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本編

「むぅっ、色々アホだな貴様ら!」


 富豪の屋敷にあるような、豪奢な装飾に囲まれた大広間の一画。

 鍛え抜かれた肉体を、雰囲気に欠片もそぐわない白のTシャツと暗い迷彩色のミリタリーパンツに包んだ身長一九八センチの大男が直球過ぎる感想を口にする。


 ド、グ、シャ、ァッ!

 途端、厳めしい顔で唸る大男の頭頂部にルシフェルの拳が振り下ろされた。当然人知を超えた腕力に耐えきることなど(普通は)不可能であり、大男は顔から床に叩きつけられ、瞬く間に床にひびを入れる。


「お前だけには言われたくないんだけどそこのところどう思う~、鬼塚?」

「ぬ、つまり筋肉というわけか」


 超論理的な返答を口にしながら、床に手をついてルシフェルの腕を後頭部で押し返す大男の名は鬼塚石平(おにづかいしひら)。自らを筋肉と同一視するほど文字通り筋肉馬鹿な馬鹿筋肉だが、何故だか肉体には傷がついていない。その時点でこちらもこちらで十分常軌を逸している。


「あー、世界中の筋肉滅ぼせば自分の発言の愚かさとかわかりますかね?」


 同じくルシフェル側で鬼塚と対峙するアプリコットがそんなことを言った。


「筋肉を滅亡させるだと!?」


 目を見開いてアプリコットを睨み付けた鬼塚(バカ)は、わなわなと目の前で握り拳を震わせ、


「なんと恐ろしいことを考えるのだ、貴様鬼瓦(おにがわら)か!?」

「鬼瓦に酷いヤツの意味はねぇよ」


 不可能な話を真に受けて雄叫びをあげ、背後でアップルパイを切り分け(させられ)ていた金髪金眼の少年にぼそりとツッコミを入れられている。

 少年の名はアルヴァレイ=クリスティアース。ここにいる中でもかなりまともな部類に入る常識人だが、その立場は周囲の理不尽に押されて弱い。尤も、半ば強制でさせられている給仕の真似事に文句ひとつ言わない程度の度量は備えているのだが。

 隅の辺りで悪霊(じんがい)機械(じんがい)筋肉(じんがい)の周囲を巻き込みかねない争いが始まると、三人の普段をよく知る数人がため息をついた。


「アプリコットもやはり難アリなのですよ~。私様(わたしさま)を最初から呼んでさえいれば、そもそも最短ルートでその結論は導かれていたのです~」


 ケラケラとその様子を嘲笑うのは表が紫、裏地が黄色というツートンカラーのマントローブにタンクトップとショートパンツという魔女の仮装のような出で立ちの女の子、に見える人外だ。その名はチェリー=ブライトバーク=鈴音(りんね)

 アプリコットの相棒で、その本質は数多の兵器や物資を貯蔵する巨大格納庫だ。

 その手に携えているのは、およそ似つかわしくない大きさの対物狙撃(アンチマテリアル)ライフルPTRS1941。遠距離からの狙撃でも戦車の装甲を易々と貫き、人に対してはかするだけで肉が消し飛ぶ、そんな馬鹿げた性能を叩き出すほどの銃だ。


「お前には声がかからなかったのなら、その時点で役立たず扱いなのだろう。図に乗るな、そして自覚しろ」

「黒乃姉さん、酷い酷いなのですよぅ? チェリーちゃん、可哀想ですよぅ」

「お前は黙っていろ、影乃」


 ワイングラスを片手に歯に衣着せぬ物言いをするのは宵闇黒乃。その隣にいるのは黒乃の双子の妹、闇桜影乃だ。

 腰の辺りまで伸ばした黒髪に漆黒の瞳、精緻な顔立ちは二人ともそっくりだが、黒のカジュアルスーツに細身を包み硬派な印象を与える黒乃に対し、フリル付きのゴシックドレスと間延びした口調が影乃には柔和な印象を与える。つり目とたれ目もかなり大きな違いのひとつだろう。

 二人とも共に人ではない。呪われた妖刀が人の姿と人格を得た存在だ。


「い、いきなり口を挟むななのです~! お前に役立たず呼ばわりされる筋合いはないのですよ、この無能上司!」


 チェリーが慌てたように言い返す。

 しかし困ったように笑む影乃をよそに、黒乃はこめかみを引き攣らせながらチェリーに詰め寄った。


「貴様、相変わらず上司への態度が教育不足だな、チェリー」

「鈴音様と呼ぶがよいのです~♪」


 チェリーの両肩が蓋のように開き、体内から軍用短機関銃UZI(ウージー)が一丁ずつガシャンッとせり上がってくる。


「今さら私にパラべラム弾程度のダメージが通るか、愚か者」

「お前に傷がつかずともお前を裸に剥く程度ならパラべラムでも十分なのです~」

「なるほど、やる気というわけかそれなら――」

「まぁまぁお二人さん」

「「ッ……!?」」


 何の気配もなく至近距離で響いた声に、チェリーと黒乃は戦慄した。


「折角のクリスマスパーティをしょうもない理由で滅茶滅茶にしたらあかんでー」


 聞こえてきた関西弁と共に二人の肩に腕を回すように間に割って入ったのは、薄黄色の着物を着た女性だ。一七○センチ超の身長と金髪ポニーテールが相俟って格好いい印象を受けるが、実際の彼女は普段から飄々として掴みどころのない人物である。

 とはいえ彼女の背後に立っている人物の方は別の意味で厄介なのだが。


「今日一日くらい……ゆうても残り数時間やけどな。少しは仲ようできひんの?」

「こんな化け刀と仲良くなどできるわけはないのです~!」

「せやから挑発はやめ」

「黙れ、廃倉庫!」

「いや、せやからこないな見え見えの挑発に乗ることあらへんて」

「は、廃倉庫とは何なのですか~っ! これでも機能だけなら最先端のアプリコットにも負けずとも劣らずなので――」


 一触即発で睨み合うチェリーと黒乃の間に立つスリーカーズは苦笑すると、二人の肩に回していた腕をわずかにずらし、


「【相双極打(そうそうきょくだ)】」


 両腕を二人の後頭部にあてがい、スキル(アーツ)を発動した。

 ガツンッ!

 二人の額がぶつかり合う激しい打撃音に周囲にいた数人が振り向く。


「あぅ……」

「な……」


 挟み込まれるように頭部を強打した二人は、額に手を添えながらその場に崩れ落ちる。その犯人であるスリーカーズは涼しげな顔でそんな二人を見下ろし、


「ええ加減頭冷えたやろ?」


 くっくと笑いながら、周囲に手を振って余裕を見せる。


「に、人間の分際で――」


 ガッ!


「ッ!」


 一人未だ反発する残念な性格のチェリーの目の前の床に、スリーカーズの擁する双剣の片割れが突き刺さった。


「頭、冷えてへん?」


 白々しく惚けながらにこりと笑いかけるスリーカーズにチェリーの顔が凍りつく。


「その様子やと冷えたみたいやな。ほなウチはこの辺で退散しよか♪ アンダーヒル、行くで」

「申し訳ありません、スリーカーズ。少し用ができました」


 古びてボロボロになった一枚布の黒いローブと手足を覆う黒い包帯と、これまた異様な出で立ちである。顔にも同じ黒い包帯がぐるぐると巻き付き、実質的に露出しているのは艶やかな黒髪と同じ色の左目ぐらいだ。

 彼女の名はアンダーヒル。本名を坂下(さかした)結羽(ゆう)と言うが、アンダーヒルの名を名乗る時は、知る人ぞ知る情報家の一面を持つ少女である。


「用……確かに用やなぁ♪ 了解(りょーかい)、うまくやるんやでー」


 早々と目を覚まし、呻きながら起き上がろうとするチェリーと黒乃に背を向け、歓談する別の輪に堂々入っていく。


「何か勘違いをされているような気がするのですが……」


 無感情な視線をその背中に向けて呟くアンダーヒルは小さく吐息を漏らして、チェリーと黒乃の二人に向き直る。

 その間、二人の同僚であり黒乃の妹でもあるはずの影乃は、ニコニコと笑みを浮かべたままその様子をずっと眺めている。時折「チェリーちゃん、やっぱり可愛いよぅ……」とブツブツ呟いているのは頭のネジを何処かに置いてきたからだろうか。


「頭に怪我などしていませんか?」

「多少痛みの余韻は残るが、私と月乃にあの程度の衝撃で怪我はありえん」

「私もそれに関しては大丈夫ですが~」


 ガシャンッ!

 大男ですら普通なら肩に担いで運ばなければならず、使う時は両手でしか扱えないほど重い対物狙撃ライフルPTRS1941。

 チェリーはあろうことかそれを片手で軽々構え、何の躊躇いもなくアンダーヒルの頭に突き付けた。


「この私様に人間の分際で乱暴を働くなど、許されることではないのです~」


 ガァンッ!

 部屋中に響く殺傷兵器の雄叫びとも言える轟音に、鬼塚・ルシフェル・アプリコットの争いからパフォーマンスに変わりつつ繰り広げられていた肉弾戦も中断した。


「何故私に報復の目が向けられたのかはわかりませんが――」

「マァ、落ち着いてヨ、人外。仲良くシヨウゼ、人外同士」


 アンダーヒルの【コヴロフ】、つまり同じく対物狙撃ライフルKSVKの零距離射撃によって破壊されたPTRS1941の残片が、バラバラとカーペットの上に落ちる。

 そしてそれを呆然と眺めるチェリーの両手足はアンダーヒルの所有する召喚獣(NPC)盲目にして無貌のもの(ニャルラトホテプ)”の触手に絡め取られ、足がつかない程度に持ち上げられていた。頭のツインテールと両腕、計四本の触手である。


「何もしないと確約するならすぐに解放しますが、いかがしますか?」

「くすくすくす~。手足を封じたくらいでいい気になるななのです~」


 ガチャンッと音がして、チェリーの肩甲骨の辺りが大きく開き、中からロボットアームが飛び出してくる。その先に連結しているのは――――戦争用の汎用機関銃(マシンガン)M60だった。

 周囲が凍りついた――途端のことだ。


「「天雷人(ギガボルト)能力(スキル)閃脚万雷クロスレンジ・ファントム】!」」


 蒼雷と紅雷、一対の残像が駆けた。

 一拍遅れてPTRS1941と同じく砕け散ったロボットアームとM60の破片がカーペットの上に散らばった。

 姉妹共に雷人系種族を選んだ巨鎚使い(ギガントメイサー)、妹のスペルビアと姉のイネルティアである。

 黒髪と白髪の違いや、スペルビアは特徴的な稲妻型のタトゥーを左頬に入れているが、イネルティアは右頬に入れていたりと一部の差違はあるものの、素体(アバター)自体はよく似ている。しかしその性格は大きく違っている。

 スペルビアは一部から眠り姫と呼ばれるほど一日の多くを眠りながら過ごし、元々は金髪だった髪を『寝る時に眩しいから』という理由で黒に染め直すほど眠るのが好きで、加えて戦闘能力以外のことに関しては拙くむしろ幼い。一方イネルティアは事務処理に長け、基本的に他者には丁寧な受け答えを返し、大概の作業はそつなくこなす。


「めりーくりすます」


 そしてスペルビアは空気を読まない。おそらく言わなきゃいけないと誰かに教えられていたのだろう。横文字の発音も怪しいところがあるのだが。


「アンタもそろそろいい加減にしておきなさいよ、チェリー。こんなとこでスクラップにされたくないでしょ?」


 そう言って前に出たのは、二組の騒乱にため息をついていた内の一人、衣笠(きぬがさ)紙縒(こより)だ。


「お前に言われずとももうこんな低レベルの戦力と全面戦争(アレスクリーク)をする気は起きないのです~。片腹痛いとはこのことなのです~」

「減らず口は後で聞いてあげるから、隅で大人しくしてなさい」


 アンダーヒルの目配せでニャルラトホテプが触手を解くと、チェリーは衆目を浴びながらケラケラと笑い、人の少ない壁際の方へ歩いていった。


「アンダーヒル……だっけ? チェリーのことはあまり気にしない方がいいわ」

「ありがとうございます、衣笠紙縒。ところでそちら(ヽヽヽ)の方々は皆あのような感じなのですか?」

「皆じゃないわよ。アル君みたいにまともな人もいるにはいるのよ。確かに化け物じみたパワーを適当な理由で振りかざす奇人変人が多いのは事実だけど。その意味ではそっちはまだ楽そうね」


 そう言って茶がかった黒髪を払う仕草は何処かその優れた容姿を見せつけているようにも見える。しかしそれ以上に目を引くのは着ているレモン色のパーティドレスの陰、傍らに携えられた柄のついた大きな金属塊。鋼色の光沢を放つそれは、無骨な作りの戦闘用金属鎚バトル・アイアンメイスだった。今更ながらこの場に見合うものではない。


「……紙縒だってその内の一人じゃないか……」


 紙縒の隣でぼそりとそう呟いているのは紙縒の幼馴染みの狗坂(くさか)康平(こうへい)。線の細い中性的な容姿だが、普段(紙縒が主な原因で)厳しい環境に置かれることが多いせいか、ある程度引き締まった身体をしている。


「康平、何か言った?」

「あははっ……。何でもないよ……」


 まるで決まりごとのように、即座に笑顔による威圧支配オーバーウェルミング・スマイルに屈した康平は、紙縒からわずかに目を逸らして乾いた笑いを漏らす。


「康平、ついでにアル君からアップルパイ貰ってきて」

「何のついでなのさ……」


 一応ツッコミ混じりの文句を言いつつも、手近なテーブルに重ねておいてある小皿を手に、アルヴァレイの元へ向かう康平。

 途中で同じく小皿を手にするシイナ(こと九条椎名)と合流し、親近感からか二人してため息をついている。昨今の男性陣の立場が女性陣に比べて低めなのは、どの世界に於いても概ね同じなのかもしれない。

 とは言え康平とは異なり今のシイナこと九条椎名の容姿は、とある理由から女性のそれになってしまっているのだが。


「刹那さん、どうかしたの?」


 シイナの来た方向をそっと振り返り、康平はシイナにそう訊ねる。

 その視線の先には、腕組みをして椅子に腰掛け、口元を引き攣らせている金髪の短剣使い、刹那の姿がある。


「二人の話の空気に合わないんじゃないかな……、と思ってるけど」


 どうやら目の前で繰り広げられているネアとシャルルの可愛いもの(ただし一般的な基準から少しズレている)談義の名を借りたローテンポゆるゆるトークが気に障って仕方がないらしい。

 ネア(こと水橋苗)とシャルル(ことシャルロット=D=グラーフアイゼン)は二人とも少し、いやかなりボケたところがあるため、それが集まれば刹那には空気が合わないということらしい。


「あるいは俺がいないからだな」

「シイナくんがいないと刹那さんは機嫌が悪くなるの?」


 康平が思ったことを何の疑問も抱かずに口にすると、通りかかったと言うよりは明らかに待っていたというような調子で目を光らせた二人、リュウとシンが、シイナと康平の肩を掴んで引き止めた。


「はっはっは、面白い話をしているな、シイナ」

「シイナがいない時、刹那が不機嫌なのはホントだよ。何故かあたられるのはリュウじゃなくて僕ばかりだけどさぁ」

「お前ら、なんかテンションおかしいぞ……? 麻酔酒の水割り(クレイドルシードル)でも飲んだか?」


 筋肉質の巨躯をなんとかタキシードの中に詰め込んだような強面の男がリュウ(こと久我島(くがしま)(りょう))。逆にタキシード姿をすっきりと着こなしているのに、ポリシーなのか大刀と太刀二本の刀を腰に差した妙な服装の侍顔がシン(こと八坂笠也(やさかかさや))だ。

 怪訝な顔を悪友二人に向けるシイナに対し、康平は困惑の表情ながらも成り行きを見守っている。ちなみにチラチラと後ろを気にしているのはアップルパイ待ちの紙縒の機嫌測定のためだ。


「いやいや、これでも未成年なんでな」

「酒を飲んだりはしてないさ」


 どうやらこの質問は想定済みだったらしく、示し合わせたようにリュウからシンへと台詞が繋がる。


「シイナがいないと不機嫌になる理由が何か知ってるか、狗坂よ」


 リュウが突然康平に話を振った。


「ちなみに本人は『ツッコミ不在だと私がツッコミ入れなきゃいけないじゃない!』って言ってるけどあれは嘘だよ」

「おい、ちょっと待て。俺=ツッコミって認識はどういうモガ」


 シンに口を塞がれ、もがくシイナ。

 当然、普段の彼らの実情を知らない康平は、二人の想定通りに首を横に振り、


「僕には予想もつかないよ。どういう理由なの?」


 さらにそう返す。こういう時、台詞が無意識の内に相手を立てるような言い方になってしまうのは、性格以外が完璧超人の紙縒と幼馴染みの関係であることが大きい。


「わかれば簡単なことなんだがな、シイナは神がかり的に気づいていない」


 リュウが含み笑いを重ねてそう言うが、シイナは首を傾げるばかりだ。


「むしろちょうどいい日だと思うぞ。実は刹那はな、「私が何?」のことが、ッ!?」


 唐突にリュウとシンの背後に現れた刹那が、にこにこと笑いながら二人の肩に手を乗せた。当然、その口元の笑みは喜びや嬉しさとは別の感情を示している。

 そしてその刹那の表情が少しずつ変化を見せ始める。

 二人には背後の刹那の表情は見えていないはずなのだが、ほぼ同じタイミングでリュウとシンの表情も変化した。

 元々の顔が相俟ってシンの顔はまるで切腹を決めた武士(もののふ)の顔だ。

 対するリュウは真顔に冷や汗、まるで狩りの直前の緊張に縛られた歴戦のハンターのようだった。


「ちょろっとこっち来てくれるわよね?」

「「こっちが」」


 互いに互いを指差したリュウとシンの二人は驚愕の表情で互いを睨み合う。


「「これはあれか」」


 二人は神妙な顔でそう言うと、


「「シイナ、お前に任せた」」


 左右に別れて全力逃走を開始する。

 しかし、シイナと逃げる二人の予想に反し、刹那は追いかけようとしない。

 腕組みをしたまま、二人の背中に詰るような視線を向けるだけだった。


「追いかけなくていいのか?」


 怒りが自分の方に向かないよう、という目論見もあってシイナが刹那に声をかける。


「もう怒るのもバカらしいし……」

「普段からそうしてくれ……」

「何か言ったかな、この口は」

「なんで俺には怒るんだよ!」

「持ってきてっていったものも持ってこれないんだからバカに決まってるでしょ」

「罵倒と理由の間に脈絡がないだろ……」


 床に膝をつき、まさに失意体前屈の体勢になったシイナ。康平はそれを見て思わず自分と紙縒の普段を重ねていた。


「康平、まだー?」

「い、今持ってくよっ」


 投げ掛けられた紙縒の声に康平は慌てた様子でその場を離れていく。


「ってシイナ! もう一つしかないじゃない!?」

「は?」


 もちろんアップルパイの残数のことだ。


「シイナ、早く取ってきて」

「いや、それならあげればいいんじゃないのか……? お前さっき理音(リオン)の作ったプディングと射音(シャオン)の作ったケーキをあんなに……」

「シイナ、何か言った?」

「いや、何も……。でも見てる限り紙縒はお前ほど食べてはいな――」

「なんで会ったばかりの紙縒を呼び捨てにしてるのよ! しかも見てるって何!? 紙縒に興味でもあるの!?」

「いや、お前も呼び捨てに…………ではなく、今のは間違えただけでございます」


 途中で殺気を感じたシイナの言葉が馬鹿丁寧な口調に変わり、再び失意体前屈、ではなくその先、土下座の体勢に移行する。そのプロセスが慣れた調子なのは本人にとっては不本意以外の何物でもない。


 その頃、妖艶な雰囲気を纏う着物姿の妙齢の女性、薬師寺丸(やくしじまる)薬袋(みない)は同じくルシフェルが作り出した別空間“遊庭”で、年下たちの監督役を引き受けていた。

 ただし、本人も“前は見えていない”と豪語する目隠し布の存在からか、もう一人補佐が付けられているが。


「薬袋さん薬袋さん、お姉さんの手錠(コレ)外してくれないかしら?」


 背後のベンチから声をかけてくるのは、何故か両手を拘束されたドナドナ(こと百々目木(どどめき)七々(なな))だ。一番はっきり言ってしまえば彼女は可愛い女の子に目のない百合乙女(レズビアン)である。

 また誰に対しても「お姉さん」という一人称を用いるドナドナだが、外見年齢・実年齢・精神年齢共にどう見ても彼女より上の薬袋に対してもその姿勢は崩れていない。

 薬袋はその豊満な胸を支えるように腕組みし、ドナドナの方に向き直る。


「うちは別に外してもええねんけどなぁ……。たぶんこっちのお人が許さへんえ?」


 薬袋が指差したのはドナドナの隣に座るリィラ=テイルスティング。赤毛に凛とした雰囲気を纏った女騎士である。ただし今は酔いが回り、若干普段とは別の雰囲気を漂わせているが。


「当然だ。アルヴァレイとあのシイナとかいうヤツから厳命されているからな」

「でもこれは生殺しというのじゃないかしら……」


 この世の絶望かとばかりに項垂れるドナドナをよそに、薬袋とワインを酌み交わすリィラ。ドナドナは二重の意味の生殺しに合い、さらに視線が落ちていく。

 彼女はこの夜会(とは言え、シャルルの事情を鑑みて暗くとも夜ではないのだが)に呼ばれるなり、普段は会うことどころか関わることすらできない美少女たちを見て、文字通り暴走したのだ。当然野放しにできない獣は取り押さえられ、今に至るわけである。暴走癖を除けばそれなりの人格者であることが、手枷で済んでいる大きな理由だろう。

 ちなみに彼女の真の意味での同志(つまり百合乙女と言うことだが)であるいちごタルト(こと葉山(はやま)菜乃(なの))は、ドナドナとの“絡み”が鬱陶しい(に加えて青少年の精神的な成長に以下略)という理由から、リィラに酒を飲まされて酔い潰されている。未成年にアルコールを薦めること自体が既に問題行動以外の何物でもないのだが、周囲への影響の方が大変なものである。


「無邪気な子らは可愛ええわぁ。抱きしめてあげとうなるさかい」


 ふふ、と含むような笑みを紅の口元に浮かべる薬袋はグラスをリィラに預け、黒い大鹿(ベルンヴァーユ)のルーナと戯れる四人に近づいていく。

 ベルンヴァーユは俊足の大角鹿だ。

 頭には黒く艶めく二本の美しい角、三メートル超の大きさの割に細身でしなやかなその体躯は宝石のような輝きを放つ黒い毛並みに覆われている。全身黒ずくめの中、目の後ろだけ流血のように広がる赤色の毛がよく目立つ。


「あんまり無茶したらあかんえ? ベルンヴァーユは本来気に入った人以外には身体を触られるのを嫌がる生き物やさかい」

「何!? そうなのか?」

「あぶなー!」


 思わず2人ほどがぱっと手を放す。

 ベルンヴァーユのことを知らないリコと詩音だ。同じく知らないのに手を放さず、怖々としつつも撫で続けるアルトの豪胆さも恐ろしいものがあるが。

 そもそも身体が人工体でアンドロイドのリコはベルンヴァーユの角でも大した手傷は負わないだろうが、一応生身の詩音ではそうもいかない。とはいえどちらも“本体”ではないのだが。

 ちなみに詩音は比較的装飾の少ない赤のパーティドレス姿だが、アルトは普段通り、白黒の特殊な形状の忍者装束だ。


 くるるるるっ。

 ルーナが大きさに似合わない声で鳴く。

 そして――シュー……。

 気体の抜けるような音がして、ルーナの身体が瞬く間に作り変わってゆく。

 黒々と艶めく毛皮は瞬く間に消えてゆき、真っ白な人肌に変わってゆく。逆に鬣が長く伸びて艶やかな黒髪に変わる。身体もみるみるうちに小さくなり、大きな角も綺麗に引っ込んで――――後には可憐な少女が残った。ただし裸の。


「えっと……あの……」


 唖然とするリコ・詩音・アルトの前で、恥ずかしがる様子も見せない人型形態のルーナは指をつんつんと突き合わせると、


「大丈夫です……。その……皆さんに触られるの、嫌じゃありませんから……」

「いきなり変わったらダメだってば、ルーナちゃん!」


 ヴィルアリアが慌てた様子でそう叫び、屋内に入っていく。動物のベルンヴァーユの姿が通常のルーナにとって、服を着ていないのは普通であり、それを恥ずかしく思う意識は未だ生まれていないのだ。

 ちなみにこの場に男性の目があったなら、間違いなく瞼の上から容赦なく叩かれ、暫くの間マトモに光を得ることはできなくなっていただろう。今回の場合、特殊な例としてドナドナが薬袋の手でそっと目隠しをさせられているのだが、目潰しでないだけかなり幸福と言えるだろう。

 その時、目の前の光景に呆然としていた三人がようやく我に返る。


「スゴーッ!」


 と目をキラキラさせて喜ぶ詩音。


「もう何でもアリかよ、そっちの連中……。チートくせーなぁ……」


 と少し引き気味ながらも崩れた正座のように座り込み、振り返るように見上げてくるルーナの頭に手を伸ばすアルト。

 リコはリコで屋内に繋がっている扉をチラチラと気にしている。


 バタンッ。

 激しい音と共に開かれた扉の向こうから、ルーナ用のローブを携えたヴィルアリアが二人連れて戻ってきた。一緒に来たのはルーナの家族であるシャルルと、ルシフェルと身体を共有する別人格のヘカテー=ユ・レヴァンスだ。

 白銀色の髪が風になびき、キラキラと光塵を瞬かせる。同じ身体を共有する彼女たちだが、人格によってそれぞれ別の姿形を持っているのだ。


「ルーナちゃん、人前でいきなり変わったらダメだって言ってるでしょう?」

「ヘカテーさん、それさっき私が言っちゃいました……」


 ルーナに頭からローブを被せ、せっせと着せるヴィルアリアが気まずそうに言う。


「男の人がいなくてよかったです」

「シャルルちゃん、家族だからってそれは甘過ぎですよ?」

「あぅ……」


 ズレた言動はいつものことだが、ただひとりルーナに対しては常に甘々なシャルルは、ヘカテーにジト目を向けられて項垂れ、落ちそうになった帽子をさっと押さえる。

 その時、きぃと扉が開いた。


「おーぃ――」


 外に出てきたのはアルヴァレイだったのだが、まだ着付けを終えていない半裸状態のルーナを見た瞬間、ヘカテーが皆まで言わせず手近な小石をその眉間に投げつけた。

 的確に直撃した小石はアルヴァレイを思いっきり後ろに引っくり返し、一瞬だけその意識を奪う。


「はァッ……はァッ……。アリアちゃん、終わった?」


 息を荒立たせるヘカテーが振り返ると、ローブを着せてもらい前も閉めてもらったルーナは立ち上がって、具合を確かめるように身体を眺める。ローブの下は完全に裸なのだが、人型になるのと同じぐらい躊躇いなく鹿の形に戻ってしまう彼女は、同時に着ているものをダメにしてしまうのだ。


「っつー……」


 息を吹き返したアルヴァレイが再び起き上がってくる。「またか……」と呟いていることからも、これが日常茶飯事であることは容易にわかる。


「ちなみに悪いのは私たちじゃなくて学習しないお兄ちゃんだからね?」


 定型文の如くヴィルアリアの口から飛び出る台詞をいつも通りに聞き流し、アルヴァレイは完全防備のルーナの元に歩み寄る。その額は赤くなっていて、後で間違いなくたんこぶになるだろう。


「それでどうかしたんですか、アルヴァレイさん?」


 人の心が読めるくせに白々しい笑顔でそう訊ねるヘカテーに、アルヴァレイはため息をつくと、


「アプリコットが全員集めろって」

「それでパシられたんですか?」

「はぁ……」


 ヘカテーはくすりと微笑むと、「わかりました」と呟いて、手を差し出してルーナが立ち上がるのを助ける。


「ナニナニ、何かやるの?」

「お前、初対面の相手にタメ口聞くのやめろって言ってんだろうが」

「え~、アルトの意地悪~! 別にいいじゃんさー。で、どしたのアルヴァレイさん!」

「え、あ、あぁ……何かやるっていうか……何かいるっていうか……」


 そう言うアルヴァレイの声は少し沈んだ調子だった。


 大広間――


「「「虚無鯨(ヴァニティエール)?」」」


 中心に円状に並んだ人混みの中、疑問の声があちこちから飛ぶ。


「諸空間の外にある無の空間に生息する外理性の生物でしてね。群れで行動し、世界の種とか小さな空間を見付けては寄って(たか)って貪り喰らう薄気味悪い連中なんですよ。ぶっちゃけチートですがね」

「それがここの外に来てるって話なのよ」

「ちょっ……、紙縒ん説明ぐらいぜんぶさせてくれてもいいんじゃないんですかね!?」

「急ピッチでルシフェルが二世界と超世界間召喚魔法回路で繋いでるんだが、それでも二十分はかかるらしい。その間時間稼ぎをしなければならない」


 黒乃が紙縒に続いて説明を引き継ぐと、アプリコットは何かのこだわりがあったのか瞬く間にその場に崩れ落ちる。変に解説役に拘る癖があるのだ。


「そのような存在を知っていたのなら、先に対策を打てたのではありませんか?」

「せやなぁ。ゆうてもウチらには何のことかさっぱりやねんけどな」


 アンダーヒルの鋭い指摘に、スリーカーズのフォロー(?)も空しくアプリコットはズシャァッと崩れ落ちた。変に演技過剰な気もするが、要するにツッコまれたくなかったところなのだろう。


「一応あったにはあったんですよ……。囮みたいなもんですが、弾けた時に中に詰めた大質量のエネルギーが爆発するいわゆる機雷空間(マインフィールド)っつーオーバーテクノロジーの産物をいくつか用意してたんですが、でかいやつが一匹来てまして、弾ける前に丸ごと飲み込んじまったんですよ」


「はっきりしろ。それでどうすればいいんだ?」

「アルト、蚊帳の外だからってカリカリしすぎだよ~?」

詩音(バカ)は黙ってろ」

「酷ッ!?」


 詩音がふらふらとアルトを離れ、スペルビアとルーナの二大癒しのほうに吸い寄せられていく。


「具体的にはこの虚無鯨(ヴァニティエール)とドンパチやらかして下さいっつー話なんですけどね。そのための戦力はこちらには腐るほど余ってるので。ぶっちゃけ何人かは腐ってますが」


 そう言いつつ黒乃とチェリーを堂々指し示すアプリコットに二人の睨みが返される。


「ボクとルシフェルは手が放せません。後の戦力で何とかして下さいっつーことですが、正直多分まともに通用するのはチェリーさんの中に格納してある兵器ぐらいでしょうね。皆さんもあんな性格から何から腐ったようなチェリーさんの兵器なんざ使うの嫌でしょうが、仲良く頑張ってくださいね~」


 アプリコットが何か喋る度にチェリーから漂う険悪なムードが悪化していく。


「それじゃあ虚無鯨(ヴァニティエール)のソロ狩り経験のあるチェリーさんを中心に迅速に動いてくださいね。よろしくお願いしま……そんなに怖い顔してどうしたんですか、チェリーさん?」

虚無鯨(ヴァニティエール)の次はお前なのですよ、アプリコット~」

「あは、その怒りを向こうにぶつけて下さいよ、チェリーさん。ついでに遊庭に少し趣向を凝らしましたので、それも楽しんでくださいね」


 そう言われて、遊庭に来てみると――


「あれが虚無鯨(ヴァニティエール)か……」


 リィラの低い声が聞こえる。その視線の先にあるのは、真っ暗な空間にぼんやりと浮かび上がる半透明の薄白い何かだった。確かに鯨のように見えなくも無いが、尾鰭の形すらない柔らかに型崩れした円筒状のそれは最早別物だ。それが大小群れを成して泳ぎ回っている。


「空間の外枠に近づくと空間ごと食われるので注意するのですよ~。特に既にのこのこ食べられに行っているそこの筋肉ダルマを誰か止めるのです~」

「ぬ、何だ貴様ら放せ! 俺とっ、この俺の筋肉がっ、連中を――」


 めり。

 驚くほど静かに響いた音と共にリィラの拳が鬼塚の腹に食い込み、その場で撃沈させる。


「面倒だから、筋肉(アレ)系の言葉を口にするな。このバカは起きるぞ」

「それでは最高最大の兵器格納庫(アームズハンガー)である私様が虚無鯨(ヴァニティエール)討伐に兵器を提供してやるのですからして~、付して歓喜しろなのですよ~」

「調子に乗ると連中に食わせるぞ、チェリー」

鈴音(りんね)様と呼ぶがよいのです~。くっふっふ~、とくとご覧じろ」


 次の瞬間、チェリーのローブの下から巨大な砲口が二門姿を現した。


漆黒暗器(ブラックアトラクター)参型“王門”」


 普段より低い声でそう言ったチェリーの言葉に反応するように砲筒がどんどんせり出し、瞬く間に遊庭に大きな砲門が二門出現する。

 そして両肩がハッチのように開き、中から長方形の砲口が飛び出してくる。


漆黒暗器(ブラックアトラクター)拾型“電荷の砲筒(レールガン)”」


 同じく巨大な砲身と脚部を持つレールガン二門が遊庭に据えられる。


「腕力の足りない連中はこれを動かして戦うとよいのです~。実弾は私の内部からオンラインで供給されるので問題ないですからして~、撃てば結構トリガーハッピーなのです~」


 ケラケラと笑ったチェリーは、次にカシュッという気体の抜けるような音と共に、両腕が目にも止まらぬ速さでチェリーの内部に仕舞われ、逆に巨大な何かが現れた。


漆黒暗器(ブラックアトラクター)弐型“無現”」


 無数に展開された枝状のアームに大量のロケット砲が並べられている。


「手動操作はこれが一番強力で効果が高いのです~。操作も構えてロックして撃つだけシンプル~、馬鹿でかい敵にはあたらない方がおかしいのです~」


 再びケラケラ笑ったチェリーは大量のロケット砲を地面に振り落とすと、元通りの腕を生やす。その手には二丁の巨大な銃が握られていた。

 ちなみにチェリーが機械であり格納庫であることを改めて思い知らされた半数以上の面々は唖然としながらも各々地面に落ちたロケット砲を手に取る。


「っつーか、シイナ」

「呼び捨てにするなってのアルト……。何だ?」

「あたしたちはどうしていっつもこんな展開になるんだ?」


 思わず笑みが浮かぶほど可笑しいらしく、アルトは落ちているロケット砲を取り上げて笑う。


「開戦なのですからして~とっとと沈むがよいのです~♪」


 チェリーのかけ声を合図に“王門”二門が火を噴いた。

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