第一章 策略家(4)
レストランを出てから、何も言わずに前を歩くセレーナ。
僕が声をかけていいものかどうかもためらわれる。
ただ、いつもより早歩きの彼女に精一杯ついていくことしかできない。
十分ほども、そうして歩いていた。
乗らなければならなかったはずの地下鉄の入り口を二つも無視している。
ようやく、セレーナの小さな声が聞こえた。
「……ありがとね、ジュンイチ」
その言葉の意味は良く分からなかったけど。
「どういたしまして」
僕は明るい口調で返した。
すると、セレーナは立ち止まって、振り返った。
その両目に、今にも涙があふれそうだった。
「私って、無力だわ」
そんな言葉を、いつかも聞いた気がする。
そのときも、僕は同じように答えていただろう。
「そうとも、君は無力だ」
僕はその小さな手をとる。
「だから僕がいる。みんながいる。君一人が背負うことじゃない。駄目なら次がある。どうしても手が無ければ、君の命令を無視しても、僕は究極を超える究極兵器を手に入れて、エミリアごと腐った諸侯どもを吹き飛ばしてやる。エディンバラごとあの本部長を消し去ってやる。わからずやの後ろ盾なんているものか」
そこで大きく息継ぎをし、
「僕が宇宙を支配する魔王になって君の後見人になってやる」
僕が言い終わると、彼女の両目から大きな粒がこぼれたが、新たに涙が湧いてくることは無かった。
「あなたのジョークはつまらないわ」
そう言って、彼女は笑った。
「くよくよしない、って決めてたのに! ジュンイチなんかに慰められるようになったら人間としておしまいだわ!」
くるっとターン、大きくジャンプして、また歩き出す。
「いくらなんでも失礼じゃないかね、殿下」
僕はコンラッドの口調を真似して言ってみる。
「自分が礼を尽くされるような人間かどうか考えてから言いなさい! ……コンラッド・マルムステン! いつか後悔させてやるわ!」
そのときは、僕が彼女の剣となって、彼の頭上に鉄槌を振り下ろす役割を喜んで買って出てやろうとも。
「頭が冴えてきたわ。ジュンイチは嫌がるかも知れないけど、もう一つ、行ってみたい場所ができた」
「僕が嫌がるだって? それは?」
「船に戻ったらね。あなただけ先に聞くのはフェアじゃないわ」
「僕はみんなと張り合うつもりはないよ」
「ふふっ、騎士の序列の問題よ!」
セレーナの笑い声。僕もつられて笑う。
まだ宇宙には無限の可能性があるんだから、一つの失敗でくよくよしなくってもいいんだと、僕が教えられた気分だ。
突然笑いながら駆け出したセレーナを、僕は必死で追った。
***
笑いながら競争するようにドルフィン号に駆け込んだ僕とセレーナを見て、
「その顔だと、うまくいったな!」
と毛利が声をかけてくる。
「ええ、もちろん失敗したわ!」
笑顔で真反対の答えを返すセレーナ。
祝福のハイタッチを用意した毛利の顔から表情が消える。
目と鼻と口がかろうじてすべすべの顔に引っかかっていた。
もう、笑うしかない。
実際に僕もセレーナもそれを見て大笑いしていた。
セレーナが僕をからかって面白がるのは、こんな顔が見たいからなんだな。ちょっと納得した。
「……聞き間違えじゃ無ければ、失敗した、って言ったよな」
「ええ、そうよ。土台、敵国に頼るなんて無理な話ってこと」
ようやく、上げたままの毛利のハイタッチポーズにセレーナがハイタッチで返した。
「このお馬鹿のジュンイチがこれまで起こしてきた奇跡のお代をちょっとばかり遅めに支払うんだと思えば、このくらいの失敗、安いものよ」
「大崎君は馬鹿じゃないよう」
「はいはい、トモミはいつもそうね」
そしてセレーナはいつものメイン操縦席に座って、大きく息をついた。
「さて、これからの話」
僕もなんだか指定席になってる右側の助手席に座る。
「地球に行こうと思うの」
「地球はどうでしょうね。セレーナさんを捕まえた張本人ですし。中立と公言するなら、少なくとも、セレーナさん個人に協力することはありえないように思いますよ」
すぐにマービンが反論する。
「そうね、それは、新連合国の話」
……まさか。
「地球には、どちらにも組せず、しかも新連合国にライバル意識を持っている国々があるわ」
「自由圏……」
浦野が、ぼそりとつぶやく。
きっと思い出しているのだろう。
僕らを絶望に追い込んだあの男を。
「もちろん、地球に閉じ込められた彼らがどれくらい力になるのかは分からない。でも、相談できる人がいる」
「やめてよう。もう……だめだよう」
「どうして、トモミ。言いたいことがあるならはっきり言いなさい」
「また大崎君が連れて行かれちゃう……」
僕も、またラウリを前にして、冷静でいられる自信がない。
過ぎたことだ。
制裁も加えた。
でも。
だからこそ、僕は、またおかしくなるかもしれない。
彼に与えた苛烈に過ぎる制裁は、また僕の罪の意識を刺激してしまうかもしれない。
「大丈夫よ」
セレーナは、こともなげに言った。
「また連れ戻せばいい。取り返しの付かないことなんて無いのよ」
「そうさ、浦野がまた一発、ビターンときついのをお見舞いしてやれ」
「ふふっ、セレーナさんの物真似つきで、ですね」
僕自身のことなのに、僕の周りの人が心配してくれて。
本当にうれしい。
そうとも。
一度は飛んだ谷だ。
そのときは落ちたけれど、その手をしっかり掴んでくれる友達がいた。
今度はみんなそろっている。それに加えて、幻じゃないセレーナまでいる。
「……大丈夫。また、切れそうになったら、一発よろしく」
僕が笑顔を作って言うと、みんなもうなずいた。
「と言うことで」
「でも、セレーナ、君は大丈夫なのか。その……あんなことをしようとしたラウリと」
僕が言うと、セレーナは微笑んだ。
「大丈夫。私には……あなたとは違うものが見えていたから」
……?
ちょっと意味が分からない。
けれど、彼女が大丈夫と言うのだから、それを信じよう。
もし彼女が谷を踏み外すなら、僕が手を伸ばせばいい。
簡単なことだ。
「――分かった。ジーニー・ルカ! レーダー検知妨害開始! エディンバラから地球までのルート上のカノン基地への侵入を開始! 侵入でき次第、撃ち出しキューにダミーレコードを挿入して。それから、自由圏のすべての国家の個人認証システムに侵入、ラウリ・ラウティオの行方を突き止めて。IDじゃなけりゃいけるだろう?」
「お安い御用です、ジュンイチ様」
「準備整いました、殿下」
僕が恭しく一礼する。セレーナは右手を上げて返礼する。
「じゃあ、行きましょう。ジーニー・ルカ。出発」
主命がドルフィン号のキャプテンルームに響いた。




