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そして、始まる  作者: 大平麻由理
本編
54/91

54.そして、恋に落ちていく その2

 本当はもっと大声でののしるべきだったのに。そして、いつものようにバカバカと連呼してやればよかったのに。

 今の凛香に言えるのはそれだけだった。きっと耳まで真っ赤になっているに違いない顔を広海に知られたくなくて、わざと反対側に叛ける。

 ほんとうに、油断も隙もあったもんじゃない。不意打ちのキスは、想像以上に女心をかき乱す物だと、今初めて納得した。


「なあ、凛香」


 明らかに機嫌を取ろうとするような広海の猫なで声が、音楽の止まった静かな車内に響く。


「里見さんのことは、きちんとするよ。確かに、俺の態度が曖昧だったのかもしれないし、彼女にちやほやされて、いい気になってた部分も否定できない。言いそびれていたけど、里見さん、実は校長の奥さんの遠縁なんだ。まだ教師になって日も浅いし、慣れないことも多い。心配した校長が、年も近いし彼女の面倒を看てやってくれないかって、俺に頼んできたんだ。頭ごなしに拒否もできなくて、俺はまあ、それを常識の範囲内で、実行したってわけなんだが……。彼女、それを誤解したのかもしれないな」


 凛香は初めて聞く話に驚きながらも、広海が常識の範囲内で瑛子の世話をしていたと言う点に、反論はなかった。

 いや、校長に頼まれていたにしては、なかなか冷たい対応だったのではないかと思えるくらい、あっさりとそして淡々とした関係に見えた。

 そこは及第点をやってもいいだろう。


「近いうちにちゃんと誤解を解くから心配するな。校長にも、おまえの了解を取り次第、俺たちのことを報告するつもりだ。そうすれば、里見さんもそれ以上は無理難題を言ってこないはずだ。凛香、これならいいだろ?」

「うん。それならいい。でも、私も思い出したんだけど……」

「何だ。まだ何かあるのか?」

「うん。私、この前、里見先生に言ってしまったんだ。広海に差し入れする時はコーラで機嫌を取るといいぞ、健闘を祈ってるって……」


 先輩風を吹かせて、瑛子の後押しをしたのはまぎれもなく自分だったと、凛香は後悔の念に苛まれる。


「おいおい。そりゃあ、まずいな。おまえ、そんな心にもないことを言っちまったのか? あははは!」


 広海が笑いながらシートベルトを締めて、エンジンをかける。

 エアコンが作動し、シートベルトに手を掛けた凛香の左半身にザーッと冷気が当たる。

 気まずい話の内容であるにもかかわらず、広海ときたら、さも愉快そうに鼻歌交じりでハンドルに上半身を預け、凛香を伺い見るのだ。


「広海、何がそんなにおかしいんだよ。笑い事じゃないだろ? だって、その時は、こんなことになるなんて、思ってもみなかったから……」

「じゃあ、俺が彼女に話をする時、おまえも正直に言えばいいだろ? 俺も正直に言うぞ。大学の時から、おまえのことが忘れられなかったってな。だから里見さんの気持には、これから先、一生応えることは出来ないって釘を刺す。おまえは、やっと今頃になって俺の魅力に気がついたんだって彼女に言えばいいんだ。な? 嘘じゃないだろ?」

「ったく、あんたって人は……。そんなんで、簡単に済むのなら、誰も苦労はしないから」


 事の重大さに少しも気付いていないこの男にはもう何を言っても無駄だと、凛香はあきらめのため息をつき、ぐったりとうな垂れた。


「おまえ、自分の今の症状、わかってるのか? 里見さんのことをあれこれ思い悩んでいるだろ? それを何て言うか知ってる?」

「………」


 まだとやかく言ってくる広海を適当にあしらおうと、凛香は無視を決めこんだのだが。


「あのな、それを嫉妬と言うんだ。おまえが俺のことを思ってくれている証拠」

「はあ?」

「いいねえ。凛香に嫉妬されるなんて、本望だな。ではそろそろ、うちへと参りましょうか?」


 何が嫉妬だーーー! 

 広海がアクセルを踏むと同時に、凛香の体内に怒りの炎がメラメラと燃え上がる。

 だがそれも長くは続かない。急激に勢いを失くし、燃えさかっていたはずの炎が跡形もなく消え去っていく。

 確かに広海の言うとおり、それが嫉妬というものなのかもしれない。

 彼を取り巻くすべてのものが憎い。里見も、そしてファンだと言う女子生徒も過去の彼女たちも、憎くて仕方ない。

 もうこれは、嫉妬以外の何ものでもないのだろうとはっきりと自覚した。


 広海が自分以外の女性と話をするのも嫌だ。自分以外の女性の話題に触れるのも嫌。

 こんな嫉妬病を抱えながら、同じ職場でやっていけるのだろうか。

 職場には職員と生徒を合わせると、いったい何人の女性がいるのだろう。 五百人? それとも六百人? とても管理できる人数じゃない。


 来栖と付き合っている時も同じ状況だったはずなのに、全く気にならなかったのは、これまたどういうわけなのか。嫉妬をしたためしがない。

 凛香は自分の変わりように、ただただ首を傾げるばかりだ。

 相当重症な恋の病に陥ったことを認め、仕事に支障を来たさないように対処しなければならない。


 凛香はさっきの広海の不意打ちのキスを思い出しながら、再び頬を染め、彼への思いをめぐらせる。

 そして、ちらっと広海の横顔を視野に収めるとそのまま目をつぶり、心の中でもう一度彼を思い浮かべ、好きだよとつぶやいた。



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