我慢
陽一の体は夜琥弥の力によって腕は完全に再生され、顔に生気が戻った。
晶は、膝の上で目を閉じている陽一の額をそっと撫でた。
「陽一、我は逃げてばかりで、お主を苦しめ傷つけてしまった。本当に申し訳ない」
「晶…」
陽一が目を開けて右手を上げた。晶がその手を握りしめると、陽一がほっとした顔で笑った。
「晶が無事でよかった。死ぬなんて許さない。俺たちはまだ何も始めていない」
晶は首を振った。
「これで終わりなのじゃ。陽一」
「終わりじゃない」
陽一は真剣に言う。晶はもう一度首を振った。
「今は覚えているが、お主との縁は切れた。もう、我らは会うことはない」
「俺は忘れない」
「陽一、聞き入れてくれ。我らはもう会えぬ」
「どういうこと?」
陽一が困惑した顔で夜琥弥を見た。
夜琥弥が肩をすくめる。
「君は地球へ還り、晶は月へ還る。もう、会えないんだ」
晶が月へ還る?
陽一は信じられずに晶を見た。
彼女の悲しそうな顔を見て本当なのだと思った。
そんなの嫌だ、陽一は言いそうになった。
晶と会えないなんて絶対に嫌だった。けれど、それはわがままなのかもしれない。
晶が困っている。
あの勝気な少女がしおらしく悲しげな顔でこちらを見ている。
陽一は、嫌という言葉を呑み込んだ。
「そうか」
息が止まりそうなほど辛かったが、何とか声を出した。
「もう会えないんだな」
「え?」
晶の顔は泣きそうだった。
陽一も泣きそうになる。けれど、男だから泣いてはいけないと言い聞かせた。
だから、自分から言った。
「だったら、忘れようか?」
晶の顔がこわばる。
「全部なかったことにする? そうしたら、お互い傷つかずに済むのかな。夜琥弥さんに頼もうか、彼ならできるんだろ?」
夜琥弥が呆れたように息を吐いた。
「陽一くん、本気で言っている? 僕は、本当に消せるよ」
「晶がそれでいいなら。俺、晶の泣き顔見るの嫌なんだ」
夜琥弥が、陽一と晶の間に入った。
「晶はいいの? 今は辛くても、時が立てばいい思い出になる。記憶を消す必要はないんだよ」
「いいんです」
陽一が遮って晶の答えを聞かずに決めた。
「どうせ会えないなら、記憶を消すことができるなら、消してください」
夜琥弥は呆れたように二人を見てから、大きくため息をついた。
「…分かった。じゃあ、先に晶の記憶を消してから、陽一くんの記憶を消すよ。晶、安心して、僕が責任を持って陽一くんを地上へ返すから」
夜琥弥が淡々と言う。
陽一は、晶の顔を見ることができなかった。見たら、何を言うか分からなかった。体がずっと震えていた。
「記憶を消したら、有り得ないんだけど、万が一、君たちがすれ違ってもお互いのことは絶対に覚えていないから」
「はい」
陽一は頷いた。最後くらい笑顔でいたかったが、うまく笑えているのか分からなかった。
「晶、いいんだね?」
夜琥弥が言うと、晶は唇を震わせてうつむいた。
「我からも頼む。叔父上…記憶を消してくれ…」
声がかすれている。
「晶はなぜ泣いているの? 気持ちを押し殺して忘れてしまうと、心が壊れるかも知れないよ」
晶は泣いていた。最後くらい笑顔が見たかった。
「我の気持ちは今云うた通りじゃ。鬼の心も分かった。もう、心残りはない」
「晶の気持ちを聞いていない」
「叔父上っ」
晶が悲鳴のような声を出して顔を上げた。
「晶の気持ちを聞いていないよ。どうせ、消すのだから全部吐くんだ。陽一くんに伝えなきゃ、心残りになるよ」
夜琥弥が言って後ろに下がる。
晶は、陽一を見た。しかし、気丈に顔を上げると短く答えた。
「叔父上。これ以上、云うことはありませぬ」
硬い顔付きの晶を見て、夜琥弥がため息をついた。
「それじゃあ、これで終わらせよう」
陽一の体に負荷がかかる。
動けなくて息もしにくい。
陽一は、さよならを言っていないことを思い出した。
「晶っ」
陽一は声を張り上げた。
夜琥弥が手を振ると、闇夜に包まれる。
晶っ。晶と何度も名前を呼んだ。
俺は、忘れたくないっ。
陽一が叫んだ時、晶の声がした。
「叔父上、やめてくだされっ」
暗闇が一瞬、光った気がした。




