第四章 巨鳥の羽ばたき(1)
■第四章 巨鳥の羽ばたき
偶然か必然か。
ドルフィン号は、再び、ベルナデッダ反重力研究所にほど近い郊外の小さな駐機場、それも、僕らが前に泊めたのとまったく同じ区画にその姿を置いていた。
真っ白のな船体と鮮やかなオレンジの船名はあまりに目立つので、船体を丸々覆う防雨シートを借りてかぶせることにした。
キアラを無事(?)救出した僕らは、元の計画通り、ルイス・ルーサー博士を訪ねることに。
そうして何度目かのベルナデッダに、僕らはいる。
地上に降りたとき、やはり、しとしとと雨が降っていた。
嵐のような暴力的な気候がない分、その多すぎる水循環は、惑星を常に濡らし続けている。
雨がやむことはあるのだろうか。
この惑星の住民は、晴れ間を見ることがあるのだろうか。
灰色の空と傘と足元をぬらし続ける雨を見ていると、そんな感傷的な気持ちになってくる。
ターミナルのバス乗り場に少し濡れながらたどり着くと、次のバスは一時間後だった。
仕方なく、待合所に避難する。
全部で二十席くらいの椅子。他に乗客は無し。僕は入り口すぐのところに座る。浦野が一つ空けてその隣に座る。残る高校生二人は、立ったまま、周囲の景色をぼんやりと見ている。セレーナは、少し離れた場所で立って何やら物思いにふけっているようで、キアラはその隣に静かに侍っている。
「ここって、ずっと雨が降ってるの?」
「前もそうだったなあ」
「そしたら、靴とかボトムスとかってきっと、この星では特製ねえ。みんな長靴なのかな、普通の靴がぜんぶ防水が良く効くのかな」
雨がずっと降っている、ただそう聞いて、そんなことまで想像をめぐらす浦野は、実は結構賢いんじゃないか、なんて最近、思う。
ちょっと間の抜けた女の子を演じているだけで。
運動神経抜群で頭の回転が良くて、足りないのはそれぞれ、体力と絶対的な知識量だけ。
ポテンシャルだけなら完璧超人じゃないか。
「町に着いたら、注意して見てみようか」
「かわいくて防水機能もしっかりした靴とかありそうねえ。お土産に買っていこうかな。足が濡れるから雨の日は嫌いだもん」
「浦野がプリンより先にそっちに気が向くなんて、大変だ」
「失礼ねえ。だから大崎君はデリカシーが無いっていうのよう」
「軽口、冗談までデリカシーかよ」
浦野は、ふふ、と小さく笑った。
「面白い方たちですね」
遠くでキアラがセレーナにそんなことを言っている。
「そうね、でも、彼らはあれが普通だし、新連合ではあれが普通なのよ」
「左様ですか。でもセレーナ様のご友人でもあるのでしょう?」
「あ、ええ、その、そうよ。でも私はあんな面白いことは言えないし、やっぱりその」
「セレーナ様がご遠慮なされているのではなければ、よかったです」
遠目にも、セレーナの表情が少し固くなるのが分かった。
セレーナにとってのエミリアの友達だったキアラと、国を超えた友達の僕ら。きっと、なんだかお互いに値踏みされているような、セレーナにとっては対等のはずの僕らとキアラの間の距離感を測りかねてるような、そんな居心地悪さがあるのだろうと思う。
何度か僕らとキアラの間に視線を行き来させ、セレーナはそばの椅子にかけることにしたようだ。
「キアラ、その、あの後はずっとあそこで見習いを?」
「いいえ、何度か他の家を転々と。最初はレオナルディ家の子女として、それからすぐに、平民の身分で」
「……実家に籍は残ってるんでしょう?」
「はい、ですが、戻らない方が良いと、父が」
それを聞いてセレーナがうつむいている。
「王女である私の勘気を怖れて」
「……父は、そのように考えていたかもしれません。あるいは、私は最初から貴族というものに向かないと考えたのかもしれません。分相応の暮らしをいずれ立てよと、そのように」
そこまで言ってから、キアラははっとした表情でセレーナを見つめる。
「私はセレーナ様を怖れたりしていませんから。セレーナ様と引き離されたことは悔しく思っていましたが、あれはやむを得ぬことでしたから。誰かが責を負わねばならなかったのです」
「……そう。そうね、それが私たちの生きていた世界だものね。あなたが無事で嬉しいわ」
「もったいないお言葉」
お辞儀をしてから、キアラはふと気付いて、セレーナのスニーカーの靴ひもに手をかける。
「少し緩んでございます。ご辛抱を」
そして彼女は手早くひもを解き根本から丁寧に通し直して芸術的な結び目を瞬く間に作ってしまう。それから、反対の足も。
ふと気付くと、毛利とマービンもその様子をじっと見ている。無理もない、誰の責任でもない事故で引き離された二人。その関係、その行方が、どうしても気になる。
「こんな靴も扱えるのね」
「はい。平民として暮らしていましたから。それに、いつ高貴なお方に召されるとも分かりませんから、お作法の復習は怠っておりません」
最後に、パンツの裾を少し持ち上げて整える。
「このあと雨の中を歩きます。裾を少し上げておきましょうか」
「安いパンツだから結構よ。濡れたら乾かすだけ」
分かりました、とうなずくと、キアラはセレーナの斜め前に立ち佇まいを整える。
「……残酷な」
ふとそんな声が聞こえて、視線を向けた先には、マービンがいる。僕の視線に気付くと、慌てたようにいつもの笑みを浮かべて窓の外に目をやっている。
今、なんて?
――と聞きなおそうかと思ったけれど、何かの聞き間違いかと思って、僕は何も追求しなかった。
***
長い待ち時間の後にバスに乗り、第十四市の中心街に着いた。
惑星時間でまだ午前中だ。
ここも同じように雨が降っている。
僕の端末は古い履歴から自動的にルイスの自宅へのルートをサジェストしている。
前に会ったあの様子だと、たぶん、研究所には通ってないと思う。
そう言って、直接家を訪ねてみることを四人に提案した。
エミリア国内なので、下手に電話でもすると足がつくかもしれない、という心配もあったから、連絡せずに押し掛けることにする。
ルイスの家につき、意を決して呼び鈴を鳴らしたが、反応がない。家に人気も無いようだ。
やむなくジーニー・ルカに調べてもらうと、ルイスは研究所に行っているらしい。
研究所でやることは無いと言っていたのに、と少し違和感を覚えるものの、いないものは仕方がない。いかなジーニー・ルカとはいえ彼の帰宅時間までは読めず、僕らは一旦午後まで時間を潰すことにした。それでも帰ってなければまた夕方まで。
誰が言うでもなく、三手に別れようという話になった。街の中で暇つぶしをするのに、浦野は浦野で特製の靴やボトムスを見てみたいと言うし、それよりも何よりも、ちょっと誰もが気にしていること。それは、セレーナとキアラのこと。なんだかあれ以来、二人での会話の時間が取れてないんじゃないかと二人以外のみんなが思っていて、あえて三手に分かれるという提案をして、セレーナとキアラを二人でどこかに出かけさせようということになっていた。
そしてちょっと珍しいことに、今回は浦野は毛利を連れていきたいのだという。
何が彼女にそんなことを思わせたのか分からない――けど、まあなんというか、このあたりではプリンは手に入らなさそうだという予感でもあったのだろう。
そう言うわけで、僕はマービンと二人で、雨の降る街を歩いている。
僕もマービンも、何と言うか、それといった趣味があるわけでもなく、本当に散歩のつもりで、雨のしとしとと降る街を傘をさして歩く。
「――そういえばマービン。さっき、ちょっとおかしなことを言わなかった?」
僕はそんな話題を出してみた。
マービンは、いつものように柔らかい笑顔で、
「なんの話だったでしょう?」
なんて風に聞き返してくる。
「セレーナとキアラが会話しているのを見て。なんだか、ちょっと不穏なことをつぶやいた気がした」
一瞬のことだったので、本当にもう記憶から消えている。
でもなんだかマービンらしからぬことをつぶやいた、そんな印象が強く心に刻まれている。
「……私も、そうですね、何かつぶやいた気がします。なんと言ったのか……なんだかそんな不穏なことを言っていたとしたら、すみません」
「いいんだ、ただ、僕も気になってるから。あの二人のこと」
レンガ張りの歩道を歩いていると、その小さな凸凹に時々足を踏み入れて、ぴちゃり、という音を立ててしまう。
そんな、ぴちゃり、ぱちゃり、という音をバックグラウンドに、灰色の街の風景がゆっくりと後ろに流れていく。
「キアラさんは……セレーナさんに会えて、嬉しそうです」
マービンは、そんなことを言った。
「きっと掛け値なしに嬉しいんだと思うんです。でも、そうやってキアラさんが甲斐甲斐しくセレーナさんに仕えている姿が」
そこでマービンは言葉を切った。
「ああ、思い出しました。――残酷だな、と思ったんです」
「残酷……そうか、確かに君はそう言った気がする」
「セレーナさんに謝罪を要求するでもなく、感謝を述べるでもなく、ただ、そばにありたいというキアラさんの気持ちは分かるんです。だからこそセレーナさんは……いいえ、よしましょう。私の柄じゃないです」
「マービン……」
僕は、なぜマービンがそこで話をやめてしまったのか、あまりよくわからない。
正直、僕はマービンほど頭が回ってなくて。
でも、なんだか、セレーナにとって、キアラにとって、触れてほしくない何かが、そこにある気がする。
それはきっと、僕より、ジーニー・ルカよりずっと前に友達だった、『王女様とあの子』のことだから。
それをきっと、マービンは、残酷、っていう言葉にしてしまったんだろうと思う。
「そうだね。僕らは見守ることしかできない。もちろん、僕だってキアラの友達になれたらいいなとは思うよ。だって、これまでずっとつらい生活を送って来たんだ。安心できる友達が必要だと思う。――同情だけどね。ああ、こんな僕の考えも、きっとキアラにとっては残酷なんだろうな」
「セレーナさんの心配はしないんですね」
「セレーナは、ダメだと思ったら、助けてって言ってくれる」
「……うらやましいご関係です」
「僕が一方的に信じてるだけだけどさ」
ちょっと大きなくぼみに踏み込んだ足が、大きな水音を立てる。
二輪車がそばを静かに通り抜けていく。
その二輪車が起こした風に、傘がふいに持っていかれそうになり、ぎゅっと握りなおした。
「今、何か話ができてるといいな」
「そうだと……いいですね」
そう返してきたマービンの表情は、風に耐えるように前に倒した傘に隠れて、見えなかった。ただ、雨粒が傘を叩く音だけが、僕らの間の沈黙を埋めていた。
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