第17話 牙を持つ者達
「それで? どうだ、ルルーシャは」
王城の一角にある、国防省に割り当てられた会議室。
ちょっとした会談や来賓応対にも使用することができる貴賓用の応接室に近いその部屋で、上質な椅子に腰掛けたエドガーが抑揚のない声で言った。
部屋にいるのは四人。
螺鈿の細工が光る年代物であろう広い円卓を挟み席についているのは、国防省副長官であるエドガーと、レオドニル国の第二王子──レナート。
虎の獣人である彼は、今年で二十五歳。
肩ほどの長さの夕日色をした鮮やかな髪を一括りにし、整った顔立ちに自信に満ちた金の瞳が輝く精悍な男だ。
頭上の耳はその先だけが黒毛でやや丸い。
背後に垂れる太い尾は美しい毛並の縞模様で、ゆるりと弧を描いており、身長はユーリスといい勝負で堂々とした佇まい。
『華やか』『快活』という言葉がよく似合う彼は、薄らと王族らしい笑みを浮かべ、優雅に脚を組んで紅茶を飲んでいる。
レナートの近衛騎士であるフィオグラウスは、もう一人の騎士と共にその彼の後ろに立ち、浮かない表情でエドガーの問いに答えた。
三角の耳はしゅんと垂れ、尻尾は揺れる事なく静かだ。
「普段通りに振る舞おうとはされていますが……どう見ても不安定になっています。正直、暫くは現状維持のままそっとしておいてあげたいです」
ルルーシャが庭で泣いたあの日から、一週間が経っている。
彼女は未だに些細なことも恥じらい相変わらず赤面してはいるが、あれ以来がらりと二人の在り方は変わっていた。
「あの……手を、繋いでいて頂けませんか?」
特訓以外の時間も、ルルーシャは顔を真っ赤にしながら自らそう申し出て、ずっとフィオグラウスから離れず、ただひたすらに側にいたがった。
手を繋ぐとホッとしたように眉を下げて笑うルルーシャは、心の内に広がる不安の正体がわからず、自分自身に戸惑っているのが明らかだった。
弱気なフィオグラウスの発言を聞き、紅茶のカップをおろしたレナートが張りのある声で打ち切るように言った。
「フィオ……今のはよろしくないな。それはつまり『犯人探しをやめたい』ってことだろう?」
表情は微笑んだままだが、威圧の籠る声音に部屋の温度が下がる。
「あの事件で、お前も含め一体何人の獣人が犠牲になったと思っている? 主犯を捕らえなければ、同胞達は報われない。我々が平和へと進む未来も脅かされ続ける。それを……お前はやめたい、と?」
ルルーシャが攫われた事件の被害者は、彼女とフィオグラウスだけではなかった。
二人以外に、獣人が十一人。
エドガーが駆け付けた時、ルルーシャ達も含めその全員が同じ部屋にいたが、集められていた者達は、種族も年齢もバラバラ。
そして、血まみれで倒れる彼らはフィオグラウス以外すでに事切れており、その全員が──獣化し完全な獣の姿になっていた。
「あの事件は、本当に戦争の引き金を引きかねなかった。両国で箝口令が敷かれ、互いの入国禁止が長く続いた状態で、可愛いお前を彼女に再び会わせるために、俺がこれまでどれだけ苦心したか……まさか忘れた訳じゃないだろうな?」
救出された後、フィオグラウスはすぐにレオドニル国へ引き渡され、二国は速やかに国交を閉じた。
政治的な限られたやり取り以外が閉ざされた状態で、「ルルーシャに会いたい! 彼女の所へ行かせて下さい!」と嘆願し続けるフィオグラウスのために、主であり幼馴染でもあるレナートはこの十年間、尽力し続けていた。
「侯爵家の大切な次男坊で、しかもお前は一族でも貴重な白い狼だ。お前を近衛として連れて行くと言って、俺が各所からどれだけ恨まれたと思うんだ。それをたった一ヶ月で、何とも弱気なことだな。彼女の平穏のためにも犯人を捕えることが如何に重要か、お前はわかっていると思っていたが」
器用に尻尾で重心を取りながら大きく椅子を後ろへ傾かせ、仰ぎ見るように厳しい視線を向けてきたレナートに、フィオグラウスは顔を顰めた。
「そ、れは……わかっています。連れて来て頂けた事も、心から感謝しています。ですが……ルルーシャの心が心配なのです。彼女が壊れてしまっては元も子もない」
未だ急いてしまったことへの後悔に揺れる彼に、エドガーが冷たい声で言う。
「フィオ、俺が聞いたのはルルーシャが大丈夫かどうかじゃない。事件に関わることを思い出しそうかどうかだ。クロエが無理だと判断していない以上、再会して日も経たないお前にやめるかどうか判断する権利はない。ルルーシャの心が心配なら、お前が慰めればいいだけだろう。自分がヘタレで踏み出せないだけのくせに、妹のせいにして甘ったれたことを言うな」
「私は別に、ルルーシャのせいになど──!!」
辛辣な物言いに、フィオグラウスの耳と尻尾の毛が逆立ち、瞳孔が怒りで大きく開いた──その時。
「はいはいはいはいはーい、休憩、休憩♪」
フィオグラウスの隣に立っていたもう一人の騎士がパンと大きく両手を打ち鳴らし、明るい声で言った。
「レナート様もエドガー様も、フィオたんに八つ当たりしないで! ほら、フィオたんも二人の挑発に乗らない! 深呼吸、深呼吸♪」
殺伐とした空気を笑顔で打ち切ったのは、大きくうねる太い二本の角を頭に生やした黒山羊の獣人騎士──年長者のイアンだった。
彼はさっぱりとした短い黒髪に、中心だけが黒い金眼。
フィオグラウスと同じく、近衛騎士を示す白の騎士服を着ている。
ひょろりとして、獣人にしては珍しく印象の薄い顔をしている彼は、人好きのする柔和な笑みを浮かべており、エドガーよりも遥かに歳上の四十二歳。
この場の誰よりも腕が立ち、若く血の気の多いレナートやフィオグラウス達の子守り役として、獣人国の国王直々に近衛に抜擢されていた。
「仲良くできないようなら、お仕置きしなきゃいけなくなるけど……いいのかな?」
レナートとフィオグラウスの剣の師範のうちの一人でもあるイアンに笑顔ですごまれ、二人はサッと顔色を変えた。
「フィ……フィオ、俺が悪かった。さっきの会議で、反獣派からアデラとの結婚に難癖をつけられて苛立っていたんだ。すまん」
アデラというのは、レナートの婚約者であるこの国の第三王女。
婚約はすでに交わしているがそれはまだ非公表のもので、同盟が正式に締結し国民に知らせる祝賀会の時に、そのことも併せて発表される予定だ。
レナートは各所との調整や人間の国での暮らしを学ぶため、フィオグラウス達を連れて先に入国し、他数名の近衛と共に城の離宮で暮らしている。
この部屋で四人きりになる前は、多くの貴族と同盟締結後の両国の在り方についての会議を行なっていた。
「いえ、私こそご尽力頂いて今があるのに……申し訳ありません。レナート様がお怒りになるのも当然です。獣人を貶す発言があまりにも酷く、聞くに堪えないものでしたから」
場には反獣派の筆頭であるジャルジュ侯爵がおり、嫌味や牽制、差別用語の嵐だった。
レナートも自分だけが悪意に晒される分には全く気にしない性分なのだが、この日は間接的に婚約者であるアデラまでも遠回しに貶され、積もりに積もった苛立ちが限界に達していたのだ。
「今日は本当に酷かった。なんだあれは。同じ国の貴族だと思いたくもない。完全な面汚しだ」
吐き捨てるように言うエドガーに、イアンがアハハと軽く笑う。
「まあ、本当、驚く程すらすらと出てくるもんですよね。殿下に対して『四つ脚』『家畜』『獣』『毛皮』、家のことを『檻』と言ったり……あと何でしたっけ。『国に住みたいなら牙を全て抜けばいい』でしたっけ。めちゃくちゃ過ぎて笑っちゃいましたよ」
ジャルジュ侯爵は、建国時から続く名門貴族と言えば聞こえばいいが、本人がすでに七十歳も近い高齢であり、一昔も二昔も前の考え方に固執した強硬な保守派のため、エドガーとは特に相性が悪い。
国防長官でありエドガーの上司である親獣派筆頭のグルベア侯爵が、ジャルジュ侯爵とエドガーの痛烈な応酬を止めに入るまでが、毎回のお決まりの流れだった。
「あのタヌキジジイ、本気で潰してやろうか」
「エドガー様、それは狸の獣人に失礼ってものですよ。仲間にされたくないと思います。ほら、フィオたんに謝って、さっさと仲直りして下さい」
未だ不機嫌さを隠しもしないエドガーに、イアンがニコニコと「こちらが仲間割れしてどうするんです」と促す。
「はあ……フィオ、悪かった。お前がルルーシャを大切に思ってくれているのはわかっている。俺も日が迫って焦っていた。許してくれ」
「私も頭に血が昇っていました。すみません」
謝罪を交わしあい、一同がため息を吐く。
「エドガー殿。フィオはもう帰る時間だ。渡すものがあったのでは?」
疲れた表情のレナートに言われ、「そうでしたね」と頷いたエドガーが、上着の内ポケットから封筒を取り出した。
「フィオ、これに目を通しておけ。日時や詳細が書いてある」
「何ですか、これ?」
訝しげに受け取ったフィオグラウスに、エドガーがにこりと綺麗に笑ってみせた。
「少し時期が遅れたが……二ヶ月後、王都の侯爵邸で、親交のある貴族を呼んでルルーシャの成人を祝うパーティーを開く。詳細はそこに書いている。そこでお前を、妹の婚約者として正式に紹介するつもりだ」
「え、二ヶ月後……ですか!?」
驚くフィオグラウスに、エドガーはさらに言った。
「ああ。ダンスの練習はしておいてくれよ。それから──参加はもちろん、耳と尻尾ありだからな」
「そんな、無理ですよ!! まだ特訓も途中なんですよ!?」
「三人からは『そろそろいける』と報告が来ている。一緒の寝室だって許可しているんだぞ? もっとがんばれ。さっさと帰って、平和のために妹と距離を縮めてこい」
「頼んだぞ、フィオ」
「悩むのもほどほどにね、フィオたん」
「そ、そんなお二人まで……!」
焦るフィオグラウスは、そのまま笑顔のイアンに騎士服の後ろ襟を掴まれ、ポイっと部屋から追い出されてしまったのだった。




