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そして、始まる  作者: 大平麻由理
本編
43/91

43.天使のいたずら その1

「あの時は俺も若かった。おまえに一発殴られたくらいで、なんであんなにあっさりあきらめてしまったんだろうって、随分後悔したよ」


 広海の手が、凛香の手を包む。それでもまだ彼は凛香から離れようとしなかった。


「あの後、何人か別の女性とも付き合った。おまえのことを忘れようと、新しい恋愛に夢中になっているフリもした。そのうち本気になる、この人を好きになると自分に言い聞かせて」

「うん……」

「でもそうならなかった。結果はこのありさまだ。相手のペースで付き合い始めて、相手に終わりを告げられる。相手がどんなに素晴らしい尊敬に値する人でも、きれいだと言われる人でも。夢中になれなかったんだ。やっぱりおまえじゃなきゃだめだよ。凛香。やり直そう。な? いいだろ?」


 何人かの女性と付き合ったと広海が言った。当然そんなこともあっただろう。女性が彼を放っておかないというのも理解できる。

 けれどこのもやもやした感情は何だろう。

 現在、新たに同僚女性に言い寄られていることも知っている。女子生徒からキャーキャー騒がれているのも周知の事実だ。

 東高に転勤してきたばかりの頃は、広海に彼女がいるとわかっても、ふーん、そうなんだと軽く聞き流していたはずだ。

 ところが、そのわかりきっている事実を広海の口から聞いたとたん、心が落ち着かなくなる。

 広海の彼女の話など、聞きたくない自分がそこにいた。

 凛香は自分の心の変化に、ただただ唖然としてしまう。


 そして、広海の最強の武器でもある(とろ)けるような甘い声で、やり直そうなどと耳元でささやかれた日には、身体中の力が抜けて、遠い日のあの口づけが鮮明に蘇る。

 どうしようもないくらいくっきりと、脳裏にあの時の光景が呼び戻されるのだ。当時、すでに彼を男性として意識し始めていた凛香は、そうなることを望んでいたのかもしれない。

 だが、しかし……。凛香はとある矛盾に気がついた。

 広海とは厳密に言うところの恋人同士の付き合いはなかった。あくまでも、音楽をやる者同士の連帯感みたいな繋りしかなかったと思う。

 たとえ、お互いに好意を持っていたとしても、気持を確かめ合ったのは、別れの前のほんの数分だけだった。

 あの、二度と思い出したくないステージが終わって、思いがけず広海に告白され、その数分後には凛香の強烈な平手打ち。広海とはそれっきりだったはず。

 そもそも、何をやり直すのか。スタートラインの設定そのものが互いに相違があるような気がするのだが。


「なあ、広海。やり直すってことは、まず、友達としてやり直すんだよな?」


 そこのところをはっきりとさせておきたい凛香は、無意識のうちに重なっている広海の手に指を絡めて、問いただす。


「友達? なんだ、それ……。俺たち、いったいいくつだよ。高校生じゃないんだぞ。それに、友だち同士はこんな風に身体を寄せ合ったりしない。手を取り合ったりも……しない」


 凛香が無意識に絡めた指に広海がぎゅっと力を込めた。いつの間にそんなことになっていたのか、何も記憶にない凛香は、絡み合った手を見ながら、頬が熱くなっていくのを感じていた。


「でも……。おまえがまずは友だちから始めると言うのなら、我慢するよ。ただし、二日間だけなら」


 密着している背中からも、広海の声があまやかに響いてくる。


「二日間って、たったそれだけ? なんでそんなに急ぐんだよ。それに、私と広海はあの時、友達同士だっただろ? だって、こんなこともしなかったし」


 広海に握り締められた手を見ながら、指先を少しだけピコピコと動かしてみる。


「はあ? それはちがう。そりゃあ、こんな大胆なことはしなかったが、心は繋がっていたはずだ。おまえのことしか考えてなかった。正真正銘、おまえは俺のハニーだった」

「ハ、ハ、ハ、ハニー?」


 凛香は無理やり指をほどき、広海の腕を押しのける。

 ハニーとか、ありえない。それとも当時広海の前で眠りこけている隙に、何かされたとでも言うのだろうか。

 いや、さすがにそこまではしないだろうが、広海のハニー発言には、危険な香りが付きまとう。

 凛香が椅子から立ち上がろうとすると、広海がすかさず抱きついて来る。そこから逃れようともぞもぞ動いてみても、広海の腕はびくともしない。


「俺がおまえに告白した後、キスをしたあの数分間だけは、お互い心が通い合っていたと思ったけど。……違った?」


 確かにあの瞬間、凛香の心の中に小さな天使が舞い降りて来て、天国にも昇りそうな幸せな気分になったのは認める。

 好きな人に好きだと言われ、初めて唇を合わせ……。心躍るひと時だったのは、紛れもない真実だ。

 それはファーストキスとして、凛香の恋愛年表に華々しく記入される予定だったのに。

 その直後、ライブ出演を頼まれたグループのメンバーから言われたあの一言で、凛香は怒り狂い、広海との甘い触れ合いも、儚い夢のごとく、その場から瞬く間に消え去ってしまったのだ。

 広海だけは裏切らないと信じていたのに、彼も他の仲間たちとグルだったと知ったあの瞬間、凛香は広海への思いを心の奥深くに封じ込めてしまったのだから。



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