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「――あの時は助けていただいたにも関わらず……不快なものを見せてしまって……本当に申し訳ありませんでした」
「いや、そういうんじゃない……不快とかじゃなくて」
頭を下げる私に翡翠さんは珍しく困ったようにそう言うと……。
「げっ!」
本当に不快なものでも見つけたような声が聞こえて、私と翡翠さんはそちらを見た。
「なんでお前がいるんだよ!?」
「……コノエか」
「翡翠さん!」
私に向けていた顰めっ面はどこへやら。一気に顔を輝かせて、彼はまるで子犬のように翡翠さんに駆け寄った。
その可愛らしい顔は、あのリュウくんの弟とは思えないほど清々しくそれでいて、キラキラとしている。
「コノエくん、こんにちは」
「こっち見んな!」
翡翠さんへの態度とは打って変わって。ガルルルッ! と威嚇してくるように睨んでくるコノエくんにおどおどしてしまう。そんな所へ。
「あー、まだ怒ってんの? コノエちゃん」
一部始終を見ていたのか。近づいてきたリュウくんがニヤニヤと笑いながら、身体を屈めてコノエくんの顔を覗き込んだ。
「近づくな! きめえ! 菌がうつる!」
「ちょっと酷いよ~? 実の兄をバイ菌扱いだなんてー」
「お前がふしだらなことばっかしてるからだろ! 気持ち悪い! 吐き気がする!」
「えー、そんな自分はオサゲちゃんとキスしたくせに~」
「なっ!?」
翡翠さんを壁にしてリュウくんを睨んでいたコノエくんは、そう声を上げてかあっと真っ赤になる。
一方、私はさあっと真っ青になって、翡翠さんは「何の話だ?」と首を傾げていた。
そうだ……すっかり忘れていた……。
顔を押さえて、私は『どうしましょう』と心の中で呟く。
「コノエちゃんさぁ、大事な大事なファーストキッスをオサゲちゃんに捧げちゃったの。まだ怒ってるんだよ」
リュウくんが更に笑顔で続ける。その笑顔に、悪意はあるのかないのか。
「ふぁ、ふぁふぁ……」
ファーストキッス!!
唇を震わせて頭を抱え込む私と、コノエくんは「はあ!?」と声を張り上げた。
「なな、何言ってんだよ!? だいったいアレは、く、口じゃなかったしっ……つかなんで、俺が初めてだって知って……!」
「あ、初めてだったの?」
「!?」
鎌をかけたらしい。
彼の兄は、けけけと悪魔のように笑っていた。
「っ、くそリュウ!」
「ご、ごごめんなさい、コノエくん……!」
真っ赤な顔、かつ涙目で。声を荒げるコノエくんに勢いよく頭を下げると、彼は少しびっくりしたように私を見た。
「は、ははは初めてだったなんて……私、知らなくて!」
「っだ、だから! 初めてじゃ……!」
「わ、私も、はは、初めてだったので、えと……その、あの……」
「ばっ、ばっかじゃねえの!? だいたい、なんでてめえも初めてだからって……」
「あれ? 〝も〟?」
ニヤニヤしながら割って入ってくる悪魔ことリュウくん。 「この野郎っ!」と、コノエくんから胸ぐらを掴まれて「やだ怖ぁい」とか言っていた。
そのままリュウくんを殴りそうなコノエくんを、翡翠さんが止める。
「コノエ、何があったんだ。なんかリュウがしたのか」
「ひ、ひすいさん……」
翡翠さんの声にコノエくんの力がすっと抜けたのか、その隙にリュウくんはそそくさと逃げていた。
「ああ、もう! リュウなんて死ねばいいのに! 大っきらいだ!」
私の隣にさりげなく逃げてきたリュウくんに、コノエくんはぽろぽろと涙を流している。
「えっ、な、泣いて……」と不安になると、「大丈夫大丈夫、気にしないで」とリュウくんが笑顔で告げていた。
い、一体、どこが大丈夫なのだろう。
とはいえ確かに、翡翠さんも慣れたようにコノエくんの頭を撫でて、「落ち着け、な」と言っている。
私も何かできないかと思い、ハンカチを取り出して差し出せば。
コノエくんは涙で潤んだ目でこちらをギロッと睨みつけてきた。
「お前はもっと嫌いだっ! 近寄んなドブス!!」
がーん! と。
これまでにないくらいショックを受けて、私はよろけて床に座り込む。
「き、きらい……ドブス……」
なんというダブルパンチ。
そんな私にケラケラ笑いながら、リュウくんは後を追うようにしゃがみ込むと。
「気にしなくていいって。オサゲちゃん可愛いしドブスじゃないよ、ねえ?」
そんな半笑いで言われても、全く信じられない。
「チッ、うるせえなぁ! てめえら静かにしろよ!ハニーちゃんの勇姿が見れねえだ……」
ろ! と言おうとしたのか。
自宅だからか。比較的にラフな格好をした冬馬さんが近くに来て、そして言葉を止めた。
「ハニーちゃん!!」
「っひ……!?」
目が合った途端、私に向かって全力で走ってきて、覆い被さってきた冬馬さん。
あまりの勢いの良さに、声にならない悲鳴を上げる。
リュウくんといえば、そんな超スピードで近づいてきた冬馬さんを、さっと避けていた。案外無慈悲な人だ。
「来たんなら早く言えって! 待ちくたびれたじゃねえか!」
青い顔で震えている私のことなんて、どうだっていいのだろう。
座っている私を、もはや半分ほど押し倒した状態でジリジリと迫ってくる冬馬さん。
とても嬉しそうで、何も言えない。
しゃがみこんでいるリュウくんは頬杖をつきながら「冬馬さん今日も大胆だなぁ」なんて、呑気にその様子を見ていた。
一方その頃。泣き止んだらしいコノエくんに、翡翠さんが「落ち着いたか?」と声をかけているところだった。
「なんだありゃ」
するとふと、その光景を見ていたトラくんが呟き。
「ついていけないわ」
と、紫さんは真顔でそう告げていた。




