82.愛は永遠に その2
「んもうっ! なんてワガママで、強情な一年生なんだろ。鶴本先生、なんとかしてくださいよ。こっちだって、あなたたちにここに居座られたら困るんです。営業妨害です。早くここから出て行ってください!」
平野が顔を真っ赤にして、ここから出て行けと廊下を指差す。
「みんな、聞いてくれ。今からステージでバンド……あ、いや、ここから出してくれさえすれば、他の頼みは何でも聞くから……」
広海の最後の願いも、ついに聞き届けられることはなかった。そして再びリーダー格の女子生徒が前に出て、平野に向かって深々と頭を下げた。
「平野先輩! お願いします。鶴本先生に記念の一枚をお願いしたいんです。鷺野先生とのツーショットが無理なら、通常のチェンジ・フォトでもいいんです。それなら別に並ばなくてもいいですよね? ダメですか?」
彼女らは一歩たりとも譲歩する気配は見せない。平野も負けてはいない、のだが。
合戦さながらのせめぎ合いの横で、しぶしぶタイムサービスのポーズを取り続けている凛香は、何度自分の役割を放棄して広海を助けに行こうと思ったことか。
おい、そこの一年生、と言いかけたところで、すぐにカメラマン担当の生徒に、先生はこのままポーズを続けてくださいと引き止められる。
内田と平野がうまくやりますから、先生はこの長蛇の列を少しでも縮めることに協力してください、ときっぱり言い切られ、凛香は行列の縮小に貢献し続けるしかなかった。
この流れからいくと、とりあえずタイムサービスはあきらめてくれたようだ。
凛香はほっとすると同時に、広海とのツーショットが実現するかもしれないなどと、一瞬でも期待した自分がいたことに驚いていた。
学生時代にはプリクラでふざけて一緒に撮ったこともあった。けれどそれ以降は、学園祭や卒業アルバムに写っている物を除いて、広海の写真は一枚も持っていない。広海も凛香の写真は持っていないはずだ。
今回の撮影が、恋人同士になって初のツーショット記念写真になる可能性があったのだ。
でもよく考えてみると、スーツ姿の将来の夫の隣にタキシードを着た将来の妻などという、前代未聞のコラボレーション写真など、どこの誰が見たがるだろうか。
こんな証拠品を残したが最後、一生広海に笑いのネタにされるのがおちだ。
危ないところだった。タイムサービスを辞退し、通常の撮影を選ぼうとしている彼女たちの判断に、凛香は心からエールを贈りたい気持ちになった。
が、安心したのもここまでだ。彼女らが次に広海に要望している通常の撮影というのは、チェンジ・フォトを意味する。
つまり。広海が女装して撮影することに方向転換したのだ。
それって……。
「や、やめてくれーー! それだけはよしてくれ。私の広海を、これ以上いじるなーーーーーっ!」
凛香はあくまでも心の中で叫ぶにとどめた。本当は皆の前で声を大にして言いたかったのだが、教育現場で私情を挟むなどもってのほかだ。
「鷺野先生。鶴本先生たちの方ばかり見ないで、ちゃんとカメラを見てください!」
ついに、カメラマンにまで叱られる始末だ。生徒達に凛香の心の叫びなど伝わるはずもなく、事態はますます悪化するように思える。
「なんだ、そういうことなの? ならいいわよ。チェンジ・フォトは今のところ、待ち時間なしだから。じゃあ、こちらの男子用フィットルームで着替えてね。鶴本先生は男だから、ここの中から衣装を選んで下さい」
さっきまでの怒りはどこへやら。平野は、色とりどりのドレスやバレリーナの衣装、あるいは、ナース、客室乗務員などの職業別の制服などが吊るされているブティックハンガーを、にこやかに広海に勧める。
客室乗務員ならまだしも、バレリーナだけは勘弁して欲しい。ああ、見たくない。広海のレオタード姿など、絶対に見たくない。
凛香はほとんど涙目になりながら、広海逃げろ、今なら間に合うと一心不乱にテレパシーを送る。
心、ここにあらずのままでたらめなポーズを取り、愛する人が苦境に立たされているのを横目に、それでもタイムサービスを続けなければいけない自分が哀れで仕方ない。
すると後からついてきた広海のクラスの男子生徒が、ニヤニヤしながら白いドレスを掴み、広海と共にドタドタと試着室に入っていった。
目にもとまらぬ早業とは、このことを言うのだろう。もう何が何やら全くわけがわからない。
「おい、こら、何する。お、お、おい、やめろ! やめてくれーーーー!」
まるでこの世の終わりのような広海の悲痛な叫び声を最後に、カーテンの向こうが水を打ったように静まりかえる。
かさかさと衣擦れの音だけがこだまする中、凛香は固唾をのんで広海の登場を待った。
そして、そこから姿を現したのは……。
ウェディングドレス姿に変身した、やたらガタイのいい花嫁、鶴本広海先生だった。