第一章 策略家(3)
秘書に扉を開けさせ、一人で入ってきたコンラッドの最初の表情は、もちろん、この上ない驚愕だった。
すぐに外の誰かを呼ぼうとするのを、お待ちなさい、とセレーナが止めた。一瞬ためらったものの、ひとまず彼は思いとどまり、席に着いた。
「どういうわけで、殿下がこんな場所にいるのですかね」
相変わらず人のよさそうな笑顔だが、声は鋭かった。
「私たちがここにこうしていられる理由と言うのでしたら、お話できませんわ。それは、私だけに使える魔法なのです。もし本部長様が誰かを呼んで私たちを逮捕しようとするなら、その魔法をもう一度使わなければなりません」
その言葉は、柔らかい脅しだった。
誰にも気づかれずに宇宙一の大帝国の大臣の中の大臣とも言える彼の前に突如姿を現すその魔法の力を恐れなさい、と。
「……いいでしょう。話を聞きましょう」
彼は軽く目を伏せてうなずいた。
「エミリアの状況はお分かりですね。もちろん、あなたが命じたことでしょうから」
「もちろん、分かっていますとも。我がロックウェルに幹をつかまれ、その根は地球から抜き取られ、弱り枯れ果てていくしかない大輪の花、ですかな」
彼は詩的にエミリアの現状を表現した。
「おっしゃるとおりです。私はその理由を正確に理解していると思います」
「でしょうな、若い王女殿下は聡明であらせられる」
「では私が何のために本部長閣下の前に現れたかも、ご理解していることと思います」
セレーナが言葉を切ると、コンラッドは、ふむ、と唸った。
部屋がノックされる。
僕は警戒して身構えたが、入ってきたのはレストランのウェイターで、ランチの準備を始めるためだった。
「せっかくです、ランチを取りながらお話しましょう」
セレーナは、微笑んで軽くうなずいた。
食器が揃い、一皿目が出てくる。
「この部屋に出入りする給仕は、客の会話については目と耳を持たんのです、遠慮せず、話を続けて」
一皿目に手をつけながら、コンラッドが言った。
セレーナは、フォークこそ手に取ったが、皿には手をつけない。
「では申し上げましょう。あなたは、以前、私を罠にはめました。この我が騎士ジュンイチの機転が無ければ、私は自らの手でエミリアを滅ぼしていたかもしれません」
「恨み言を言いに来たのですかな」
「もちろん。あの仕打ちは忘れませんわ」
僕には計り知れないような言葉の裏の駆け引きが続いているんだろう、としか、僕には理解できない二人の会話。
空気がピリピリとしているのが、肌で感じられるほどだ。暗い落ち着いた基調色で整えられた小さな密室の中に、黄色い閃光が行き来している。
「あの紛争処理で、あなた方はエミリアという国家にこそ謝罪をしたようですが、この私には謝罪がありませんでしたから。国家にも匹敵する、エミリア主権者に対して」
「なるほど、我がロックウェルは礼を失していましたな、王女殿下」
「では、その失態を快復する機会を与えましょう」
セレーナは、見下ろすように言ってのけた。
――僕は、どうか助けてください、お願いします、と頼みに来るのだとばかり思っていた。
けれども、これが、本当の国家間の駆け引きなんだな、と思う。
決して相手に弱みを見せず最後まで押し切る覚悟をして望まねばならない。
セレーナは、こんな修羅場を、これまでにどれだけくぐってきたんだろう。たった十六の少女が。
「それで? 我がロックウェルはどうすればよろしいので?」
「連合国にではありません、コンラッド・マルムステン統括本部長閣下、あなたに要請するのです」
コンラッドはその言葉に、かすかに口元に笑みを浮かべ、皿に目を落とした。
「なんなりと」
彼が言うと、セレーナは、彼を見据えた。
「ファレンへの圧力、不正な迂回貿易の試み。すべて、一部の諸侯の暴走なのです」
「……なるほど。主権者自ら、あれは国内の統制不良に過ぎぬから、制裁を解けと、直談判に来たわけですな」
彼は、先ほど浮かべた口元の笑みをはっきりと僕らに見せた。
「いいえ、それには及びません」
セレーナが言い返すと、さすがにコンラッドも意外そうな表情を見せた。そして、先を促すよう眉を上げる。
「その間に、私は、この王女に反逆する諸侯を一掃するつもりでいます。宇宙に対する馬鹿げた挑戦を試みた諸侯どもを宇宙に放り出して見せます」
「……それは、殿下の父王陛下も含めて、ですかな」
「必要とあらば」
セレーナは、そして、燃える瞳でコンラッドを刺した。
「私は、エミリアを相手に戦うつもりです。閣下には……私の後ろ盾として、支援をしていただきたい」
「私のすべきは何かね」
「私を支援していると表明すること。私が傷つけられたらロックウェルの報復があると思わせること。場合によっては本当に軍を出すこと」
「見返りは」
「エミリアの持つ利権に関して口を利けます。カロルへの道も開けるでしょう」
コンラッドは、二皿目を前にして、手をつけずに腕を組んで黙っている。
彼は、この魅力的な誘いを受けるだろうか。
何百年もの間、それが欲しくて何度も手を伸ばしては痛い目を見てきた、そのエミリア。ついにその端に手がかかろうという機会を。
「殿下、我々の失礼に寛大なる処置をいただける上に、我々にも利のある提案をいただけましたこと、お礼申し上げます」
長く考えていたコンラッドの言葉だった。
「では――」
「しかし」
口を開きかけたセレーナを、コンラッドは遮った。
「我々はもはや、そのような危ない橋を渡る必要は無いのです、殿下」
喜びに変わりかけたセレーナの表情が、とたんに固まる。
「我々が、殿下を支援すると表明したら、地球はどう動きますかな。ロックウェルとエミリア、この二大国が結びつくことを、宇宙のバランサーなどとのたまう地球が、見逃しはすまい」
そして彼は、二皿目の白身魚のマリネにようやくフォークを入れた。
「ここで殿下と組めば、地球に介入する口実を与えるようなもの。事態はゆっくりと進んでいます。最後の決定的な瞬間、その時まで、地球に口出しをされては困るのです。今は、エミリアが墓穴を掘り続けるのを、高みから見物させていただきますよ。幸い、エミリアの片翼とも言える、王位継承権第一位の王女殿下まで離反された。その時はすぐです。エミリアが自らの埋葬を終えたとき、その遺品を合法的に形見分けすればよいのです」
彼は、喜色を浮かべるでも憂えるでもなく、ただ、静かな表情でそう言った。
しばらくそんな表情でセレーナを見つめ、つい、と視線を外すと、フォークを口に運んだ。
セレーナは、じっと黙っている。一皿目にも手をつけず、いまやフォークもその手から落ちそうになっている。
これは駆け引きなのか? 結論なのか?
場数を踏まない僕にはそれが分からない。
でも、彼の言葉で顔色の変わったセレーナを見て、悟った。
これは、ロックウェルの結論だ、と。
駆け引きの入り込む余地がないのだ、と。
「数々の国が、このロックウェルに面白い提携話を持ち込んでくる。そのほとんどが、私の心を打たぬ退屈な話なのです。その中で、殿下のご提案は、もっとも胸躍るものでしたよ。それが、あと三ヶ月早ければという点だけが、残念でした」
皿の上のものを口に運びながら、彼は優しそうに微笑んだ。
「殿下、せっかくの食事です、どうぞお召し上がりください」
「……いえ、結構です」
セレーナは低い声で答え、頭上から糸で引っ張られたかのようにふらりと立った。
「誰か。お客様がお帰りです、エントランスまでご案内を」
僕も、セレーナに続けて立ち、後を追った。
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