第六章 怪物(1)
■第六章 怪物
朝一番で見学に入るのはさすがに目立ってしょうがない、と考えた結果、見学客が増えそうな午前やや遅めの時間帯を待って、僕らは、ジーニー・ポリティクスのある政策情報システム局を訪ねた。
政策システムの中枢、システムセンターへの見学は時間ごとに入場者が制限されていて、好き勝手に入るわけにはいかないようだったが、一度入れば、しばらくは自由に見学ができるようになっていた。
チケットを入手して見学者用ゲートをくぐってみると、長くて暗い廊下の果てに透明な広い扉があり、その向こうに突然明るくて広い空間が現れた。
セレーナが話していたことからの想像とは全く違い、二十メートル四方、天井高も十メートル近くはあるのではないかという大きなホール。その片側にへばりつくように幅数メートルほどの見学者用コースがあり、ホールとの間は胸くらいの高さの柵で仕切られていた。
見学者用コースから見ると反対側にあたる壁に、広く暗緑色に染まったガラスが張り巡らされている。
それが、見学者とジーニー・ポリティクスを隔てている防弾ガラスだった。
さすがにこの惑星共和国の最中枢とあって、見学者数は大変なもので、柵のそばには常に人だかりがあり、うかうかしているとすぐに弾き出されて、ジーニー・ポリティクスを収めた部屋は見えなくなってしまう。
ホールを一通り観察する。
ジーニー・ポリティクスの部屋へ入るルートはこの大きなホールを通るしかないようで、ポリティクスの部屋へ続くものものしい扉が正面の壁に見える。その扉は三重になっている。両側面には別のどこかに続く扉があり、それぞれの扉とポリティクスの部屋の間を、時々作業員が横切っていく。広い空間の四隅には完全武装の警備員もいる。
つまり、ポリティクスの部屋に出入りする人は必ずこの大きなホールを通らされ、幾人もの視線にさらされなければならないということだ。常にごった返す見学者さえそのセキュリティにしようという試みなのかもしれない。
ジーニー・ポリティクスの部屋の中には、常に何人かの作業員が行ったり来たりしている。彼らは全く同じ青っぽい作業着を着ていて、もしそれ以外の者が紛れ込めばすぐに分かるようになっている。
時折、側面の扉とポリティクスの扉の間を、作業員が運転する作業カートが行き来している。その後部トランクに箱を乗せている。
説明によると、あれは政策システムが時々刻々と処理しているその処理記録をより堅固な結晶記録に移し替えたものらしい。万一にも誤った処理があった場合に復旧するためのよすがなのだと言う。要するに、処理内容のバックアップだ。それが、三十分ごとにあのカートひと山分になると言うのだから、その処理能力の巨大さにはめまいがする。それだけの巨人がジーニーの秘密の機能さえ自在に振るうのだとすれば、そもそもジーニー・ルカがかなうはずがなかったのだ。
柵ぎりぎりに立っても、敵の拠点までは十数メートル。三重のセキュリティドアで隔てられたジーニーの部屋へ続く扉へは、手も届きそうにない。
あの扉の内側へ。
たった一度でいいから、メンテナンス用インターフェースを放り込めれば。
「……さて、ご覧になって、どう?」
「いやはや、ここまで手の届かない相手だとは思わなかった」
セレーナに対して、僕は素直に感想を表した。
「そういうわけ。なかなか簡単にはいかないわよ」
「もう一歩なんだよな。あの扉が開いた瞬間に、中に投げ込むってのはどうだ」
「で、どうやって回収するんです?」
マービンの突っ込みに、さあ? とジェスチャーで示す毛利。
投げ込む――か。
「一つ目の扉が開いたところに投げても二つ目の扉に当たるだけよう。すぐ作業員に拾われちゃう」
浦野の言うとおりなのだが、しかし、僕は何かが形になりそうな感覚を頭の中に感じる。
「で、なんだこりゃ、って騒ぎになるわけね」
肩をすくめながらセレーナが言う。彼女の格好をまじまじと眺める。ブラウスの上にベージュのカーデガン。白いスカート。前にも時々見た格好だ。そして、左手には手を広げたよりちょっと大きいくらいの大きさのポーチ。シックな革の中性的なデザイン。少し大きめの財布と言っても通じる。
もう一度、中で働く作業員を見る。
大きなカートには、金属製のバスケット。
放り込む。
もし見つかったら、なんだこりゃ、って騒ぎになる。
バスケット。
放り込む。
バスケット。
……つながった。
「みんな、ちょっと一旦外に出てほしい」
僕は四人を呼んで、見学者コースから一旦出るように言った。
***
腑に落ちない顔をしながらも、四人は見学コースを順路通りに進み、出口ゲートをくぐる。
一旦庁舎の外に出て、通りの端に小さな輪を作った。
「何か思いついたのね、ジュンイチ」
セレーナが目を輝かせている。僕はうなずく。
「毛利、一瞬でいい。騒ぎを起こして警備員やほかの人たちの視線を逸らしてくれないか」
「騒ぐ? 何か大声でもあげればいいのか?」
僕は再度うなずき、それから、次にセレーナへ。
「セレーナ、そのポーチから、大切なものは全部取り出しておいて、貸してくれないか」
「これを?」
セレーナは左手のポーチを少し持ち上げて首をかしげる。
「そこに、例のメンテナンス端末を入れておく。それから、マービン、実は一番面倒な役回りになるかもしれないんだけど」
「なんでもどうぞ」
マービンは人当たりのいい笑顔を浮かべる。
「IDを貸してくれないか。それもそのポーチに入れておきたい」
「それはまた?」
「……結局、今泊まっているホテル、警戒して、お前のIDを使っただろう? 僕らはマービン一族御一行様だ。そこで、お前のIDが必要なんだ」
「徐々に分かってきましたよ、大崎君が何を考えているか」
「えー、あたし分かんないよう。ちゃんと教えてよう」
もちろん、教えるつもりだ。
この作戦の肝は、浦野なんだから。
「……これをね、僕らは、あそこで、うっかり落とすんだ。その中にマービンのID。落とし主も滞在場所もはっきりしてる。当然、そのポーチは泊まっているホテルに無事送り届けられるわけだ」
僕が身ぶりを添えながら言うと、
「まてまて、その前に、なんでわざわざ落し物をするんだ?」
毛利はすかさず疑問をさしはさむ。
「そう、表向きは、マービンがID入りポーチをうっかりあそこで落としたことにするんだけど、実際には違う。時々出入りしている作業員のカートのバスケット、あそこに放り込むんだ。まさにあの中に入ろうとしているときに、ね」
「なるほどね。レオンが騒いで一瞬警備員の視線を奪い、端末の入った私のポーチをバスケットに投げ込む。そのカートはそのままジーニー・ポリティクスの部屋に入り、自動でペアリングが行われる。私たちは何食わぬ顔で現場を立ち去り、後々、バスケットの中の見慣れぬポーチを見つけた作業員が、マービンのID情報を見てポーチを届けてくれるってわけね」
作戦の全容をセレーナがまとめ上げた。
「正解。端末には事前にパスコードを入力して、ペアリング待ち状態にしておくんだ」
僕が首肯しながらセレーナに視線を送ったが、それでも、彼女はちょっと口をへの字に曲げて。
「大切なことが抜けてるわよ。どうやってこのポーチを、カートに放り込むのよ。さっき見たところあのバスケットは確かに一メートル四方はあったと思うけど、それでも、二十メートル近くもの距離にあるバスケットに、一発で放り込むなんて」
「さてそこで、浦野にお願いがある」
僕が言うと、浦野はビクッとして、一歩後ずさった。
「あの……あの……なんだか、分かった気がするけど……む、無理! 無理よう! あたし体育の成績四十点よう?」
「頼むよ。浦野ならできそうな気がする」
僕は忘れない。
プロ選手かと見まごうほどの整ったフォームで、百発百中のシュートを決めた浦野を。
もし彼女が、鍛え上げた筋肉と強靭な体力を持っていたなら、どんなスポーツでもローカルスターくらいにはなれるだろう。
彼女の卓越した運動神経は見逃され、筋力も体力も人並み以下だから、こんな平凡な高校生をしているだけで。
「無理だよう……もし失敗したら……」
さらにしり込みする浦野に歩み寄って、僕は、彼女の両手を取った。
「君なら出来るよ。なんだい、シュートゲームで僕を叩きのめしたのはまぐれだったのか?」
「あんなの遊びだもん……あたしが失敗したら……ジーニー・ルカもドルフィン号ももう取り返せなくて……セレーナさんは国を失くして……うええ……」
そう言って、浦野はぽろぽろと涙をこぼし始めた。
困った。ここまで重荷に思われてしまうなんて。
軽い気持ちで引き受けてくれないかと思っていたのに。
けれど、もし僕が同じようなことを言われたら、やっぱり尻込みしてしまうかもしれない。
今は、浦野に助けられたからこそ、一歩を踏み出せるようになった。
すべてを失うかもしれないコマンドを、ジーニー・ルカに命じることが出来た。
その結果がこのざまではあるんだけど、僕は後悔しない。
きっと、浦野には、僕にとっての浦野のような支えがないんだ。
「分かったわ、トモミ。私がやる」
セレーナはそばに来ると、浦野の手を僕の手から強引に奪って握り締めた。
「ごめんね、トモミ。こいつ馬鹿だから。あなたがこの重荷でどんなに苦しむかなんて考えもしないのよ」
「大崎君は馬鹿じゃないよう……」
「馬鹿なのよ。でも大丈夫。私だって、十本中八本決めたのよ。今なら百回やっても百回できる気がするわ」
セレーナが言うと、浦野は再び大きく咽んだ。
セレーナが八本決めたからくり。なんだか、僕にはじわじわとそれが見えてきている。
彼女がシュートを打つとき、その一瞬の迷いは、きっとジーニー・ルカにも伝わっている。
そのとき、ジーニー・ルカが、彼女の迷いに瞬間の回答と確信を与え、迷いを取り去っているのだと思う。
ジーニー・ルカが与えた回答が合っているか間違っているかは分からないし、たぶん、どうでもいい。迷いが消えるだけで、きっと本来持つ最大の力が気負うことなく発揮される、そんなことなんだと思う。
それ意味するのはつまり――ジーニー・ルカを失いブレインインターフェースを外したセレーナ、君には、その力はないんだ。
……だが、迷いを抱いた浦野よりは、自信に満ちたセレーナの方が、あるいは。
そうだな。
僕は相談もせず、浦野が一番だと早合点していた。
誰だっていい。
失敗してもいい。
そのときはそのときだ。
ぐすぐすと鼻を鳴らしている浦野の手を、もう一度セレーナから奪い返した。
「……ごめん、浦野。ちょっと、君に背負わせすぎたかもしれない」
「……ううー……ごめんよう、大崎君……」
言ってから、何度もしゃくりあげる浦野。
「しっかりしなさい、トモミ。私がやるから。誰がやっても同じよ。どうせジュンイチのことだから、次の手を考えてるわ、ああ見えて」
その、さらりと嘘をつけるところは、実は見習いたいところなんだよな。
「ごめんねセレーナさん……あたし、ずっとずっと役立たずで……」
「役立たずだなんて誰が言ったの!」
すみません、僕です。
「あたし……ひっく、ずっとなんだか一緒にいるだけで……みんな役割があるのにあたしは周りできゃあきゃあ言ってるだけで……セレーナさんには頼りになる騎士様がどんどん集まってきて……あたしに出来ることなんてどんどんなくなって……ひっく……」
泣きながらしゃべる浦野を見つめるセレーナの横顔に、何か暗いものがよぎったような気がした。
セレーナは眼を閉じる。
浦野の言葉を、どう受け取っているだろうか。
だけど。
違うんだ、浦野に役立たずって言ったのは僕なんだ。
そう言おうと口を開きかけた瞬間、セレーナは燃える瞳で僕の動きを遮った。
「あなただけは本当に純粋な友達でいたいと思っていたけれど……それが重荷になっていたなんて思わなかったわ」
そして、右手を掲げ、浦野の眼前に落とした。
「かしずきなさい、地球新連合国市民ウラノ・トモミ。我が騎士となり我が剣となり、我が命に従いなさい。あなたのすべきことをしなさい」
低く重い声で告げるセレーナに、そのあまりに気高いオーラに、浦野は脱力して、片膝をつく。浦野の手は、再び、触れもしないセレーナに奪われた。
浦野の動きに合わせるようにセレーナの右手がゆっくりと垂れる。
「あ……あたし……あたし……」
浦野は垂らされたセレーナの右手を取って、涙でぐしゃぐしゃの顔をそれにこすり付けた。
「頼りにしてるわよ、私の騎士さん」
「うええ……」
浦野は再び泣き声を上げ、セレーナの右手をしっかりと抱いたまま何度もうなずいた。
そうか。僕に勇気をくれる浦野のような存在は、浦野にとっては、セレーナだったんだ。
それが僕でないことにほんのちょっとだけ残念な気持ちが無いでも無いけれど。
だけど、やっぱり浦野にとって、セレーナは特別な存在なんだな。
「さあ、トモミ。立ちなさい。そして、あなたのすることを言って」
促されて、浦野は立ち上がる。
「やる! 投げる! 投げまくっちゃう! セレーナさんの命令なら百光年先からでも一発で決めちゃう!」
「その意気よ」
セレーナは浦野の左肩を、強く叩いた。
浦野は涙を拭きながら笑った。
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