84.愛は永遠に その4
スピーカーを見上げながらじっと放送を聞いていた広海が凛香の隣に立ち、そして神妙な面持ちで言った。
「みんな、すまない。ちょっと行ってくる。この用が終わったら、必ずここに戻って来るから。では」 と。
広海が凛香に行くぞと耳打ちすると同時に教室から二人そろって脱兎のごとく逃げ出す。
生徒たちが引き止める隙すら与えず、廊下を歩く人の波をかき分け、体育館に向かってただひたすら歩みを急いだ。
「えっ? 誰?」
「何だよ、今の二人……」
「うわーーっ! 今から結婚式でもあるのかな」
「あれ? 凛香ちゃんじゃない? いったいどうしたの?」
「誰、誰、誰? つ、鶴本先生? んなわけないだろ。……いや、そうか?」
「何だよ、あのでっかいドレスの女。あれ、絶対男だ。男が二人だ。ところで、誰?」
道行く人が皆立ち止まり、疾風のごとく駆け抜けるタキシード姿の凛香とウェディングドレス姿の広海を目で追う。
挙句、ポカンと口を開け、茫然自失の様相で、走り去る二人を見ているのだ。
けれど、彼らの疑問に答えている時間はない。生徒や保護者の奇異の目を全身にあびながら、凛香は広海と共に一目散に体育館を目指した。
「おーい! そこにいるのは誰だ! 体育館の入場は表側に回れ!」
佐々木が体育館の裏扉の前で、凛香と広海に向かって叫んだ。
「こらーーっ! こちらの入り口は関係者以外立ち入り禁止だ。そこの黒い服とドレスの二人! 向こう側に回れ! 来るな、こっちへ来るな!」
体育館裏手の斜面を駆け上がっていく凛香と広海に向かって、佐々木がますます声を張り上げ、向こうに行けと腕を振り回した。
どうやら佐々木は二人が誰であるのか認識していないようだ。凛香は負けずに大声で答えた。
「佐々木先生! 私です。鷺野です!」
「鶴、本、です、ハッ、ハッ、ハッ……」
広海も凛香に続いて名乗ったが、息が切れて自慢のテナーボイスが台無しだ。
「な、な、なんだって? 鷺野、先生? それに、鶴本先生なのか?」
やっと上までたどりついた二人を見て、あまりにも普段とかけ離れた姿に驚いた佐々木は、目を丸くして突っ立っている。
そして目の前に現れた変てこりんな二人を足先から頭のてっぺんまで凝視した挙句、声を荒らげた。
「いったい、どういうことだよ! なかなか来ないから心配していたんだ。何やってるのかと思えば、二人そろってそんな変な格好して……」
「すみません。生徒にどうしてもと言われて、こんなことになってしまいました」
凛香は手短にこうなった経緯を説明して、ぺこりと頭を下げた。
「本当に……ハッ、ハッ、ハッ……すみませんでした……フゥ、フゥ、フゥ……」
凛香に続いて謝った広海だったが、足にまとわりつくドレスの裾を持ち、おまけにサイズの合わないパンプスを履いて体育館への最短距離である雑草の生い茂る斜面を全速力でよじ登って来たので、今にも倒れそうなほど呼吸が乱れていた。
ふらつく足取りの広海を支えるため、いつの間にか彼と手をつないでいた凛香は、佐々木のあきれたような、いたずらっぽい視線を感じて、慌ててその手を離した。
「おやおや、仲がよろしいことで。まあ、どうであれ、間に合ってよかったよ」
なぜかいつも、広海と親密なところを佐々木に目撃されてしまう。凛香は恥ずかしさの余り、顔から火が出そうだった。
「佐々木先生、本当に申し訳ありませんでした。生徒に捉まってしまって、身動きが取れなくなって。挙句、こんな格好までさせられて……」
ようやく呼吸も落ち着き平静を取り戻した広海が、遅れた理由を佐々木に伝えようと試みるのだが。
「鶴本先生、言い訳は後で聞くよ。それより早く、急いで。他のメンバーはみんな準備完了だよ。肝心の君たちが遅いから、どうしようかと、内心焦りまくりだ。ああ、心臓に悪いよ、まったく!」
ジーンズにタータンチェックのシャツを羽織った、いかにも七十年代のフォークグループっぽい衣装を着た佐々木が、早く早くと二人を追い立てる。
にしても、凛香が着用しているタキシード。早く着替えなければ、ステージに上がることは不可能だ。広海にしても、ウエディングドレスのままでは演奏もままならない。
せっかく生徒達がメイクまで施して花嫁スタイルを作り上げてくれたのだが、それもここまでだ。
「あ、あのう、佐々木先生。私達の着替えは、舞台裏にありますよね?」
凛香は、今朝学校に着いてすぐに準備室にセットした、衣装の入った大きな袋の存在を思い浮かべる。佐々木がそれを舞台裏の控え室に運び、そこで着替える手はずになっていた。
なのに……。
「何言ってるんだよ、鷺野先生。もちろん予定どおり、控え室に衣装はあるけど。残念ながら、着替える時間はもうないよ。舞台の使用時間が決まっているからね。確かに奇妙なお二人だが、そのままの格好で出るしかないな」
そ、そんなあ……。凛香はあまりにも恐ろしい佐々木の提案に心身ともに固まってしまった。
タキシードの彼女はまだいいが、広海はどうなるのだろう。こんな情けないコスプレ姿をステージ上で生徒や保護者の前にさらすなんて絶対にいやだ。ありえない。
「凛香、もうあきらめろ。俺は別にこのままでもかまわないぞ。この方がインパクトがあって、逆にいいかもしれないし。佐々木先生、わかりました。では、行きましょう。凛香、行くぞ!」
「お、おい、待てよ! ちょっと広海、じゃなくて、鶴本先生!」
広海ときたら、体育館に入ったとたん足元が動きやすくなったのか、俄然元気を盛り返す。
そして幕が上がる直前の舞台裏に待っていたのは……。