《終幕》結婚式のそのあとで
こちらは以前、活動報告に載せたものになります。
修道院を出て近くの村に着いたのは、もう日が沈むという頃合いだった。
幸い小さな宿屋がひとつあり、部屋を借りることができた。ジュスタンはずっと上機嫌で私の世話をかいがいしくしてくれる。
外套を脱がせ埃を払い、靴を脱いだ足をぬるま湯で丁寧に洗う。
その足は王女だったとは思えないほどマメや靴ずれで醜くて、私はジュスタンに見られたくないのに、彼は壊れやすい宝物でも扱うかのような手つきだ。
こそばゆい。
それに……。
ジュスタンの気が済むと、私たちは食堂へ降りてゆき、夕食をいただいた。
長旅で庶民の食事にもだいぶ慣れたせいか、素朴で質素な料理が美味しく感じられる。
そうジュスタンに伝えると、彼は嬉しそうに笑って
「私もですよ。ずっと砂を食べているようでした」
「まあ、あなたも同じだったの。ではこの旅で一番腕の良い料理人がここにいるのね」
ジュスタンはどうでしょうと笑い、給仕をしている女性はそりゃどうもと言った。
そうして楽しく食べていると奥から宿屋の主が顔を出して
「誰か!ちょいと手を貸してくれ。力のあるヤツ!」と叫んだ。
私たちの他に食堂にいるのは、恐らく修道院に向かうふたりのシスターと、酒を飲みに来ている地元民らしき四人の男たち。だけど彼らはへべれけのようで、明らかに戦力外に見えた。
「ジュスタン。行きなさい」
「ですがあなたをひとりにしては」
「問題ないわ。私だってひとりで待つことぐらいできるのよ」
何度かのやり取りののち、ジュスタンは奥に向かった。
「悪いね」と給仕の女性。「食事代、半額にしとくよ」
私は彼女を見上げた。
「ご夫人」
「……それってあたしのことかい!?」
何故か大仰に驚く彼女に向かってうなずく。
「『ご夫人』だって。聞いたかい!」彼女は半分寝ている客をぺしりと叩く。「で、なんだい。追加注文かい」
「教えてほしいことがあるの」
給仕は目をぱちくりさせると、にやりとしてから先ほどまでジュスタンが座っていた椅子に腰かけた。
「なんだい。お嬢さん」
「こちらの主とはご夫婦かしら」
「そうだけど」
安堵する。
「普通の夫婦は、夫が妻の身支度や髪結いをしたり、足を洗ったりするのかしら」
「……しないね」
やっぱり。旅をする中でたくさんの庶民を見た。王女の私とは縁のなかったひとたちだ。そんな彼らの様相が、なんとはなしに自分の中に積もっていたのだろう。
先ほどジュスタンに世話をしてもらいながら、庶民の普通の夫婦はこうではないのではと思ったのだ。
「ご夫人。私は事情があって普通の夫婦というものが分からないわ。教えて下さいな」
「なるほどなるほど」ご夫人は嬉しそうだ。教えることが好きな人のようだ。「見るからにあんたは事情がありそうだもんね。で、あの連れはあんたの夫だよね?」
「ええ」
「結婚はいつしたんだい?」
「夕方」
「夕方!?え、今日の?」
そうだと答えると、ご夫人はあらあらまあまあと、ますます嬉しそうな顔になった。
「いいね、うぶな新婚。なら、祝いにあたしが『普通の妻』がどんなもんかをしっかり教えてやろう」
にわかに真剣になったご夫人があれこれと話してくれる。それを聞きいっていると
「何をしているのですか」と頭上から不機嫌な声が降ってきた。
ジュスタンだ。
「彼女におかしなことを吹き込まないで下さい」
「『普通の妻』を教えてくれって頼まれたんだよ」
「そうよ」
ジュスタンは小さくため息をつくと女性に謝り礼を述べて席を交代した。
「アダルジーザ」とジュスタン。
「これから自分で服の脱ぎ着をするわ。髪も結うの。私はもう王女ではないし、ジュスタンは従者としてそばにいるのではないでしょう」
彼は目を見張ったあとに、だらしがなくにやけた。そんな顔を見るのは初めてだ。彼はいつも愛想がなくて表情は乏しかった。
胸の奥がぽかぽかする。ジュスタンが喜んでくれることが嬉しい。
ジュスタンが手を伸ばし、私の手を握りしめる。
「普通なんて必要ありません。あなたはこれから慣れないことを沢山やらなければならないのです。大変な苦労となるでしょう。だから身の回りのことぐらいは私に甘えてください。私はあなたなの夫ですからね」
『夫』。
なんて良い響きだろう。
お互いに見つめ合って喜びを噛みしめていると、突然テーブルにグラスがふたつ置かれた。なみなみとお酒が入っている。
先ほどの給仕が
「結婚祝いのサービスだよ!」と言う。続いて主が料理の乗った皿をジュスタンの前に置く。
「こっちもサービス。手伝いありがとよ」
へべれけの酔っぱらいたちが、
「そりゃめでたい」
と、それぞれにおめでとうと声を張る。
シスターたちまで私たちの門出のために祈ってくれた。
「あなたが勧めたどんな結婚よりも良い結婚をしたと思うわ」
そう言うとジュスタンはまただらしがなくにやけて、私もそう思いますと答えたあと、なぜか主に
「明日は起こさないでくれ、もう一泊するから」
と頼んだ。
「料理が美味しいから?」
「そうかもしれませんね」
とジュスタンは微笑んだけれど、それは何か企んでいそうな笑みで、これも初めて見る顔だわとドキドキした。
fin.
・解説らしきもの・
宿屋の主がサービスで出した料理は、『ジュスタンの前』というのがポイントなのです。
なお、アダルジーザには強力な番犬がついていたので不埒な輩は近づけず、ゆえに彼女は色恋についても基本知識以外は世間知らずなのです。