【第二幕】思い出を掻き鳴らして-Play The Star Candle-
「っ……」
気付いたら夜空があった。
暗い雲はちぎれ、星が光り、月が遠くに見えた。
どうやら、古ぼけた線路を目の前にして、僕は寝転んでいたようだった。
「あれ、駅は……?」
身体を起こし、周りを見渡してみる。
無い。さっきまで僕が立っていた駅がぽっかりと無くなっていた。
……いや、駅だけじゃない。街の建物全体がまるで切り取ったかのように消えている。
あるのは数件。どれも忘れ去られたかのようにそこに建っていて、そのどれもが僕の知っている物だった。
「はは……今度は僕の番ってか。やれやれ」
線路沿い適当に停めた自転車。
昔、ショッピングモールで買ってもらった、どこにでもある普通のママチャリ。
荷台部分をわざわざ上に曲げて、二人乗りしやすいようにしてあって、いつもこいつに乗って学校に行っていた。
そう、あいつと二人乗りする為に。
「……さて、と」
ふわっと、冷たい夜風が吹いては、周りに生えてる草木をざわつかせ、時の流れを感じさせる。
夜になったのだ。この冷たさも、止まっていた時が、少しだけど動き出した事を伝えている。
自転車のハンドルを持ち、またがってみる。
カゴの中にはコンビニの袋。もちろん何も入ってない。
そこにずっと手に持ってシワができ始めた冊子を放り込みペダルを漕ぐ。キイキイと規則的に甲高い悲鳴を上げながら、僕は緩やかな坂道を下りていく。
どこに向かえばいいか。そんなの考えるまでもない。
「今日は三月七日だった」というだけの話だ。
三月七日。僕らが学校を卒業する日。
その日にたまたま、ぶつかったというだけの、話。
「腹、減ったな」
大きく息を吐きながら、自分の腹に手を当ててみる。
今日一日何も食べてなかったかのような状態だ。早く適当な物を腹に入れておきたい。
あんまガッツリしてなくて、さっさと食べれる程度の物を。
「こちらこそありがとう、先生……」
◇
夜のショッピングモールというのは何故ここまで不気味で寂しいのだろう。
大きさに比例しないで、人が誰も居ないだけにしたって、夜はまるで、変な世界に迷い込んでしまったかのような感覚がする。
「あいつ、いんのかな」
電気はついている筈なのに、襲ってくる孤独感は恐怖心にも似ている。
見慣れている光景。
それは、いつからこんなに怖くなったのだろう。
敢えて大きく足音を立て、僕は二階のあの場所へと進んでいく。
自分たちが作った家へと。住んでいた場所へと。
「……」
エスカレーターの前、ショッピングカートが一つだけ放りっぱなしになっている。
たぶん、僕らがここで食材なんかを運ぶ時に使用していた物なのだろう。
買い物の時に、頼まれた訳でもないのにいつもカートを押していたから、その名残りみたいなのがあるのかもな。
家族全員で買い物してた時の名残りが。
今はもう、しなくなってしまった。
二階へ着く。相変わらずだだっ広い家具屋がすぐ目の前に広がる。
寝具コーナーを抜けて、雑把に生活用品を集めただけの簡易自宅に僕は腰を下ろす。
「いねぇか。どこ行ったんだ」
二つのベッド。いつもなら、物が少ないくせに散らかってる方が僕ので、物が多いくせに片付いている方があいつのという組み合わせ。
互いに物理的に距離を空けてはいるけれど、目に入る位置にはある寝床。
干渉し合う事なんてしないが、居ないと不安で仕方ない関係。
僕らはそういう仲だ。
だから……だからこそ、僕はあいつの寝床の前へと立った。
壁にも仕切られてないし、鍵も閉まってないのに、なにか用事がなければ近づく事を避けていたあいつの場所。
おそらく、勝手に入ったって本人は何も言わないだろう。
それ程に僕を信用しているとかそんな話ではなく、隠す物なんて、見られて困る物なんて無いというだけの理由だ。
本当に見られたくない物は、きっともっと大事なところにしまってあるものなのだ。
ここは、そんな物を置く大事なところじゃない。
「だから、こんなに散らかしてるのか」
開いたままの雑誌、食べかけのお菓子、崩れそうな漫画の塔。
しまう場所や捨てる場所があるにも関わらず、そのままなのは面倒だからとかいう問題じゃなくて、あいつ自身のルールやマナーなんてものが、必要なくなったからだろうか。
誰かの目を気にして生きる必要なんてないと思ったからなのだろうか。
あの時みたいに。
「原稿用紙……あいつのか」
目に止まった、ベッドの横にある机に置き去りにされたくしゃくしゃの原稿用紙。
きっと、ずっとなにか書いては消して、悩んで書いては消してを繰り返していたのだろう用紙には消し跡が無数に残っている。
消せない、傷跡のように。
僕は机に掛かっているスクールバッグを手に取って、中を開ける。
いつか見た光景と同じ、使いかけの制汗スプレーが何本も入っていて、申し訳程度に筆記用具やノートがあった。
そして、なにやら薄く光る物もある。
「携帯までそのままか」
白色のシンプルなカバーをしたそれは、あいつの使っているスマホだ。
でも、電波という概念が無いこの街に、ネットもメールも電話も使えはしない。
ただ写真を撮るだけの、止まった時間を確かめるだけの、小さな電化製品でしかないのだ。
そして、電源ボタンを押しても、十六時三十一分の文字を表すだけで、パスワードの画面になってしまう。
仮にパスワードが無くて、中身を見れたとしても、残ってるのはこの街での僕らの思い出ばかりだろう。
忘れたくない思い出を、忘れないようにと、過去にすがってシャッターを切った記録しかないのだろう。
違う。今必要なのはそんなもんじゃないんだ。
僕はバッグを戻して隣にあるクローゼットを開けた。
制服が掛かってなかった。一応は着替えて学校に来ようとしたのだろうか。にしても、どこにいるかこれじゃまるで分からない。
「一応パークにでも行ってみっか」
乱暴にクローゼットの扉を閉めて早歩きでスポーツパークを目指す。
本屋を抜けて、映画館を横切って、服屋を通って、フードコートを横目に、食品売り場を越えていって。
そこに置かれた散らかした物たちは、全部だしっぱしでぐちゃぐちゃで綺麗には見えなかったけれど、僕らがここに居た証明が確かに目で見えて、ああここでこうやってあんな事を言って二人でただ笑っては一緒に過ごして、なんていうそんな記憶が、そんな思い出が、消える事なく、ちゃんとあった。
ここに居た事。
ここに存在していたという事。
誰かの夢の中みたいな非現実的な世界で、どう見たって本来の町じゃなくたって、僕はここに居たんだ。あいつと居たんだ。
足を進めるたび、思い浮かぶここでの事。
このショッピングモールの事。
好きなものを着て、好きなものを観て、好きなものを読んで、好きなものを食べて、好きなものを持ち込んで。
まるで、僕らの城みたいで。
好きなものしかない世界に生きてるようで。
好きなものだけ選べる世界にいるみたいで。
終わりを迎えないといけないけど、とても温かい思い出であって。
忘れたくなくて――。
「……着いた」
そうやって着いた口を開いているみたいな、パークへの入り口の前に僕は立つ。
けど、ふうと深呼吸少しして、すぐに中へと踏み入れる。
目に映るのは受付近くの遊戯室、カラオケの個室、奥には風呂がわりに使っているシャワー室。
そして、ただ広いだけのパーク内。
閑散として、人がいる気配は全くしない広いだけの場所。
床には無数のバドミントンの羽根や、ピンポン球、時々バスケットボールなどの、遊び終わった後に片付けなかった時の残骸が、未だそのままになっている。
たくさんの、記録として。
「ん」
近づいてみると、どかしておいた筈のコート内に、バドミントンの数枚の羽根と横にガットの破れたラケットがあった。
「ここに、来てたのか」
僕はコートから離れてはすぐそこにある遊戯室のドアを開けて、中を覗き込む。
体育準備室の物と同じような型のビリヤード台には、手玉が最後の一球を突く寸前で止まってしまっている状態で、目の前にある。
そして、何度も何度も繰り返したのだろう、台の手元に置いてあった滑り止めのチョークがほとんど無くなっている。
なんだか、あと一つのところまでで、やめてしまったみたいな光景だった。
部屋の中を見渡して、他に何も無い事を確認する。遊戯室を出て、誰もいないパークの出口へと向かっていく。
「ったく、どこへ行ったんだよ」
高すぎる天井に呟きながら、上の窓に映った夜空を眺める。
夕焼けが沈んだ今、街全体の姿は曖昧になっている。
――坂の上から見た時、取り残されたように存在した数件の建物は全部僕らが居た場所だった。
つまりあいつが、このショッピングモールにいないとしたなら、手当たり次第に他を探せば見つかる。一つずつ潰していくだけだ。
今度はふう、と息を吐いて僕は一度振り返ったモールの出口へと踏み出そうとした。
その瞬間、何か強烈な違和感を覚える。
「ん?」
おかしい。モール全体が異様なまでに重い空気を漂わせてる。
目を配らせながらモール内を少しうろついてみる。やっぱり変だ。こんなに無機質というか、人気の無い感じじゃない筈だったのに――。
「あれ、物が無くなってる……?」
その光景を見て僕は違和感の正体に気付き始める。
無いのだ。
僕らが散らかした商品が、残してきた証明が、見当たらないのだ。
さっきまであった、たくさんのモノが一瞬にして消えたのである。
「……はあ、なるほど、そうかい」
でも、答えを理解するのにそこまでの時間は要らなかった。
だって――ここにあるのは看板が取られた服屋、看板だけの本屋、商品が無くなった家電屋と、立ち入り禁止と書かれた映画館。
何を示しているのか、何が起きているのか、そんなのは改めなくても分かってしまうだ。
僕はポツンと取り残されていた晴れ着をまとったマネキンに、最後の言葉を掛けてやる。
「またどこかで会おうな」
出口の自動ドアは、壊れて開いたままだった。




