【第二幕】思い出を掻き鳴らして-Play The Star Candle-
卒業アルバムには、僕が過ごした毎日が写真として残されていて、ページを開けばあの時はどうだった、なんて何時間でも思い出話が出来るだろう。
活躍なんてしなくて、目一杯はしゃいだだけの体育祭。
友達とただ校内を話しながら回っているだけで終わった文化祭。
準備に面倒くさがりながらも、最後には感動を迎えた音楽祭。
そして、ただ単純に、一緒に時間を共有するだけで楽しかった学校生活。
友達と好きな漫画の話をして、好きな音楽の話をして、好きなテレビの話をして、たまに好きな女子の話をして、時には友達の友達と、時には違う学年の人と、時には授業終わりの先生と、嫌われるとかうざったいとか思われる事も気にせず過ごして、これからもそうであり続けると思い込んでいた日々が、確かにあったのだ。
それが小学生の頃の卒業アルバムだろうが、今の卒業アルバムだろうが内容は同じで、僕にとって学校というのは、勉強という名目で集まった、思い出作りの場所なのである。
だから、中学二年になる前にあいつが学校に来なくなってからの思い出話も僕には出来るし、アルバムにもその思い出の証明が残されている。
別に薄情だった訳じゃない。
あいつがそうなってしまったのに、心配を重ねたのは本当だった。
けど、『大丈夫か?』とか『学校来いよ』とかいらないって分かってたし、それが正しいとも思わなかった。
寄り添ってやるだけ。
同情もせず、叱咤もせず、手を差し伸べてやるとか大層な事もせず、一緒に居てやるだけが僕に出来た事。
あいつの母親は、毎日放課後に家に来る僕に「いらっしゃい」しか言わなかったのは、それを理解していてからだろう。
学校に行かない理由も訊かず、それが普通であるように過ごした。
きっと、思い出しかのようにあいつが、父親の仕事場に行ったりしてたのは僕らのそんな態度に思うところがあったからなのかもしれない。
目が悪くなった父親へ、張子のお面を作るのを手伝ったり、ビリヤードの相手になってやるようにしてた昔を、僕らが中学に入ったばかりの――当時の日課のようなものを、思い出しに行くために、誰にも気付かれずに学校へと行っていたのかもしれない。
……いや、それだけじゃない。本当は僕らと同じ教室に行きたかったのかもしれない。
どこかで一歩踏み出せなくて、校内に入って遠目に見える僕らに近づきずらくて、あの場に落ち着いていた。
本当は三年二組の教室に行きたかった。
そうじゃなきゃ、この街に学校なんて――三年二組なんてある訳ないんだ。
そうじゃなきゃ、卒業文集の為に何枚もの原稿用紙を費やしはしないんだ。
そうじゃなきゃ、父親に、先生に、会いに来たりはしないんだ。
僕がここ居る訳も、ないんだ。
一緒に卒業したかった。
一緒に学校での思い出を作りたかった。
本気でそう思っていたんだ。
……でも、もうあいつは旅立つ事を決めた。
父親のところへ行く事を決めた。
僕だって認めたくないし、受け入れたくないけど、その言葉を言える訳もないけどさ、そうなってしまったんだ。
どうあがいても、それは変えられない、事実だ。
なら、もう僕に出来る事はない。
迷わされたのはあいつじゃなくて、最初から僕だった。
僕だけが来てはいけない世界へ、一緒に行こうとしていた。
違う。僕はいとまごいをしに来たんだ。
帰らなきゃ。
僕はそれを終えたら元の世界へ帰らなきゃ。
あいつは向こうへ、僕はここへ。
引き止めていた時間を、終わらせなきゃ。
全部忘れて、さよならをしなきゃ。
もう、終わらせなきゃ。
◇
「中一の時の家庭科で僕は感動したな。カツ丼なんて、調理実習でやるなんて思ってなかったから。まあ、基本お前ら女子に任せてぼーっとしてたんだけど、思いつきでタコ入れたらすごかったよな。大好評でさ」
「……うん」
「あの時は、なんかお前の手柄になってな。お前も気を良くしちゃって、家でもそればっか作ってたらしいじゃん」
「……うん」
「なんだろうな、ただタコ入れただけなのに、全然味変わっちゃってさ…………」
「…………う、ん」
「全く変わちゃって……さあ」
「…………」
「はは……忘れちまった……か」
さっきから、下を向いて頷く姿に、僕は胸を締め付けられる。
本来の姿に戻ろうとしているからこそ、唯一ちゃんと学校に行ってた中一の記憶も無くなってきてしまったんだ。
覚えているのは、あとどれ程のあれこれだろう。
僕だけしか、覚えてなくなってしまうのは、どれくらいだろう。
開いた卒業アルバムの、中学一年のページを僕はそれ以上めくれない。
めくりたくない。
「…………ねえ、見せてよ」
力なく笑う顔に、僕は添えた手を動かせずにいると、ふと、柔らかい感触が手に乗っかる。
羽のように軽く、今にも消えそうな感覚が。
「……わたしも、見てみたい、な。見れなかった景色」
どこか寂しげだけど、伝わるその言葉の思いに、僕は一緒にページをめくった。
そこには、廊下で笑い合う同級生の姿や、修学旅行で過ごしたちょっと違った日、部活を楽しげで真剣に取り組む仲間の写真が、ところ狭しと並んでいる。
僕の写っている写真は、授業中に教科書を読まされているところ。当時はちょうど髪を切ったばかりで、ナチュラルマッシュの髪型をしている。
「……こいつ、学級委員のくせに寝てやがる。あ、あのバカちゃっかり写ってんの……おいおい、この写真使うのかよ。はは、ふざけんてんな、皆」
見るだけで思い浮かぶ昔、いや実際は少し前の事に、僕は目が潤んできていた。
戻れない日々を懐かしんでの涙じゃなくて、今こいつとこの写真を見れる事。それがとてつもなく、悲しくて、嬉しくて、なぜだか泣いているんだ。
「僕さ……めちゃくちゃ楽しかったよ…………学校。辞めちゃった陸上部のヤツらとも仲良くしてさ、クラスのヤツらは皆いい奴でさ、先生にも恵まれてたし、本当幸せでさ……母さんも父さんもそんな僕に羨ましいなって言ってくれてさ……だからかな……お前と一緒だったらもっと良かったなあって思っちゃってさ、すげえ欲張りだけど、毎日お前に会い行ったの、そんな気持ちだったからで………………っ」
中学三年の、最後のページに差し掛かったところで僕は言葉が出なかった。何か言おうとしても、涙が言葉を邪魔をして唇がうまく動かない。伝えたいのに伝えられない。いつも言えない素直な言葉ってヤツを、僕はまた言えなくなっている。情けない。最後までこうなんだ、僕って。
そうやって、黙ったままの僕にこいつは何も言わない。言葉を待ってるんじゃない、分かってるからこそ言わないんだ。僕の手を握った手が震えてるのは、きっとそうなんだ。
ゆっくり深呼吸して、顔を上げる。ぐちゃぐちゃで不細工になっているであろう顔を、優しく身守るその瞳に向かって。
「……お父さんが、目が見えなくなった時にね、先生辞めようとしたの……授業出来ないからって。でも、学校の先生方はね、授業は代わりの先生にさせるから、もう少しここにいて下さいって言ったの。すごく信頼されてたみたい。生徒からも、先生からも」
久しぶりに話したからか、一瞬声がうまく出なかったみたいだが、すぐに僕の知ってる口調に戻る。とても聞き慣れた、いつもの彼女に。
「……わたし達の担当学年じゃなかったから、実際あんまり会わなかったけど、そんなすごい人なんだって思って……だからね、家族としてもそうだけど、もう少し居て欲しいって思った人の為にも、わたしはあの場所に行ってたんだと思うの……だからね……線路に落ちちゃった時、分からなくなっちゃって」
中学二年になる前、ちょうど今くらいの時期だっただろう。駅構内で人が落ちたと騒ぎがあったのは。
僕は人が群がる駅前を通り掛かった時、あの小さな駅は大混雑を起こしていた。
何が起きたのかと、人混みを掻き分けた先に、知ってる背中があった。
呆然と、ただ立ちすくむ一人の幼馴染の姿、そしてその手に握られた父親のバッグと杖。
言葉を掛けても、手を引いても、何も反応しなくてされるがままで、閉じこもってしまった。
それ程に大きかった存在だった。とてつもなく、大切な人で、大切な家族だった。
「…………ありがとうね、部活まで辞めて、ここに来てくれて……ごめんね、勝手に向こうに行こうとして」
「ゆめさ……!」
その時、彼女の名前を呼ぼうとして、口がそれ以上動けない事に戦慄した。
やばい。出てこない。なんでここで。なんで出てこなくなるんだ。僕は"向こう"の人間じゃない。なのになんで……。
「あああ……ああ、くそっ、お前の事」
「……そっか。そろそろ、わたしも……行かないといけないのかもね」
「そ、そんな……」
僕は卒業アルバムの生徒写真のページを開く。こいつの名前を、こいつの事が載ってる筈の場所を、ひたすらに探して――。
「……無い、のか」
同じ誕生日で、同じ幼稚園で、同じ学校で、近所付き合いの、同じクラスの幼馴染。
それはこれからもそのつもりで、変わる事のない事実で、残っていく過去で、忘れる事なんて有り得ない筈なのに。
それなのに――なんで、無いんだ。
「…………きっと、迷っちゃったから、やっちゃいけない事をしたから、そっちからも忘れられちゃうのかな」
「そんなバカな事!」
「なにが起きても不思議じゃないよ……だってほら……ね」
おもむろに、彼女は自分の足元にあった原稿用紙を取り出した。何回も書いては消してを繰り返した、くしゃくしゃになった原稿用紙。
そこの、文末部分。書かれた自分の名前の場所は、滲んだ字だけがあった。
『三月七日 三年二組 二十七番――』
何度もそこに書こうとした跡。黒く、ぐちゃぐちゃになってしまっているその文字。
それは自分ですら、自分の名前も忘れてしまった事を表しているのだった。
「……書けないんだよ、わたし。日付もクラスも出席番号も書けるのに……いやもう、それすらも書けなくなっちゃったのかな。いずれにしろ、わたしはもうここに居られないの。ね? だから、アルバムは要らないんだよ」
「…………」
「せっかく持ってきてくれたのに、ごめんね」
目を瞑って謝って、僕の手をそっと離す。
広げられた卒業アルバムは、僕の涙で濡れてしまっている。
ぽっかりと空いた、一つの写真のところに。
「…………そっか。なら、認めるしかないな」
無理やり声を絞りだした。
そう言うしかなかったから。
もう、そうしないといけなかったから。
「……うん」
「でもな、この文集はさ、ちゃんと書いてやれよ。先生、向こうで待ってるって言ってたから」
僕が力を込めて持っていた為に、丸まってしまった預けられた冊子を、渡す。
彼女は、しばらくそれを見つめてはパラパラとページとめくり、頬を緩めてそこに挟んであった一枚の花びらを手に取った。
「……知ってるか? 青色の桜はおまじないのせいで、普通のヤツには見えないんだ。おまじないが掛かっていない僕らだけ。で、その木には宇宙を揺るがすものすごい宝物が眠っているから、地球では存在しないものとして認識されてる……」
「……さくら、ね」
ポツリと呟いて、彼女はその花びらを制服の胸ポケットに入れた。ブレザーのちょうど、造花を付ける辺りに、その青色を。
「うん……じゃあそれにね、わたし、この花に花言葉をつけてあげるよ」
「花言葉……?」
「うん。本当の花の方は忘れちゃったから」
そう言って、彼女は立ち上がり僕に「じゃあ、いこっか」とだけ残して玄関へと向かってしまう。
短めのスカートを追って、僕もテーブルのおでんをそのままに、部屋から出る。
もう出発するらしい。向こうに。
「そっか……なあ、忘れ物はないか? もうこっちには戻らないんだから、少しは確認しといた方がいいぞ」
「大丈夫。その時は、こっそり帰ってくるから」
靴を履き替え、ドアを開ける。
空に広がるのはもう宵闇ではない白さを帯び始めた空。時間は段々と進んで行っているのだ。止まっていた時間が嘘のように、変わっていく。
「で、花言葉ってのは?」
周りの人間はいつか忘れてしまう彼女の事を僕は忘れたくないと心に誓って、あと少しで見えなくなってしまうだろうその花の持つ言葉を待った。
最後の二人乗りが始まる前まで。
「"わたしを忘れないで"」
僕は自転車の鍵をポケットから取り出した。
だって、もうすぐ夜は明ける。




