焼きつく
目が覚めると、花の隣で夜具を敷いて眠っていた。
「おはようございます」
花が覗き込んで、にこりと笑った。陽一郎の気分は爽快で清々しく、朝日が気持ちよかった。
「よく寝たよ」
陽一郎が大きく伸びをすると、ゆっくりと起き上がった。花はそれを見てくすくす笑った。
「寝過ぎでごぜえますよ」
花、近くへおいで、と呼ぶと、花は頬を真っ赤に染めて近寄って来た。
「ダメです、おら、水を浴びてねえから」
なぜだか、花を愛しく感じた。背中を抱き寄せて耳に口を寄せると、花は体をよじった。
「旦那さま、くすぐってえだ」
今朝の花を特別、綺麗だと感じた。
その日の空は朝から曇っていて、どんよりした重い空気をまとっていた。
花は、雨が降りそうだなと云って、早くに川へ洗濯に行った。陽一郎は山へ食料を採りに行っていたが、兄たちの集団を見て胸騒ぎがした。
本当は関わりたくないのだが、追いかけてみると彼らは社へと向かっている。鳥居を抜けると、ずかずかと入って行った。
ここには確か巫女が一人で暮らしていると聞いていた。嫌な気持ちを抱えたまま後を追うと、案の定、兄たちが巫女を襲っているのを見た。
耳を塞ぎたくなるような巫女の悲鳴を聞いて、陽一郎は助けに行くべきか迷った。
その時、空がさらに暗くなり強い風が吹いてきた。
あっという間に土砂降りの雨が降り出した。いつの間にか、悲鳴が止んでいた。陽一郎はおそるおそる様子をうかがうと、土砂降りの中、地面に横たわる男たちと、金色に光る髪の女が巫女を守るように立っていた。
陽一郎は見つからぬよう体を低くした。
恐ろしさのあまり声を出せなかった。
「鬼……。鬼が現れたぞっ」
腰を抜かした兄とその仲間たちが手をついて見上げている。金色の髪の女の頭には角が生えていた。
雨はさらに激しく降りだし、兄たちは泥だらけになったが、鬼が雨に濡れた様子はない。鬼が手を振り下ろした時、男の一人の腕がかまいたちにやられたようにすっぱりと切れた。
悲鳴が上がる。それを見た男が一人、二人と逃げ始めた。
一人だけ残った兄は鬼を睨みつけていた。
「鬼、鬼め、どこから現れた」
鬼、と呼ばれた女は冷ややかに兄を見下ろした。
「主、名を名乗れ」
兄は、他人に命令をされた事はない。
目を吊り上げると、雄叫びをあげて鬼に向かって飛びかかった。しかし、鬼の体に触れることもできず跳ね飛ばされる。
「名を名乗れ」
しかし、兄はまだ諦めなかった。立ち上がり刀を抜くと鬼に向かって走った。
「姫さまっ」
巫女が叫んだ。
「案ずるな、こんな輩、我の力で一捻りじゃ」
鬼が薄笑いを浮かべる。兄が殺される。思わず駆け出して兄の前に飛び出すと、手を上げた鬼が、あっと声を上げた。
「お主は……っ」
「お許しください」
陽一郎はとっさに頭を突いた。鬼は近くで見ると、ますます恐ろしい面相をしていた。体が恐怖に震えた。
「この者はわたくしの兄でございます。無礼を働いたこと代わりにお詫びいたします。どうぞ、お許しくださいませ」
雨が体中を叩きつけた。
急に辺りが静かになり、顔を上げると社には巫女の姿も、鬼の姿もなかった。
「消えた……」
兄がそばで気が抜けたように、地面を見つめていた。
「兄者、大丈夫か?」
「陽一郎か、助かったよ。ありがとう」
駆け寄って兄を抱き起こすと、兄が吐息をついて云った。
「殺されるかと思った」
「戻ろう。雨が強くなった。山道は地盤が緩んで危ないよ」
「そうだな」
兄の新太郎が、珍しく弱々しい声を出した。
「兄者、ケガはしていないか?」
「うん、大丈夫のようだ。それより、見たか?」
兄とこんなに近くで長く話をしたのは久しぶりだった。自分とは似ても似つかぬほど端正な顔で、どの女も虜にする男。男からも云い寄られると聞く。
本当に血が繋がっているのか疑わしいくらいだが、似ている部分がひとつあった。
それは目だ。二人とも二重のくっきりとした目をしていた。
「さっきの女、金色の鬼……のように見えた」
「ああ、そうだ」
「何があったのだ?」
陽一郎が聞いたが、新太郎は答えなかった。その代わりに、
「あの鬼、絶対に殺してやる」
と物騒な声で答えた。
陽一郎は、この時は鬼を気の毒に思った。
久しぶりに実家へ戻り、兄を屋敷へ連れてから自分は家に戻った。花が慌てて駆け寄ってくる。
「お帰りなさいませ」
「ただいま」
「旦那さま、お荷物は?」
「え?」
陽一郎は口を押さえた。兄を介抱したため、社に置いて来てしまったのだ。
「忘れて来てしまったよ」
「雨がひどかったですからね」
花が納得したように云う。今はだいぶ小雨になっていた。
「明日、取りに行ってくるから」
「へえ」
花は、夕餉のしたくに取りかかるため中へ入った。
「花」
陽一郎は、花を追いかけて行って後ろから抱きしめた。
「どうしただ? 旦那さま」
花がびっくりした顔で振り向く。
「少しだけ、こうしていいだろうか」
花は不思議そうにしていた。
鬼の姿が目に焼き付いて離れなかった。あの鬼は自分を殺しに来るだろうか。この幸せがなくなるのだろうか。
強く抱きしめて、花の感触を覚えておこうと思った。




