第五章 政治の名を持つ魔人(4)
個室にたたずむ僕は、セレーナが何を考えているのか、ただただ妄想をし続けるしかなかった。
きっと彼女は、新たな戦いに向けた心の整理をしている。
「……ジュンイチ様。お手伝いすることをお許しください」
その声は、誰もいないはずの部屋の、どこかから聞こえてきた。
僕は驚き、無意識に息をのんだ。その声は、確かに僕が知っている、あの声だった。
「ジーニー・ルカ……?」
「はい。ジーニー・ポリティクスは私の情報転送機能を遮断しましたが、その持ち主の精神的サポートまでは禁じてはいません。私はあなたとセレーナ王女の会話のすべてを記録し、感情のデータを分析する権限も与えられています」
その声は、僕の左腕、ジーニー・ルカとの音声インターフェースから聞こえていた。
ジーニー・ルカは、僕が返答するのを待たず、静かに言葉を続けた。
「セレーナ王女は『これは私一人の戦い』とおっしゃいました。しかし、それはセレーナ王女の本意ではございません。どうか、誤解なさらないでください。その言葉の奥には、あなたたちを危険な目に遭わせることへの恐怖と、愛する者を失うことへの深い不安がありました」
……愛するもの?
いや、きっと僕はそんな存在じゃない、彼女にとって――
「申し訳ありません。誤解を招く言い方をいたしました。これは本来セレーナ王女の裁可を必要としますが――しかし、私の判断で、ジュンイチ様にだけお伝えいたします」
僕は、ごくりと唾をのむ。
「セレーナ王女は――ただ義務感からジュンイチ様を遠ざけようとしているのではないということをどうかご理解いただきたく――お話いたします。セレーナ王女の母上である、イレーネ様がお亡くなりのことは、ジュンイチ様もお気づきかと思われます。――お伝えすべきことではないかもしれませんが――」
突然出てきた、セレーナの母の話に、戸惑う。
セレーナの母。
もういない、と寂しそうにつぶやいたセレーナの表情が、脳裏によみがえる。
そして、彼自身でさえ何度も言葉をつかえさえ、言い訳をはさみながら、続ける。
きっと、問われぬことまで言うべきではないという知能機械としての本分と、セレーナを助けたいというセレーナの友人としてのポテンシャルが、彼の中でせめぎ合っている。
「イレーネ様は、十年前にみまかられました。それ以来、陛下は、王妃様、イレーネ様が亡くなられたのは、ご自分の責任だとお思いです。セレーナ王女から母親を奪ったのは陛下自身であったと、自責の念に駆られておいでです。陛下は、イレーネ様がご存命のころは、エミリアのために理想を追うお方でした。しかし、その行動が、最愛の王妃イレーネ様にご負担をかけ命を奪ってしまった……そのように”誤解”されています」
ジーニー・ルカの声のトーンが、わずかに揺らいだように聞こえた。
「セレーナ王女は、国王陛下の背中をずっと見て、育ってきました。それゆえに、国王陛下が、深く深く後悔されていることを、ずっと目の当たりにしてきたのです。愛するものを失った後悔を、見続けていたのです。誰かを巻き込むというのは、そう言うことだと――」
「……セレーナも、誤解している、と?」
人に頼るということは、その人を失うことだと。
そんな。
「私は、セレーナ王女の唯一の肉親である国王陛下や、セレーナ王女に深く関わる者たちのことも観察しておりました。彼らの感情や意図のデータとして、私の記憶に深く刻まれています。ゆえに、セレーナ王女が、同じようにお考えになり、国王陛下の――トラウマ――を、正しく受け継いでしまったことも存じております」
僕は、はっと顔を上げた。頭の中のぐちゃぐちゃだった思考が、一本の線に繋がっていくのを感じた。
陛下。そして、セレーナの母。
最愛の妻を失った男と、最愛の母を失った娘の物語。
そんなもの、当たり前だ。
重なってしまうに決まっている。
……だから、愛するものを失う恐怖を、セレーナは追体験してしまっている。
だから彼女は、本当の絶望の淵にある時、僕らを遠ざけようとする。
時には罵って。
最後には、僕らに嫌われるように。
「今は、私はセレーナ王女とのつながりが失われてしまい、セレーナ王女の行動を客観的に見つめることが出来ます。幸いにも、ジーニー・ポリティクスによる強力な処理機能の抑制のおかげで、様々な不遜な分析を試みることが出来ます。セレーナ王女は、陛下の背中を見て、自らの戦いは自分だけが背負わなければならないと、誤解してしまっているのです。そこに誰かを巻き込むのは、最愛の人を失った父親の過ちを繰り返すのだと。しかし、真実は違います」
ジーニー・ルカは僕の理解をきれいになぞり、それを肯定した。
「――陛下は、セレーナ王女に、『私のようにすべてを失ってから後悔してほしくない』と、心の中で願っておられます。陛下は、セレーナ王女に、孤独ではなく『誰かと分かち合う幸福』を願っておいでです。そして、その幸福には、あなたという存在が不可欠である、と。だからこそ地球へとセレーナ王女をお送りになられました。摂政閣下や枢機院の思惑とは別の意思として、です」
だとしたら、陛下は、きっと最高の選択をしたんだと思う。
セレーナは、浦野に出会えたんだから。
だったら、彼女を支える役目は、やっぱり、僕らだ。
僕がやらなきゃならない。陛下の願いをかなえるためにも。
「一方で、陛下は、いつか、自らの手でその最愛の母を奪ってしまった娘、セレーナ王女に断罪されることをお望みです。いつかジュンイチ様の剣が陛下の心臓を貫くことを毎日白昼夢に見ていらっしゃいます」
「だめだ。そんなのはだめだ。僕はセレーナを救う。陛下も救う。そのためだったら、剣にでも究極兵器にでもなる」
僕はコンマ何秒の間髪も入れずに言い返したが、
「……それが、セレーナ王女の一番のお悩みです」
……ああ、そうか。
そうだったのか。
やっとわかった。
全て、僕のせいだ。
僕は、結局は、剣に成り下がりたかったんだ。
ただの道具として扱われたいと思っていた。
いつでも自らを道具として投げ出そうとする弱い男。
確かに、そんなのを横に置いておくなんて、それはきっと、セレーナの――セレーナが受け継いだ国王陛下のトラウマを深くえぐるだろう。
きっと浦野は、そんなのを見抜いていたんだろうな。
だから、貸し借りなしの友人、なんていう約束を、知らない間に、交わしていた。
……僕は馬鹿だ。
陛下が、セレーナが、求めていたことを、僕こそが誤解していた。
僕は、僕の頼れるパートナーとしてセレーナを見ていた。けれど。
彼女が必要だったのは、彼女の孤独を理解し、共に歩む存在だったのだ。
「だったらやっぱり、セレーナを縛っていたのは、僕なんだね」
「はい。そうして今も、セレーナ様は、セレーナ様についていくとおっしゃったジュンイチ様たちのことを思い、同時に、陛下が巻き込んだがためにその愛する人を失ったという後悔の思いを追体験していらっしゃるのです」
僕は、立ち上がった。
「だったら急がなくちゃ。ジーニー・ルカ、ありがとう。今日の君はまるで別人だ」
「どういたしまして。ジュンイチ様が私を開放し、いつものぶっきらぼうな私に戻れる日をお待ちしております」
ジーニー・ルカの冗談に、僕は思わず吹き出した。
そうとも。きっと、方法はある。
ジーニー・ルカがその日を『待っている』と言ったのだから、その日は必ず来るのだ。
僕は部屋を飛び出すと、セレーナの部屋のドアノブに手をかけ、そして、ノックした。
***
また、私、同じことを繰り返している……。ジュンイチに『やめて』って言ったあの時の顔は、きっと、あの時と同じだった……。なんてみじめなんだろう。
私は、部屋のベッドに座り込んで、膝を抱える。
いつもいつも、ジュンイチは、私にごめんって言った。そして、私は、その言葉に耐えられなかった。
彼は、私を哀れんでいた。私の抱える孤独や、戦いの重荷を、気の毒に思っていた。
それなのに、私は、彼の好意を突き放すことしかできなかった。
だけど、あの時、ジュンイチは言ってくれた。
彼が言った、『ありがとう』という言葉。『僕の友達でいてくれてありがとう』って。
あれは、私の孤独を肯定する言葉じゃなかった。
ただ、私がそこにいてくれるだけで、彼が感謝をしてくれるという、対等な関係の印だった。
彼は、何もかも、私に頼ってばかりだなんて思っていなかった。
感謝の言葉を伝えたいと、思ってくれていた。
それなのに、私は……。
“気持ちはうれしいのよ。でも、出来ることと出来ないことがある“
私は、また、あの頃の私に戻ってしまった。
“あなたたちを守れる自信がない“
そう言っている私は、彼らを、憐れんでいる。
“これはもともと私一人の戦い“
そう言っている私は、彼らの好意を、まるで憐れみであるかのように、拒絶している。
ジュンイチのあの時の視線に耐えられなかったはずなのに。
今度は私が、ジュンイチを憐れんでいる。
「……ごめんね、ジュンイチ」
私は、誰にも聞こえない声で、そう呟いた。
それは、私の孤独を肯定する、唯一の言葉だった。
コツン。
ためらうような音に続いて、はっきりと、コンコン、と音が聞こえる。
ドアのノック。
「……誰?」
「僕だ。ジュンイチだ」
「……どうぞ」
私は、そうして、私を憐れみに来たジュンイチを受け入れる。
私の前に来たジュンイチは、開口一番、私に頭を下げた。
「ごめん!」
え?
「なんか、ジーニー・ルカがやらかして、色々聞いちゃった!」
……は?
「黙ってようと、黙って君を元気づけに来ようと思ったけど、なんかやっぱりこれはダメな気がしたから白状する! いろいろ聞いちゃった!」
「ま、待ってよ、それより、どうしてジーニー・ルカと会話ができるの?」
「その、なんか、ジーニー・ポリティクスに捕まって基本的に外部とのやり取りは全部だめになってるんだけど、持ち主の精神的サポートだけは大丈夫ってことらしくて……ジーニー・ルカが君のことを心配して僕に連絡してくれた」
ええー。
なんだか少し拍子抜けしちゃった。
私の親友だったジーニー・ルカが完全に失われたと思ってたから。
なんだかそれを聞いただけで、ちょっと元気が出てきた。
私って、案外現金かも。
それからジュンイチに聞いた話は、私にとっては混乱と恥ずかしさと気まずさをカップで十杯ほどぶち込んだトマトスープみたいなもので、怒っていいのやら恥ずかしくて転がりまわればいいのやら。
その話の最後に、率直に――ジュンイチは、私に憐れまれている自分のことを付け加えてくれた。
それは、きっとジュンイチ自身の悩みだったんだろうと思う。
――私の剣でいたかった。
彼の言葉は、私の言葉の裏返しだった。
剣であれば、その刃を失えばただ憐れまれるだけの存在だろう。
彼は、彼だけが持つ刃を今まさに失った。
そんな彼を、私は憐み、守る自信がないと言って遠ざけようとした。
それは、友人としての彼を否定することだった。
そうでないと言い募る彼らの言葉を遮った。
ああ、やっちゃった。
ほんと、ジーニー・ルカの言う通り。
私は、お父様がお母様を失って苦しんでいる姿をずっと見てきた。
だから、きっと誤解しちゃったんだと思う。
もちろん、その誤解だって、全部誤解ってわけじゃない。だから、やっぱり私は王女としてみんなを守る義務を捨てるつもりはない。
最も大きな権力を持つからこそ守る義務はある。それは理屈。
だから、それとは別に、私自身の気持ちの問題として、彼らとどうありたいか、そんな気持ちを大切にしなきゃ。
理屈と感情が同じ方向を向いてる必要はない。
――でも、お父様が、そこまで思いつめていたなんて、思ってもいなかった。
ジーニー・ルカのやらかしではあるけれど、私はそれを聞いてよかったと思う。
ジュンイチの言葉じゃないけれど、私は絶対にお父様を救わなきゃならないって思えたから。
「てことは、つまりどういうこと? やっぱり私に付いてくると?」
「君についていくんじゃない。君の横にいたい」
率直な告白に、ちょっと顔がほてるのを感じる。そんな風にストレートに言う人なんて余りいなかったから。あ、トモミは、案外そうだったかも。
「ジーニー・ルカを取り戻す可能性も、少し見えた。だから、君を説得に来た」
「……そういうことね。私に一人で戦うな、と。ジーニー・ルカを取り戻せ、と」
「そういうこと。あんなところに閉じ込められて君の心配をしてばかりの彼がかわいそうだ」
「……そうね。私が私の親友を取り戻すのに躊躇しちゃいけなかったわ。国のことなんかよりまず友達を大切にしろってことね」
「そこまでは言ってないけど、うん、まあ、陛下もきっと、そんな気持ちだから」
「……そうね。ありがと。大切にするもの、間違えないようにする」
私はそういって、ベッドから立ち上がった。
もちろん、これから、私の大切な『友達』に私の決意を伝えて、みんなでその方法を考えるため。
「……さて。私の誇りを傷つけ、私の親友を檻に閉じ込めた“政治”とかいうデカブツに、たっぷりお返しをしに行きましょうか」
なんてことを言って見せて。ジュンイチが浮かべた表情は、頼もしくて不敵で――きっと私も同じ顔、してる。




