結局君たちは、宇宙をひっくり返しかねない大変なものを手にして、さらに私の埃だらけの記憶から大変なものをさらっていこうとしているわけだ。貴族たちを叩き出すために、ね」
「武力による脅しなんてものは、本当は頼るべきではないということは分かっています。でも、もし私が諸侯たちを追い出すとするなら、私にエミリアを守る力があることを臣民たちに示さねばなりません」
「……とすれば、誰にも知られぬ究極兵器というのは、王女殿下の力を示すにはおあつらえ向きというわけだ。もし実現すれば、それは、王女にのみ許された奇跡と思われる、そういうわけだな」
「……実は、もうやっちゃったんですよ」
僕は思わず横から口を出した。
「その……セレーナがこの前、摂政閣下に侵略をやめるよう談判に行ったとき、どうしても聞かない閣下に対して、『いずれ王女の魔法をお見舞いしてやる』と啖呵を切って出てきたというわけで」
僕が言うと、さっきの倍の音量と倍の長さで、ルイスは大笑いした。
「魔法か、違いない、マジック爆弾なのだからな」
涙をぬぐいながら、ルイス。
「ついでに言いますとですね、大崎君は、彼女の言葉に合わせてジーニーの情報操作で宇宙船を索敵網からかき消して見せるなんていう演出までしたのですよ、博士」
マービンが余計なことを言うと、ルイスはさらに笑った。
「若い。良いことだ。そのような馬鹿げたことを後先考えずにできるというのは、実に良いことだ」
「博士も十分にお若いじゃないですかあ。さっきの理論に取り組む博士は、とてもお年寄りには見えませんでしたよう?」
浦野が言うと、や、これは恥ずかしいところを見せたな、とルイスは照れ笑いした。
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