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【第二幕】思い出を掻き鳴らして-Play The Star Candle-

 踏切に近づくにつれて妙に冷えてきた。それは夕陽が沈み始めて気温が下がってきたのか、この場特有の寒気みたいなものなのかは分からない。

 すぐそこにあるコンビニを過ぎて、誰一人としていない大きい車道に出る。お洒落な美容院と輸入菓子の専門店、そして小さなゲームセンター。

 無かったような気もするし、あったような気もするくらいの存在感のそこは、近くを通ると聞き覚えのある音楽が流れてた。


「ああ、よくこの曲家で聴いてたなぁ。ジャズの名曲で、たびたびテレビとかでも流れてるヤツだよね、なんだっけか。変な曲名なのは覚えてるんだけど」

「そうなんですか」

「うん、なんたらエリントンって人が作った曲で、娘がボクの誕生日にプレゼントしてくれたCDに入ってたんだよ。確かA列車で行こうとかもその人の曲でさ――」


 思い出していくように会話をしながら、男は笑っていた。

 もうすっかり見えなくなってしまったその目を、少し潤ませながら、忘れてしまった思い出を――忘れたくなかった思い出を、楽しそうに語っている。


「あ、この近くにお花屋さんがあるだろう? ちょっと寄って行ってもいいかな」


 肩を軽く叩かれ、僕は上り坂付近にある古くさい花屋を探す。

 不釣り合いな景観にそびえる、青い花が寂しく咲いているだけの、ちょうどそこの目の前まで立ち止まって、男を見上げる。


「ああ、お母さんの好きな匂いだ。いっぱいの花の匂い。懐かしいなぁ。そういえば若い頃、バニラの香りがするってだけの理由で花を送ったっけ。はは、そっか、ここもちゃんとあるんだ。よかった」


 バニラの香りがする紫の花――ヘリオトロープの花は、どうしてか店内には見当たらない。

 いや、ヘリオトロープだけじゃない。赤の花タチアオイ、黄色い花アンデスの乙女、それ以外あった筈の花が一つも見当たらない。

 あるのは屋外にポツンと出されその青い花だけ。

 ……男だけにしか、分からないのだろう。


「適当に花を選んでくれないかい。せっかくだし向こうに行った時に忘れないヤツがいいな。花言葉とかよさそうなのをさ」


 僕は一本しかないその青い花をさっと手で軽く取って、男のスーツの胸ポケットに差した。男はその花をゆっくりとした所作で掴み鼻まで持って行って、首を縦に振った。


「いいチョイスだ」


 ◇


 そのまま上り坂を越えたところで、あの不愉快な突き刺さる寒気を再び感じた。

 ピリピリと全身を走るような痛みを帯びた寒さ。

 線路沿いのネコジャラシの海に佇む暗い屋根と入り口。

 別の世界にいざなわれてしまうような、仰々しい雰囲気を漂わせるそこは、この街の駅だ。


「怖いかい? あの駅は」


 男はあいも変わらない口調で笑みを浮かべた。まるで見えもしない幽霊に怯える子供をあやすように。


「怖い、というより。嫌です」

「そうか。まあ、そうだよね。駅は言わば命への入り口だ。たくさんの命を運ぶ電車。それに乗る為のところだからね。はは…………そして消える命もそこにはあるんだろう」


 消える命。

 そうだ。どんな形でも、どんな経緯があっても、電車は人の命を終わらせる事が出来る。

 そして、通常ならば慈しむ場所でなければならないのに、募るのは個々人の都合。人の命が最も消えて、最も悲しまれない場所。それが駅なのだ。

 男は大きく息を吐いて、僕に前に進むように促す。


「体育大学の時にね、運送のアルバイトをした事があるんだ。ボクは運転手じゃなくて、あくまで積荷を運ぶだけの役目だったけどね。で、いざ目的地に着くってところで、そのダンプカーは踏切に引っかかってしまってね。ボクは早めに逃げれたから怪我はなかったけど、運転手の方が少し手間取ってそのまま電車に……。呆気ないくらい一瞬だったよ。その後たくさんの人に影響が出たんだ。積荷やダンプカーの瓦礫がすごい量だったし、通勤通学の人たちともろに時間が被った。運転見合わせは、一日中続いた」


 いつくらいの話なのだろう。忘れた筈の昔話を、いや普通に忘れてしまっていてもおかしくない頃の話を、男は淡々と続けた。


「ボクは呆然と踏切の近くで立ち尽くしてた。そしたら、溢れた駅の人間から『ふざけるな』と怒号が飛んだ。そう、心配の声なんて一つもなかった。駅員さんでさえ、舌打ちを繰り返していたからね。すごく、嫌な思い出だ」

「……」

「亡くなった彼は、その日に会ったばかりで、ボクも大した言葉も交わしてない。精々さっさと終わらせてビールでも飲みたいですねとか、そんな程度だった。だが、いざ彼の死際を目の当たりにしたら、とてつもなく胸が痛んだ。あの光景は、思い出すだけで吐き気がするよ。目を背けたくなる。それがもし、自分の大切な人だったりしたら、立ち直れないだろう……生きるのが、辛いだろう」


 僕の肩にギュッと力を込めて男は見えない目で空を仰ぐ。

 ……手の感覚がよくやく分かるくらいの弱々しかった重さが、ずしりとのしかかっているのが分かった。強く、僕に伝えているのだろう。


「変な話でごめんよ。だけど、これだけは覚えていてほしい。命はそれ程に大きい存在だ。そこの上を走る電車にもまた多くの命が乗ってる。それ故時に、いざなわれる事もあるかもしれないが、決して踏み出してはならない。踏み出したら、向こう側に渡るしか無くなってしまう……今回みたいに"迷わせてくれる"のは本当に偶然が重ならないと無理だ」

「……迷わせる」


 ――猫はね、昔から人を迷わせる動物なんだよ。


 ――それこそ気まぐれに、人を道から外させて、帰ってこれない場所までいざなってしまうような、こわーいヤツなの。


「人を迷わせる猫。ですか」


どこかへいざなってしまう動物。怪異的で非現実的なのになぜか信憑性のある存在。

 どこか僕らを弄ぶ、気だるいヤツ。


「……そうかキミも猫に呼ばれたのか。そう。なら、なおさら、目を背けてはいけないよ。ヤツらは迷わせた人間に終わりを伝えに来る。それを逃したら、一生迷わされたままだ。死ぬ事も、生きる事も出来ない。命を弄ばれ――」


 男が語り終えようとした瞬間、駅から電車がまもなく到着するチャイムが流れた。

 

 甲高い金属音にどこかで聞いた事のあるメロディーが響き渡った。


「ははは……時間だ。たぶん、ボクへの最終電車らしい。タイミング悪いなあ……うん。じゃあ、改札まででいいから、もう少し頑張ってくれないか」


 スピーカーからの音が歪み始め不愉快な音色が周りを包む。

 気持ち悪い。寒気で鳥肌が立つ。足が震えてくる。

 けど、行かなくちゃ。僕は近くの歩道に自転車を置き、歩調を早めながら駅の入り口まで焦るように進む。途中男がつまずきそうになったが、なんとか体勢を整えて、暗い駅へと入った。

 こじんまり暗く錆びついた無人の構内には何故か"Prank"と月みたいな色のスプレーで落書きがされていて、えらく不気味だ。気味が悪い。


「あ」


 ふと、駅員室と書かれた窓から黒い何かが飛び出してきたのが見えて、思わず声がでる。

あれは。


「ミャー」


 マミ。

 真っ黒な毛をした可愛くない猫。僕らを迷わせた猫。マミ。

 それにしても、本当にいきなり過ぎるヤツだとは思ってたけど、なんでここにこいつがいるんだ。さっきは、学校にいたくせに。


「お、猫の声だ。はは、さっそくボクに最後を伝えに来たんだね」

「ミャー」


 男を低すぎる改札の前まで連れてくと、マミがピョン改札の上に乗り、男の手に首輪を押し付ける。

 そこにはもちろん、トランクの形をしたオブジェクトがぶら下がっている。


「あー、はいはい。乗車券ね」


 男は、スーツの胸ポケットの花を一旦取り出しては、奥まで手を入れ、しわくちゃの紙切れを取り出した。

 何も書かれてない、まっさらなその紙を。


「ムミャ」


 大きな手でマミの首辺りを触りながら、小さなトランクを手探りで開ける。

 どうやら、さっき不器用に閉まっているように見えたのは、男がこの街に降りた時にあそこに乗車券を入れた為らしい。

 そして、マミは頑なにトランクを触らせない理由も分かった気がした。


「……電車が、来るね」


 不協和音とも呼べないようなただぶつかり合う雑音が止み、電車の大きなクラクションが聞こえてきた。

 あの時と同じように、突然に鳴り響く。


「さあ、今度こそお別れだ」


 男が振り返るとともに、暗い構内がさらに暗くなった。星の無い宇宙にでも来たのかというくらい暗い。目の前にあった飛び越えられそうな改札は、どこか遠くにあるかのように、存在を完全に消して暗闇に溶けてしまう。


「な、これって」

「渡る時が来たんだよ……ここから先へ進めばボクは完全にキミの事を忘れるだろう。まあ、そもそも別世界の人間だから当たり前だけどね。短い時間だったけど、色々と助かったよ」


 電車が大きな音を立てて入って来るともに、男の姿が霞み始めた。陽炎のように、溶かされていくように、ぼやけている。


「本当はね、忘れ物を取りに来たなんて、ただの口実なんだ。単純に娘が心配で仕方なかったんだよ。ちゃんと、こっちへ来てくれるかって……でも、安心した。キミにならあの子を任せて良さそうだ。自分の運命を受け入れてくれそうだ」

「あ、あの!」


 僕の叫び声に、マミは改札から飛んで駅員室の中に入った。驚いたのかもしれない。

 だってもう、その夕焼け色の電車のドアが開いてしまったのだから、叫ばざる得なかったんだ。


「これだけ教えてください! なんで……なんで電車に飛び込んだんですか! そんな事しなければあいつだって……」

「…………」

「亡くなったその運転手の事だってあったのに、なんで!」

「…………」

「なんでっ……!」


 立ち止まった男は、よろよろと僕に背を向けて、前に進んで行く。また不愉快な発車のベルが鳴り出す。


「見えなくなったんだよ」


「……え?」


 前だけを見つめて、離れていくのに僕だけに聞こえる声で。


「目が見えなくなって見えてた景色すらも、見えなくなってしまったんだよ。だから、たぶんその時誤って転倒したって言うのは、そういう事だったんだ。ボクはそこで最終回を迎える運命だった。本当はもっと、生きていたかったよ」


 一歩、一歩と開かれた無人の電車へ近づく男はドアの直前で顔だけで振り向いて、顔だけは笑って、言った。


「でも……耐えられなかったんだ。家族の顔が見えなかったのが。次の日になったらどこかへ置いていかれてしまうような不安が」

「そんな事……!」

「分かってる。そんな事しないよあの人たちは。だからこそ、ボクは迷ってしまったんだ。一瞬だけね。そうして、足を踏み外したんだ」


 電車の中に足を進め、発車のベルが鳴り終わる。後はもう、ドアが閉まるのを待つだけだ。


「…………ああ、ようやく思い出せたよ。キミの名前」


 プシュ、と気の抜けた炭酸のような音とともにドアがゆっくりと閉まった。

 そのドアの隙間から男はやっぱり作ったかのような乾いた笑顔で、けれど、僕の見覚えのある父親の顔で、やはり――


笑っていた。

 

「なあ、さくらは好きかい?」

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