第六章 怪物(3)
床と激しいキスをして目覚めた。
先に起きた毛利とマービンが、僕のベッドシーツを持ち上げて僕をひっくり返したのだった。
いつまで寝てんだとかなんとかいろんな罵声を聞いた気もしたが頭がはっきりせず、なんとか時計を見てすでに午前九時を回っていることを知った。
広いベッドは名残惜しい気もしたが、僕らはホテルの拠点を捨て、より安全なドルフィン号に移動した。
オーダーなしで開くタラップ。ジーニー・ルカが帰ってきたことを実感する。
操縦室に五人で陣取り、いよいよ、ジーニー・ポリティクスの秘密を暴くときがきた。
僕は最初に、もっとも古い運用レポートを表示させた。
『297年04月29日
【運用導入実地評価】【第七百一報】【完報】
●宛先情報:
アルカス共和国大統領、同議会議長、同戦略局局長、同政策技術局局長、同政策技術局政策システム課課長
●更新情報:
実地評価を完了し、すべての評価項目において想定どおりの結果を得たため、本格運用を開始する。』
このシンプルな文言の後、細かい時系列情報がびっしりと続いている。
二百九十七年。少なくとも、最古の記録とされている三百五十五年よりも五十年以上も早く、やはり実運用が開始しているのだ。
そこから、似たようなレポートが、数億件並んでいる。
さすがに全部を見ていくのは現実的ではないけれど、適当なところまでリストを飛ばして、いくつか開いてみる。
『三百八年七月十七日、第0030801202号法令案の国民投票結果について。有権者数二億百万人(概数)、賛成票一億九千八百万、反対票三百万、賛成多数にて可決』
『三百八年七月十七日、第0030801203号法令案の国民投票結果について。有権者数二億百万人(概数)、賛成票一億三千七百万、反対票六千四百万、賛成多数にて可決』
法案ごとに投票が行われている。議会民主制と言うよりは、完全直接民主制だ。あらゆる法案を、国民投票で審議するシステム、一つの理想として語られることはあったが、こんな制度を完全に運用しているなんて、僕にとっては初めて知るケースだ。
この事実を知ることが出来ただけで、僕の中の歴史マニアが喜色ばんでいるのを感じたが、それを素直に顔に出してしまってはさすがにまずいことは、分かる。この制度がどんな経緯で導入されどんな終焉を迎えたのか、今度じっくりと調べてみたいな、なんてことを思いながらも、気を引き締めて本題に戻る。
『三百八年七月十八日、第0030801204号法令案の国民投票結果について。有権者数二億百万人(概数)、賛成票六千九百万、反対票一億三千二百万、反対多数にて否決』
『三百八年七月十九日、第0030805122号補正予算案の国民投票結果について。有権者数二億百万人(概数)、賛成票一億千二百万、反対票八千九百万、賛成多数にて可決』
いくら見ていてもきりがなさそうだが(その上好奇心は尽きなさそうだが)、何か、違和感がある。
その違和感が、うまく言葉にならない。
『三百八年七月二十日、第0030801205号法令案の国民投票結果について。有権者数二億百万人(概数)、賛成票一億六千万、反対票四千百万、賛成多数にて可決』
「すごいねえ、これ全部、投票の記録? みんな毎日何かの投票をしてるんだねえ」
浦野が覗き込んでそう言ったとき。
僕の違和感は、突然、言葉になった。
「そんな馬鹿な」
一人でつぶやく。四人の視線が集まる。
「毎日だ、毎日投票している、――ありえない」
「電子投票システムなんだから、毎日何かお知らせがあって、賛成反対のボタンを押すだけだろ? たいした手間とは思えねーけど」
毛利が何かボタンをぽんと手のひらで押すような仕草をしながらこう指摘するが、
「そうだとしてもだよ。いいか、見てくれ、全部、有権者数の総数は同じだ、そして、賛成票と反対票の合計数も同じだ」
「当たり前でしょう、一人一票、それが、あなたたちの誇る民主主義じゃないの?」
今度はセレーナが皮肉めいた――あるいは自嘲気味の――表情を浮かべながら、ため息のように舌にのせた。
「違うよ! 全員投票なんてありえないんだ! すべての法案を全有権者が目を通して、毎日のように確実に投票するだって!? そんなことはありえない! どんなに勤勉な国民だって、風邪もひくし怪我もする、公示期間中一ヶ月や二ヶ月入院してたりハネムーンに出かけることだってあるじゃないか! それが、一票の漏れもなく全員が参加だなんて! 二億以上の人間が!」
補正予算案の通し番号。上位はたぶん標準暦の年数で、下位が年内の通し番号だ。そうだとすると、七月の時点で五千件以上の補正予算が審議されている。どこかの月で、集中的に補正が行われたのか。法令案もあわせれば六千回以上。
六千件! 二億の有権者が六千回以上の投票を、わずか半年のうちに行ったことになる。ただの一人も欠けずに。
心臓が縮むような恐怖を感じる。
何か、とてつもない異常が起こっている。
ジーニーの謎どころじゃない。
この国は、そもそも何かおかしいのだ。
僕らは踏み入ってはいけない国に、今、立っているのではないか。
もしかすると、同じように空白のあるほかの国々も?
逃げなきゃ。
逃げなきゃ、化け物にやられる。
この国には、とんでもない怪物がいる。
逃げなきゃ。
***
「……大丈夫?」
セレーナが僕の顔を覗き込んでいる。
周りを見回すと、ここはドルフィン号のキャビン、ハンモックベッドの上だ。
「……どうして?」
「真っ青な顔で倒れたのよ」
思い出した。
僕はこの惑星に巣くう巨大な怪物を想像し、そのあまりの恐怖に――どうやら、気を失ってしまったようだった。
そうだ、今すぐ逃げないと、僕らは、食われてしまう。
「セレーナ、逃げなきゃ」
「どこによ」
よく見るとキャビンには僕と彼女だけだ。
「この国はおかしい。この国には……化け物がいる」
しかし、僕の言葉に、セレーナは声を上げて笑った。
「おかしなことを言うわね。化け物なら、私たちで退治しちゃったわよ」
ジーニー・ポリティクスのことか?
「そんなことじゃない、もっと恐ろしい――え?」
怪物は、いた。
自らの管理パスコードを持つジーニーを相手に戦い、瞬く間に圧倒してしまう情報処理の悪魔が。
そうだ。
怪物は二匹いたんじゃない。
もともと、一匹の恐るべき魔物がいたのだ。
「……セレーナ、ありがとう、僕はまたおかしな早合点をするところだった」
「どういたしまして。どんな悪夢を見たのかは知らないけど、この世にジュンイチとジーニー・ルカにかなう化け物なんていないのよ」
ようやく僕は笑みを浮かべてうなずくことができた。
そうとも。
もし僕が感じたとてつもない化け物の正体が、ジーニー・ポリティクスなのだとしたら。
それにさえ勝てる僕らに、もう敵はいない。
「戻ろう、まだ見なきゃならない資料がたくさんある」
「だめよ、もう少し休んで――」
「もう大丈夫!」
僕は叫んで、セレーナの手を引いてキャビンを飛び出した。
***




