結界
地上へ戻った陽一は、正勝とともに赤猪子の社がある山の上にいた。しかし、山全体に結界が張っていて近づけない。
「いつもと違う」
陽一がびっくりして言った。自分には力はなくなったが、気配を感じることができた。
「そうであろうな」
正勝が頷く。
「赤猪子殿にしか破れぬか…」
正勝がぶつぶつと言っている間、陽一は考えていた。
自分は力を全て奪われている。手伝えることはないかもしれない。
「すみません、俺、あの女の人に力を全部取られたみたいなんです」
「あの女は何者だ?」
「俺もよくは知らないんですけど」
佐野の話を伝えると、正勝の頬がひくりと引きつった。
「佐之尊殿だな」
「佐野さんですよね?」
「佐之尊殿は、この国の神だ」
「はあ、そんなこと言ってましたけど…」
本当だったのか、と内心驚いたがすぐには信じられない。
「夜琥弥さまの弟君でもある」
「えっ」
ちょっと待ってくれ、ということは、あの女はその佐野さんの力も奪っているのか。
絶句するしかない。
「佐之尊殿が心配だ」
正勝が呟いた。
自分たちが地上にいない間に何も起きていなければと願う。
そういえばあの時、葵がいたのだ。
「あの、葵ちゃんは大丈夫でしょうか」
正勝がはっとした顔でこわばった。
「あの?」
「ああ、すまぬ。そなたを助けるのに必死で葵のことを忘れていた」
「えーっ」
陽一が声を上げると、正勝に睨まれた。肩をすくめて遠慮気味に言った。
「じゃ、じゃあ、まずは葵ちゃんを探さなきゃ」
「案ずるな、おそらく赤猪子殿を頼っておるはずだ。しかし、この中に入らねばな」
結界が張られているところを見ると、まだ敵はここに侵入していないと思う。
陽一はそう願い、鳥居がある場所を指さした。
「あそこからなら入れるかもしれません」
しかし、正勝は、どうしたものかのぉ…と聞いていない。
陽一は勾玉のことを思い出していた。
うぐいす姫からもらった勾玉の力を使えば、この結界を破ることができるかもしれない。
けれど、鬼が言った言葉も気になった。
誰にも話すな――。
鬼はそう言ったのだ。
「仕方ない。我らの方から井川の方へ襲撃を仕掛けよう」
「で、でも、俺は力を失っています」
「俺が月の方へ援軍を頼もう」
月という単語を聞くと、どきりとする。
晶がいる月。
陽一郎から全てを知らされてから、晶の心の闇の深さを知ることができた。自分と一緒にいる時、晶はどんな気持ちでいたのだろう。
けれど、それを話しあうには、まだ自分の中で消化できないでいる。
陽一は表情を引き締めると頭を下げた。
「お願いします」
「うむ」
正勝は頷いた。
月へ援軍を頼むってどうするのだろう。
正勝が何を考えているのか分からないが、今、頼れるのは彼しかいなかった。
「陽一、そなたならあの向こうへ行けると申したな」
正勝に言われてハッとする。なんだ、聞いていたのか。
「は、はい。たぶん入れると思います」
「うむ。では、そなたはしばしの間、安全な場所にいてくれ。俺は月へ一度戻る」
――すぐに戻る。
正勝はそう言うと、陽一を鳥居の前に置き去りにしたままいなくなってしまった。
森の中は薄暗く、いつもと様子が違う気がした。
陽一は大きく息をついて、周りに誰もいないことを確認した。
そっと鳥居の前に立ったが、入ろうとしてためらった。
ダメだ…。
結界を解くことができない。
自分の手をじっと見た。
力がなくなっている。
今、自分は本当にただの人なのだ。
陽一は愕然とした。
本当に晶との接点がなくなってしまったように感じた。
「晶……」
思わず泣きごとを言いそうになったが、ぐっと我慢する。
「いいや、俺は何があってもあきらめないって決めたんだ」
ぐっと握りこぶしをする。
何もしないでここにいるのは危険だ。どうにかして赤猪子たちと連絡を取る方法を考えなければ。
陽一は再び、鳥居の中に入ろうと決心した。
鳥居に手を伸ばして、逆に赤猪子たちに気づいてもらおうと考える。結界に入ろうとすると何が起きるのか。今まで何も考えずに結界を解いていた。逆の立場だと恐怖に駆られた。
息を大きく吐いて手を出す。
「うわーっ」
信じられないことに、陽一の体は目に見えない力によって弾き飛ばされた。
「いって…」
顔をすりむき、手の甲がすりむけて血がにじんでいる。
「マジかよ」
腕を支えて起き上がる。足首も痛めたらしくズキズキした。
でも、これで誰か気づいてくれたはずだ。
陽一は期待した。
その時、前に嗅いだことのあるあの嫌な臭いが鼻をついた。
嘘だろ…?
振り返るのが怖い。
でも、後ろにいる。
陽一は恐る恐る振り向いた。
やはり思った通り、井川が立っていた。そして、男の側に自分の力を奪った女、茅子がいた。
井川からは、以前とは比べものにならないくらいの強いパワーが感じられた。
「あら、あなた生きていたの?」
茅子が目をぱちぱちさせた。
「信じられないわ」
女の隣で井川がじっと見つめている。
「お前、その体どうやって治した」
二人が近づいて来る。
陽一は後ずさりした。先ほどくじいた足首が痛んだ。
「茅子、こいつの力を奪ったんじゃなかったのか」
「わたしが失敗するはずないわ」
茅子が口を尖らせたが、不機嫌そうに顔を歪めた。
「他にも力を持っているの?」
そう言った瞬間、茅子が陽一の真横に立っていた。陽一は首をつかまれて息ができなくなる。
「や…やめろ…っ」
茅子が片手で陽一の首をつかんで持ち上げた。足が宙を浮く。
正勝はまだ戻ってこないのだろうか。それよりも、誰か気づいてくれ…!
陽一は意識が遠のきそうになった。その時、
――陽一? 陽一、我の声が聞こえるか?
晶の声がした。
――晶!




