プロローグ 「幻燈夜」
冬鳥の方角へ、一筋の光が流れて尾を引いた。
その日は幻燈夜だった。
水鏡の如く穏やかな海原。背光魚の魚群が、青緑を点滅させて海遊する。燐光を含んだ餌となる浮遊生物が、そこかしこを漂っていた。同じく波間を揺蕩う、かがり海月たち。温かな光で、二隻の大型帆船を暗がりに灯影する。
甲板で夜風に当たっていた男たちは、赤らんだ顔で縁起の良さを祝っていた。
船長も夜這星が現れたら、安全な船旅が約束されると上機嫌だった。
しかしマストの上の見張りは、光の外に閉じた漆黒の航路を眺めて不安がっていた。
「あれは恋人を持つ男のしるべだ。下手に浮かれて、海を焼かせないでくれよ」
古くからの言い伝えは、往々にして人々の恐れや希望が語り継がれたものだ。
悪く言えば、信憑性の欠片もない戯言。
良く言えば、現代へともたらされる教訓。
何か、得体のしれない大きな力の流れが、違和を覚えさせたのかもしれない。
しかし具体的に、その正体を知ることができるのは、ほんの一握りだ。
本格的に予兆を感じ取った一人。
船長室の小脇に設けられた個室。窓辺から幻燈の夜を望む少女は――
「……満たされた星が落とされるとき、凶兆は孤島より産まれいずる」
船出前にもたらされた宣託。
それが真に意味するものを、彼女は間もなく知ることになる。
「――嵐、か」
大様な空気を携えた片船を見据えながら、船首に佇む男は口ずさむ。
期せずして、男の言葉は大気の震えを呼び覚ました。
前方、水平線に白い煌めきが奔った。
無数に輝く光の帯は、船旅において最悪の形をもたらす悪魔の手招き。
だんだんと空気が湿り気を帯び、船底に寄せては返す波の振れ幅が、一段と大きくなった瞬間。
船体を揺るがす轟音が、星々を伝播して下界に落とされた。
二隻の甲板に船長の怒号が飛ぶ。夢うつつから、一挙にたたき起こされた船乗りたちが、慌ただしく海の猛威に備えていった。
だが、吹き荒ぶ豪雨に晒される彼らに逃げ道はない。
何も見えず、何も聞こえず、身を切る冷たさを耐え凌ぐだけだ。
彼らが悶え苦しむ姿を、遥か前方より見下ろすは巨大な輪郭。
幾本もの稲光の向こうに控えるは絶海の孤島。さながら怪物の頭が侵入を拒み、せせら笑っているようだった。
されど視点を返せば、唸りを増すばかりに、島全体を取り囲む無数の雷光。
それらは抜け出る切れ間のない、自然が織り成す牢獄の如く――
内よりを外に出さないことを、天意とするかのようだった。




