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2.一筋の光

 この血のつながりのない三兄弟は本当によく似ている。

 自分で自分を極限まで追い詰めてしまうところなど特にそうだ。


 人は完璧ではない。だから己の言動や思想を常に正当化することなどできはしない。人には自分に都合のいいように物事を解釈したり、時には見過ごしておきたいことが少なからずあるからだ。


 だが誰だって本当は自分が可愛い。自分をこそ護りたくなる。それゆえ己の犯した罪に目をつむったり、欠落した自分も含めてまるごと全てを他人や社会に認めさせたくなる。


 だがこの三兄弟はそんな自分をゆるさない道を選択している。


 今、家に一人残された珪己は未曾有の激痛に苛まれていたが、こんな時だというのに、いやだからこそ、気づけば自問自答を繰り返していた。


(もしもこのまま死んだら……私どうなるの?)


 我慢していても痛みは引くどころか増すばかりだ。


 気を失いそうになりながらも、珪己は歯をくいしばって耐えていた。もしも今意識を手放したら、もう二度と目が覚めないのではないか……そんな思いにとらわれて必死で耐えていた。


 だが果てのない痛みに身を委ねる時間は地獄だ。もういっそこのまま気を失ってしまいたい、このまま死んでしまってもいいから楽になりたい、そんなことを思ってしまうほどに。


(でも私……)

(このまま死んで……いい人生だったって笑うことができるの……?)


 女で、しかも上級官吏の娘で。

 それなのに自由奔放に生きてきた自覚は十二分にあった。


 だが結局はどうか。


 芯国の王子の執着、その一事象だけで、珪己の人生は山頂からふもとまであっという間に転落してしまった。首都・開陽で家人にかしづかれ、時には後宮で女官にもなり、武官の証の紅玉を賜り……順風満帆な生活を送っていたはずなのに、だ。


(私、どこかで道を間違えたのかな……?)


 だが、どこをどうやり直せばいいのかが分からない。

 思考は一向に定まらない。


(それとも……)

(やっぱり私は悪い子なのかな……)


 八年前のあの夏、幼い頃に思い至った一時の結論までもが、胸の奥の方から湧き出してくる。悪い子だから地獄に連れていかれても不思議ではないのだと、そんな風に思っていた幼きあの頃……。


 生きるか死ぬか。

 その瀬戸際で、今、珪己は理由を知りたいと切望していた。


 なぜ今自分は開陽にいないのか。

 なぜ今零央という街で、他人の家でこうして苦しんでいるのか。


 痛みはもはや尋常ではない。明らかに異常だ。まだ十六年しか生きていなくても、それくらいのことは珪己にも分かった。


 だけど、もしも。

 もしもこの痛みすら、八年前の罪を雪ぐための罰なのだとしたら――。


(強くなればいいってわけじゃなかったのかな……)


 強くなりさえすればいいと思ってきた自分。

 だがそれが間違っていたとしたら。


(強くなりたいって思う気持ちは私だけのもので、母様もみんなも、本当はそんなこと望んでいないのかな……)


 このまま死ねば罪は帳消しになるのだろうか。

 死ななければ罪は消えないのだろうか。


 八年前のあの夏の日から、人生の結末はこうなると定められていたのだろうか。


(こうなることが定められていたのに抗うようにして生きて……そんな私のこと、きっと神様も笑っていたに決まっている……)


 ふと、これまで考えたことのなかった思いに行き当たった。


(短い人生だと知っていれば、良家の娘らしくしていればよかったんだろうな……)


 一人娘が武芸に身も心も捧げ、顔には出さなくとも父親が心配していることは承知していた。父が安心するような娘でいてあげるべきだということも分かっていた。妻に死なれ、血縁は珪己一人となっていたのだから。


 だが珪己は十六になっても日がな稽古に明け暮れていた。自分を強くすること、武芸者になること、それしか生きる道がないと信じこんで。


 だがそれもただの思いこみだったとしたら――。


(父様……ごめんなさい……)


 この放浪の日々で初めて、珪己は父に対して罪悪感を覚えた。

 それに伴い、閉じる瞼の隙間から涙がこぼれ出した。

 涙が敷布をじっとりと濡らしていく。


(ごめんなさい、父様)

(ごめんなさい……)

(開陽に戻ったらきっと私……)


 きっと――。


 だがその続きを考えることはできなかった。


 これほどまでに苦しんでいるというのに、いや、苦しみの中にいるからこそ、珪己は己の本能に逆らうことができなかった。


(でもやっぱり……)


 その思いは純粋だからこそ強固に珪己の胸を貫いた。


(私、武芸をやめたくないよ……)

(自分の望む道を進みたいって、そう思うの……)


 芯国の王子に囚われた時。珪己はすぐ先に予想できる未来図を受け入れることができていた。芯国に連れて行かれ王子の妻となるのだろう、と。それは上級官吏の娘としては当然の結論だった。


 だがあの古寺にこもった夜、珪己は強く思ったのだ。

 それは絶対に嫌だ、と。


 愛すべき人を愛する、それが良家の娘の婚姻の形であると珪己はもう思えなくなっていた。自分を縛る既成概念のすべてを取っ払って、自分の進む道を選びたい、そう願ってしまっていた。


 珪己はここのところずっと悩んでいた。今仁威に対して抱いている想いの正体は間違いなく恋で、この恋を捨てることが本当にできるのか、と。


 晃飛に指摘されたことは以前、皇族・趙龍崇にも言われている。


『君の人生は君一人のものじゃない』

『君の愛は、愛すべき人に捧げるものだということを、絶対に忘れてはならないよ』


 それに珪己は素直に首肯した。真実そう思っていたからだ。高い身分を有する家の者が恋心のみを理由とした自由な婚姻をしていては、国にとって悪しきことだと理解していたからだ。


(ああ……そうだ)


 珪己は一つ合点した。


(だから私、あの夜、皇帝陛下に抱かれてもいいって思ったんだ……)


 芯国人の手から救ってみせよう、そう言い募られ、勢いに流されてしたことではなかったのだ。皇帝を相手に拒めなかったわけでもないのだ。あの日、皇帝・趙英龍の瞳に恋の炎が揺らめいていたからだ。それが恋の色であることは、これまで恋情をひたむきに示してきた李侑生と比較すればすぐに分かった。


 この国でもっとも尊い人が自分に恋をしてくれた――。

 それは珪己の進みたい恋の道そのものだった。


 そして珪己もこの青年を好ましく思っていた。

 だから珪己は英龍の腕の中に留まった。


 それに芯国人の手に落ちることを考えれば、英龍の腕の中に匿われる方が比べるべくもなく良かった。つまりは二者択一の結果だ。


 しかし二者択一とは、結局は二つのうちから一つしか選べないということだ。


 それは珪己の考える理想的な道ではなかった。


 今、珪己は恋をすべきではない状況下において仁威に恋をしている。それこそまさに珪己の求める究極の恋の形だった。


 頭が朦朧とする。

 もう何も考えられない。

 考えることすらできなくなってきた。


「……戻ってきたよ、大丈夫?」


 遠くで戸の開く音と聞きなれた声がした。

 だがその声調は一瞬にして変貌した。


「な……!」


 青年がうめくように声を絞り出した。


「なんだよこの出血は……! なんでこんなことにっ」


 本気で驚く声はこの悠々としたふるまいが板につく青年らしからぬものだ。

 肩を乱暴にゆすられ、視界のおぼつかない闇の中、珪己はとっさに手探りで青年の大きな手を握っていた。


「私、やっぱりあきらめたくない……!」


 握る手の力強さに、青年の動揺が広がる気配がした。

 珪己は祈りを込めて青年の手を握りしめ、一層きつく目をつむった。


 激痛の中、珪己は心から望むことを叫んでいた。


「私、絶対に生きることをあきらめない! それに生きることっていうのは、ただ呼吸をして日々を過ごすことじゃないっ!」


 生と死のはざまで――。

 珪己は一筋の光を見つけていた。


 その光の名は――希望だ。


「い、生きるってことは……生きるってことは大切なことを自分で決められるってことでしょ? そうでしょ? なのに大切なことを捨てなくちゃいけないなんて、そんなの……そんなの生きてるって言わないっ……!」

りょう先生、患者を落ち着かせてくれ。これ以上出血が増えたら危険だ」


 老人と思わしき男の声が遠くで聴こえた。それに同調するように青年のもう一つの手が珪己の手に重ねられた。


「駄目だよ興奮したら。体によくないから」


 だが珪己は息も絶え絶えに言い募った。


「お願い、私に選ばせて。大切なものを捨てさせないで。お願い、お願いだから……!」

「分かった、分かったから!」

「お願い、私に……!」


 突如、青年の両手に力が込められた。

 これ以上は何も言わせないとでもいうかのように。


「大丈夫だから。君がこれ以上苦しまないよう、俺が君のことを護るから……!」

「…………本当に?」


 安堵にふっと力が抜け、すると珪己の硬く閉じられていたまぶたがうっすらと開いた。

 そこには珪己を心配する晃飛の顔があった。


「ほんとよ、ほんとよ?」


 なおもすがる珪己に、晃飛がうなずいた。


「男に二言はない。だから安心して」

「うん……。うん、ありがとう……」


 言い終わらぬうちに、暗幕に包まれたかのように珪己の意識は失われた。



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